2章126話 相応しい相手
「危ないっ!!」
ティアンナは咄嗟に立ち上がり叫んでいた。闘技が無事に終了したところで、ラスティグを背後から彼を襲う者があったのだ。
「ほう、やるな。あの攻撃を防いだか」
ティアンナの横ではアスランが感心したように頷く。彼の言う通り、ラスティグはかろうじて己の手枷と鎖を利用して急襲を防いでいた。だが狭い場所で身動きが取れないのか、相手の剣を弾き返すことができないでいるようだ。
「流石に一流の剣士だな。不意打ちでもやられはしないか」
アスランはそう言ってラスティグの技量に満足げな様子だ。闘技の最中もその闘いぶりを褒めていたほど。ラスティグが囚人として不利な状況を強いられ、勝ち残りが厳しいのは全て、アスランにとって相応しい相手かどうか見極める為である。
それでも勝ち残りが決定した後の不意打ちは許せない。今にも櫓の上から落ちてしまいそうなラスティグの姿に、ティアンナは怒りと焦燥を募らせた。
「アスラン様っ……」
「わかっている。おい、それをよこせ」
アスランへと声をかければ、彼は何でもないことのようにただ頷き、側にいた護衛兵士の持っている弓を手に取る。
そしてあっという間に狙いを定めると、ラスティグを襲っている兵士に向けて矢を射かけた。
「っ──!」
ティアンナは息を飲む。間違ってラスティグに当たってもおかしくはないくらいに距離が離れているのだ。だが放たれた矢は、正確に兵士の肩を射抜いていた。
櫓の下へと落ちていく襲撃者にひとまずの安堵を得るも、同じような命の危険がこの先もラスティグを待ち構えているのだ。途端に焦燥と不安に駆られ、胸が苦しくなる。
そんなティアンナの想いを知ってか知らずか、アスランは愉悦を含んだ笑いを零していた。
「ふっ……こんな所で私の獲物を死なせるわけにはいかん。あくまでも殺し合いは闘技の試合でのみだ」
そう言い放つアスランの視線の先には、驚きにこちらを見つめるラスティグの姿。その視線に応えるように不敵な笑みを浮かべ、アスランは再びゆっくりと弓を構えた。
「っ──アスラン様!」
矢はそこに番えてはないが、狙いはしっかりとラスティグへと向けている。
それは明らかな宣戦布告。対峙するのは王と囚人としてではない。己が獲物に相応しいとアスラン自身が認めた好敵手としてだ。
驚きの表情から一転、ラスティグの眼差しが鋭くなる。その顔はアスランの宣戦布告を真っ向から受け取ったかに見えた。
「私の下へ来るまでに死んでくれるなよ?最高の舞台で殺し合うのだからな──」
ラスティグの好戦的な眼差しに、アスランは満足げな様子で弓を下した。そしてティアンナの方へと向き直る。
「ティアンナはそのまま観戦していろ。これからもっと盛り上がるぞ」
それだけを言ってアスランは兵士を伴い席を離れていく。どういうことかと声をかける間もなく、周囲を護衛の兵士達に固められ、アスランの後ろ姿は見えなくなってしまった。
一人残されたティアンナは、アスランの言葉に不安を覚えるも、視線を感じて後ろを振り向いた。そこには櫓の上でこちらを見つめたままのラスティグの姿があった。
「ラスティグ……」
無事な姿に安堵すると共にその名を呟く。彼は今はもう穏やかな顔をして、ティアンナへと向けるその眼差しには確かな熱が込められていた。そして──
『ティアンナ──』
「っ……!」
彼の口から紡がれた名前。たとえ周囲の歓声にかき消されても、そこに込められた想いはしっかりとティアンナの元に届いてくる。
喜びに涙を滲ませながら、彼の言葉に応えるように何度も頷けば、安堵させるような微笑みと共に言葉が紡がれる。
『必ず迎えに行く』
「…………うん、待ってる……待っているから…………」
(だから必ず……生きて……勝ち残って……)
どこまでも自分を追いかけてきてくれたラスティグ。溢れ出す想いに胸が苦しくて、最後は言葉にならなかった。
嗚咽を漏らさないようにとぐっと堪えて俯けば、その間にラスティグは櫓を降りていた。
闘いはまだ続いていく。滲む視界の向こうに闘技場の出入り口へと消えていく後ろ姿を見つめ、ティアンナはその無事を祈った。




