2章127話 もう一つの闘い
ラスティグが無事に闘技を勝ち残った一方で、もう一人の参加者が闘いの舞台へと臨んでいた。一回戦目で荒れた舞台の整備が終わり、続く二戦目の舞台だ。
「うわ、マジか……これが闘技の会場かよ?!」
闘技場の舞台でそう呟いたのは、ロヴァンスの騎士セレスである。王太子ノワールの護衛として共にトラヴィスへとやって来た彼は、今回の闘技にロヴァンスの代表として参戦していた。
「櫓の上に弓兵がイチ、ニィ……六人ねぇ……それにこの蹄の跡は…………まさか騎馬も出てくるのか?」
場内へと出てすぐにその状況を確認する。舞台はある程度整えられてはいたが、前の戦闘の痕跡は残っていた。そうこうしている内に闘技開始の銅鑼の音が鳴り響いた。
「弱そうな奴から攻めていくぞ!」
「おぉっ!」
闘技の参加者の中には仲間同士で挑んでいる者もいるのか、声を掛け合っている姿が見える。セレスはなるべくそうした参加者からは離れるように動き出した。
「……隊長をロヴァンスへ帰す為には、絶対に生き残らなきゃな……」
セレスが隊長と呼ぶのは勿論、ティアンナことアトレーユのことである。キャルメ王女の護衛騎士時代、隊長であるアトレーユの下で剣を振るっていたセレスは、闘技への参加について、いの一番に名乗りを上げた。
今は王太子ノワールの護衛として別々の道を歩んではいるが、かつての上司へ尊敬の念を忘れたことはいない。セレスが騎士としてここまで身を立てられたのは、全て彼女のお陰なのだから。
「これだけの人数を相手にするのは正直厳しいけど……まぁ何とかなるか」
セレスの最も得意とする武器は弓だ。都合のいいことに弓を使うのに適した櫓まである。だがその下は多くの参加者達がひしめき合っており、迂闊に近づくのは危険かもしれない。
「そうなれば……」
セレスは身を低くしながら一番外側に設置された弓矢避けの壁に身を寄せた。
「ここから少しずつ狙っていく──」
そう言うや否や身を乗り出して参加者の一人に矢を放つ。
──ヒュンッ!!──
「ぐぁっ!」
「よし!次っ!」
──ヒュンッ!ヒュンッ!──
その後もセレスは次々と弓で参加者達を狙っていった。一撃で急所を狙うことは難しいが、相手を怯ませることさえできれば、他の参加者がとどめを刺してくれる。そうして物陰に隠れつつ動いていれば、ある程度の人数になるまで持ちこたえられるだろう。
だがセレスのその作戦は、予想外の人物によって崩されることになる。
──ヒュンッ!!──
「チッ……外れたか──」
背を向けている敵へと放った一矢は、運悪く相手が動いた為に逸れ、逆に自分の居場所を知られる羽目となる。しかしこちらへと走り出した相手が、セレスのいる所までたどり着くことはなかった。
──ザシュッ!!──
「かはっ……!!」
鮮血を撒き散らして倒れる男。駆け出そうとしたところを、背後から来た敵に斬られたのだ。
セレスにとっては態勢を立て直す絶好の好機。しかし矢を番えた所で、そこに見えた人影に思わず弓を下してしまう。
「ナイル……?」
ギョロリとした虚ろな目が次の獲物を見つけたとばかりに、セレスへと向けられた──
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「あれはっ──まさかナイルか?!」
セレスの試合を観戦していたジェデオンは、突然現れたナイルに思わず立ち上がり叫んでいた。
「あぁ、だが手枷をしているようだな……囚人の一人として参加しているのか……」
横にいたノワールがジェデオンに応える。今はロヴァンス陣営に用意された貴賓席で共に闘技を観戦している。
「トラヴィス軍に捕まっていたのか……だがあの状態のナイルを闘技に参加させるなんて、トラヴィスの国王は一体何を考えているんだ!」
苛立たし気に吐き捨てるジェデオン。この国の者に聞かれれば不敬とされかねないが、ノワールは咎めはしなかった。
既にジェデオンから全てを聞いているのだ。ナイルの変貌ぶりを──その残酷な所業を──
(……明るく気さくな印象の男だったが……抱えていた闇は我々の想像を超えていたか……)
ナイルが所属していた特務は秘匿性の高い特殊な部隊ゆえに、個としての人物像ついてはノワールでさえ把握しきれていない所がある。特務の長である灰銀の狼が直々に育て上げた精鋭であることに間違いないが、軍を離反するだけの闇を抱えていたとは、誰も思わなかっただろう。
(……最強の味方が最悪の敵になったわけだ……)
今は囚人として枷を付けられているとはいえ、この闘いで多くの血が流れることは間違いない。例え棄権が認められている試合だとしても、一瞬でその命を絶たれてしまえば終わりだ。
ジェデオンが瀕死の重傷を負わせられたことを考えれば、かつて同じ護衛隊で背中を預け合ったセレスとてその身が危ういはずだ。
「セレス……こんなところで死んではならんぞ……」
己に剣を捧げてくれた騎士の命を懸けた闘いに、ノワールは祈るような気持ちでそう呟いた──
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「くそっ……!本当にあいつイカれてるのか?!生き残り戦だとしても、元同僚を狙うなってんだよっ!」
セレスは、後を追ってくるナイルへと毒を吐いていた。
ナイルに遭遇し驚きに手を止めた一瞬の隙。それを見逃さずに距離を詰めてきたナイルの纏う殺気に、セレスはジェデオンの言葉が真実であったと確信した。ナイルの手によって瀕死の重傷を負わされたのだと──
すぐさま弓矢避けの壁から離れ、別の場所へとひた走る。だが既にセレスに狙いを定めたのか、ナイルが後を追って来ていた。
距離を詰められれば弓使いは不利となる。勿論近接用の武器も持ち合わせてはいたが、今のナイルの動きを見る限り、勝てる見込みは五分を下回るかもしれない。
だが背後を気にしながらの走りは、思わぬ敵との遭遇も生み出していた。
「っは──!?」
──ギィン!!──
弓を持って逃げているセレスならば簡単に倒せると踏んだのか、斜め前方からやってきた敵の攻撃。それを近接用に腰に差していた短剣で弾き返す。
「チッ!こんな時に──」
背後からはナイルが迫り、前方には別の敵。挟み撃ちの状態でセレスは選択を迫られる。
「この距離じゃ弓なんて使いもんにならないだろ!大人しくやられとけっ!」
「っく──」
前方の敵はこの場を離脱しようとするセレスの動きを封じるように立ち塞がる。そして再び刃を振り下ろしたのだが──
──ギャンッ!!──
「なっ!!??」
振り下ろされた刃を、背後のナイルが突き出した剣が弾く。セレスは既にその気配を察知して寸でのところで脇に避けていた。
だがそれで追撃の手が止まるわけではない。
──ヒュンッ!ザンッ──
「くっ……!」
ナイルは突き出した刃を横へ大きく振りぬいた。
かろうじてそれを躱せたのは、ナイルが一刀しか武器を持っていなかったからだろう。しかもセレスが避けたのはナイルが武器を構えている反対側だ。
だがその続けざまの攻撃は、躊躇なくセレスの急所を確実に狙いに来たものだった。
(くそっ……!マジでコイツあのジェデオン様のどてっぱらを貫いたのかよっ!)
確実に絶命せんと狙うその攻撃に、セレスは冷や汗をかきながら内心毒づく。かつての同僚だと油断を見せれば、一瞬で命を対価にした勝敗が決するだろう。
「はっ!……所詮は闘技だと甘くみていたな……」
追撃を避けるとともに距離を取ったセレスは、自嘲気味にそう呟いた。本物の戦場ではないからと言って、舐めてかかれば命はない。緩んでいた覚悟を引き締められた気分だ。
「ナイル、お前にそれを教わるとはなぁ……護衛騎士隊の訓練では、お前の方が負け越していたってのに……」
『……?』
セレスの言葉に、ナイルが僅かに首を傾げ動きを止めた。こちらの言葉を理解しているのかいないのか──けれど確かにセレスの言葉はナイルに届いていた。
そしてそれを見て取ったセレスは、既に覚悟を決めていた。元同僚へとその刃を向ける覚悟を──
「今の本気のお前と戦えることは、悪くないと思ってるぜ……だが──」
──ヒュンッヒュンッ!!──
「ぐわっ!!」
──キィンッ!!──
「ッ──!?」
しゃべりながらもセレスは利き手を背後へと回し、一瞬の内に矢をつがえ二射連続で放つ。一つは見事に眼前の敵へと命中し、もう一つはナイルに剣で弾かれた。
こちらをじっと見据えるナイルに対し、セレスは気を吐いて叫ぶ。
「……ロヴァンスの騎士として、ここで負けるわけにはいかないんだよ!」




