2章122話 始まるそれぞれの長い一日
「さぁ、もうすぐ特別な催しが始まるよ!しかも今回は一際規模の大きな闘いだ!王の妃となった姫達をその手にする為に、一族の誇りと命を懸けての死闘だ!」
トラヴィスの祝祭日、首都ヴィシュテールの地下闘技場には多くの人が押し寄せていた。闘技場の周囲では既に賭けに興じる人々への呼び込みが盛んに行われている。
「なんと今回は各部族の猛者たちに加え、異国からの参加者もいるようだ!強さは未知数!倍率は高めだよ!」
声を張り上げる胴元へ、賭札を手にしようと人々が殺到する。その人混みの中をかき分けて進む者があった。特務部隊の副団長ジェデオンである。
「ちっ……どいつもこいつも浮かれやがって……」
「ジェドったら……そう不機嫌にならないの」
怪我の為に今回の闘技に参加し損ねたジェデオンは、不機嫌さそのままに怒りをぶちまけている。そんな彼を支えているのは、双子の妹のラティーファだ。
まだ怪我が完治していないものの、どうしてもこの闘いを見届けたいと言うジェデオンの為に、ラティーファが付き添い連れてきたのだ。
「これが不機嫌にならずにいられるか。人の妹を物のように扱いやがって……」
「ジェド……」
苛立ちの中に後悔が滲む。特務部隊へとティアンナを誘ったのは他でもないジェデオン自身だが、それがまさかトラヴィスの妃として選ばれるとは、彼としても心底予想外の出来事であった。
命の危険が伴うロヴァンスの花嫁。十年前の真実を知ってからは、兄としてティアンナをそんな状況に追い込んでしまったことに後悔しない日はなく、彼自身の手で取り戻せるなら地を這ってでも闘うつもりでいた。
だが己の怪我がそれを許さない。いくら動揺していたとはいえ、ナイルの攻撃に後れを取ったのはジェデオン自身だ。彼はあの夜の出来事を何度も反芻し、そしてその度に己の未熟さを悔んでいた。
そんなジェデオンに変わり、闘技について別の道を開いたのが、ロヴァンスの王太子ノワールと、ラーデルスの使者エドワードである。
彼等はアスランとの謁見に際し、交易路の管理の他に、闘技に参加させる人員についても交渉していた。
当初は異国人の参加を認めさせたくないのか、敗者には死という厳しい条件を課していたが、交渉の末、多額の金銭を納める事でも良いと認めさせた。それについてはラーデルス、ロヴァンス両国への賠償が発生したことが大きな要因の一つだろう。
結果、賠償金の減額という形でロヴァンスは見事、闘技参加の枠を勝ち取ることに成功したのである。
「ティアンナなら大丈夫。ロヴァンスの精鋭が負けるわけないわ」
「……そうかもしれんが……」
大事な局面で他の者に任せねばならないのが、悔しくて仕方ない。だが彼の瞳は諦めてはいかなかった。その勝利を信じ、まっすぐに前を見つめている。その視線の先には、闘技場の貴賓席にやって来たティアンナの姿があった。
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「来たか、ティアンナ。こちらへ」
「アスラン様……」
侍女や兵士に連れられて地下闘技場へとやって来たティアンナは、先に到着していたアスランの手招きによってその隣へ腰かけた。
今回は特別な催しという事で、周囲を天幕で囲まれた貴賓席となっている。他の席とは違い、敷布やクッションが用意されており、そこだけまるで宮殿内のように豪奢な造りになっていた。
「始まるまであと少しだ。今日の闘いは長丁場だから、酒や料理も用意しているぞ」
そう言ってアスランは一際豪奢なその席でくつろぎ、ティアンナの肩を抱き寄せる。侍女がその手の杯に酒を注ぎ、アスランはそれをティアンナへと差し出した。
「飲め。そう気難しい顔をしていては、闘いを楽しめん」
「……」
ティアンナとしてはとても酒を飲む気にはなれなかったが、差し出された物を断るわけにもいかず受け取る。だが口付けることなく、じっと闘技の行われる舞台を見つめていた。
その視線をアスランも辿る。今、舞台の上はまさに闘いの為の準備が進められているところだ。それが終わり次第、最初の闘いが始まる。
「気になるのか?……あの男の行く末が」
「……」
「だが勝ち残れなければそれまでだ。早々にくたばるようでは、お前を手に入れるのにふさわしくはない。勿論、この俺が直々に手に下す価値もない」
そう言ってアスランは嗜虐的な笑みを浮かべ、杯を傾ける。ティアンナはそれに答えることなく、ただじっと前を見据えていた。
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「出番だぞ!ついて来い!」
闘技の控えの間にやって来た兵士が叫ぶ。最初の闘いが始まるのだろう。ラスティグは俯いていた顔を上げ、他の者達とともに兵士の後に続いた。
控えの間を出て廊下を歩いて行くと、別の部屋から来たのか他にも同じようにして連れて来られる者達があった。かなりの人数だ。
やがて前方が一際明るくなる。そこから聞こえてくる歓声も、まるで海原が波打つように押し寄せてきている。これから始まる血生臭い死闘への期待が高まっているのだ。
皆がその熱気に煽られ興奮する中、ラスティグは周囲の参加者達へと視線を注ぐ。同じ部屋にいた者達は皆、囚人なのだろう。碌な装備もなく、武器も与えられてはいない。何より手枷がはめられたままで、両腕が鎖で戒められている状況である。
一方で他の部屋からの参加者はしっかりと防具を纏い、様々な武器を持っていた。彼等は囚人とは違い、闘いを生業としている者達のように見えた。
(……囚人側はかなり不利な状況だな……)
冷酷なあのアスランのことだ。武器を持つ者と持たない者とで試合を分けるとは思えない。そもそも囚人に武器を与えるかどうかも怪しい。そうなれば囚人達が真っ先に狙われることになるだろう。
そうこうしている内に闘技の舞台の入り口付近まで来たようだ。皆足を止め、前方にいる兵士達に注意を向けている。
やがて全員が集まったのを見計らい、兵士が声をあげた。
「これからくじ引きによる組分けをする!」
その言葉とともに、くじが入った複数の箱が順番に回された。ラスティグも手元に来た箱からくじを引き、赤い印の入った札を手にした。
「赤色の印が付いた札の者達が一番最初だ!青と緑、そして黄色の印の者は、それぞれ二番手、三番手、四番手となる!」
その言葉に皆は周囲の札を見回した。ランダムな組み分けだから、皆自分の札が有利な組かどうか確認しているのだろう。俄かにざわつきを見せたその場に、更なる兵士の言葉が響く。
「よく聴け!お前達のすることはただ一つ!組み分けされた者同士で闘うことだ!この場にいる者と、別の入り口にも待機している者達と合わせて、各組200名ほどいる!それが各組10名になるまで闘いは続く!」
参加人数の多さと勝ち抜ける者の少なさに、参加者達の間でどよめきが起こった。これだけの規模の闘技は余程珍しいのだろう。だがその分、勝ち残るのも難しい。最初の闘いでかなりの人数がふるいにかけられるのだ。
「あらかじめ知らせていた通り、今回の闘技は命懸けとなる!一般参加の者達で試合の途中で棄権する場合は、それぞれの入り口まで戻り兵士に棄権の旨を告げよ!また死なずともこちらが戦闘不能とみなした場合は、勝ち抜きの人数には入らず、負けとなるから覚えておけ!だが囚人達には棄権も戦闘不能もない!生き残るか、死あるのみだ!」
そう言って兵士は睨みつけるように参加者を見回した。特に動揺を見せているのは、囚人として参加する者達だ。
彼等は勝ち抜けばその罪を恩赦され、自由の身となる。だがそれゆえにかなりの厳しい条件が課せられているのだ。そしてラスティグもその囚人の一人として参加しなければならない。
武器も防具もなく、手枷という戒めを付けた状態。それでもラスティグの金色の瞳には、闘志の炎が燃え滾っていた。彼の中に諦めると言う言葉はない。どんな状況に陥ろうとも、必ず勝利を勝ち取るつもりだ。
「では赤色の印の者達よ!舞台への入り口へと進め!中へ入り、鐘が鳴ったら勝負の始まりだ!!」
その言葉に、同じ印の札を持つ者達が前へと進む。死闘の始まりだ──




