2章120話 再びの謁見
──トラヴィス王宮・謁見の間──
「使者殿、息災か」
「えぇ、つつがなく過ごしております。王様の方もご無事なようで。先日の騒ぎでは肝を冷やしましたが……」
「あぁ、あれくらいは問題ない。ちょっとした余興だ」
「左様でございましたか」
トラヴィスの王宮──その謁見の間で、エドワードは再びアスランとまみえていた。
先日の騒ぎからこれまでも何度か謁見を申し込み、ようやく今日になって許可が下りたところである。
件の闘技場の騒ぎについては、あらかじめ新たな余興の不具合による事故だったとの説明があったが、それをまともに信じるほどエドワードは愚かではない。
先日帰還したばかりのユリウスから既に報告を受けており、ティアンナを囮にして対抗勢力のあぶり出しを狙ったことは容易に想像できた。
(……恐ろしい男だ……)
エドワードは跪きながらそう感じていた。
己の妃として迎え入れた女を容赦なく利用する冷酷さを持ちながら、闘技という娯楽を通じて民の心を掴み、軍事力の増強や経済の発展にまで生かしている。王としての力をまざまざと見せつけられていた。
そんな国と、エドワードの祖国であるラーデルスは隣接しているのだ。ましてやこれまで秘匿されていた抜け道が見つかったこの状況。下手を打てばラーデルスにとって、大きな痛手となりかねない。
(直通の抜け道が見つかったからには、この国と敵対することはどうしても避けねばならぬ)
それが至上命題だ。だが正直なところ、エドワードは自分の滞在中にその抜け道が見つかるとは思っていなかった。それはまさに切り札と言ってもいいほどの発見だが、逆にもろ刃の剣となる危険性も孕んでいる。
つい先ごろ、エドワードの持つ離宮がトラヴィスの兵に襲われたのは記憶に新しく、それにより王家の弱体化が白日の下に晒されたのは言うまでもない。状況によっては、直通の抜け道が新たな争いの火種にならないとも限らないのだ。
だがノルアードという新王に代替わりしたラーデルス王国は、敢えて国を開くことによって外側からの守りを固めていくように方向を転換している。今回のトラヴィス王国への使者の派遣は、まさにその第一歩となるべきものだった。
ラーデルスの排他的な風習は、その血筋すらも自国内のみにこだわっていたせいで、貴族達の腐敗や、激しい王位争いによる王族の減少に繋がってしまった。そして気付かぬ内に他国の勢力の侵入までも許す結果となったのである。
今後の自国の舵取りの為にも、今回の外交は必ず成功させなければならないとエドワードは確信していた。
そしてその交渉について切り離せないのがロヴァンスの存在だ。
当初、ラーデルスから使者を出すにあたり問題となったのがその行程である。これまで国を閉じていたラーデルスは、外交の拠点となる場所が全く無く、それゆえにトラヴィスへ使者を向かわせるのは、砂漠を越えなければならないこともあり、非常に困難であった。
そんな中、光明を見出したのがラーデルスの現王妃キャルメである。ロヴァンスの王族出身の彼女は、トラヴィスへと使者を出すにあたり、チャンセラー商会の助力を祖国に要請したのだ。
勿論その見返りとして、交渉の際にはロヴァンスの情勢も考慮に入れるというのが条件として入れられていた。だがそれは両国合同の交易路開拓には必要なことであり、またラーデルスにとってもトラヴィスとの交渉に際し、大国ロヴァンスの後ろ盾があることは非常に心強い。
そして現在──エドワードの両肩には、ラーデルス、ロヴァンスの二国の思惑がのしかかっている。
アスランという人物を見る限り、一筋縄ではいかない事は承知の上だ。だがエドワードとて伊達に王族として長年生きてきたわけではない。一つ間違えば足を掬われ陥れられるような日々に、自らの美貌と才能を生かし、時には人に言えぬあらゆる手段を講じ生き延びてきたのだ。
今でこそ王位争いから退き、一貴族として穏やかな日常を手に入れたが、それでもこれまで培ったものが無くなった訳ではない。むしろ外交を任された今こそ、その才能を発揮すべき時だと感じていた。
(さて……どう切り出すかな……まずは必要な情報が欲しい)
エドワードが思案していると、アスランの方から声が掛かる。
「それで今回は何の話があるというのかな?使者殿」
「……その前に一つよろしいでしょうか?」
「うむ、なんだ?」
「ロヴァンスのお妃様はご無事なのでしょうか?双子の姫君達が安否を気にしておりましたので……」
「あぁ、それについては問題ない。少々体調を崩したくらいだな。妹姫達にも私から直接知らせを出しておこう」
「ありがたきお言葉、恐れ入ります」
エドワードはアスランの言葉に深々とお辞儀をして応えた。ロヴァンスにとっても、またエドワード個人にとっても、最も気になっていたティアンナの安否について、アスラン自身の口から聞けたのだ。
ユリウスの報告では敵に捕らわれたティアンナが無事かどうかまではわからなかったが、行軍を率いていたアスランが王都に戻り無事だと言うのならば、それは真実なのだろう。
(まずは一つ……あともう一つだ)
「王様、もう一つお伺いしたき事がございます」
「なんだ?よい、発言を許す」
「ありがとうございます。その、此度出された触れについてですが……」
「あぁ、それがどうした?」
「王様の妃を闘技の勝者に下賜するというのは……本当のことなのでしょうか?」
エドワードが問うたのは、先日出された特別な触れについての事だ。それによれば、後日開催される特別な闘技に置いて、その勝者にアスランの数多くいる妃を褒美として下賜するという内容のものだった。
それが知らされるや否や、ロヴァンスの陣営はとんでもない騒ぎとなった。
その話が本当なら、うまくすればティアンナを取り戻すことができるわけだが、逆に全く見知らぬ相手にティアンナを奪われる危険もあるからだ。
エドワードのその問いに、アスランは一瞬目を丸くした後、弾けるようにして笑いだす。
「……ふふふ、ははははは!そうか、使者殿も我が妃に懸想する男の一人だったか」
「っ……王様、それはっ」
「よい、わかっておる。ティアンナはあれだけの女だ。強く気高く美しい花が、多くの男を引き付けるのは当然のこと。だからこそ、闘いの場を設けるだけの価値があるというもの」
アスランは何でもない事のようにそう言って笑いを噛み殺す。ラーデルスの使者としてやってきた男さえも虜にするティアンナに、本心はどうであれ満足気な様子だ。それは彼女が己の物であると確信しているからこその言葉なのだろう。
エドワードは内心苦々しく思いながら、表にはそれを出さずに話を続けた。己の闘うべき場所は今ここなのだと信じて。
「闘いには広く参加者を集うとのことですが、それは異国の者へも開かれているのでしょうか?」
「あぁ、妃達には等しく下賜の機会を与えるつもりだ。全ての部族が闘いによって妃を得る権利を有する。もちろんそれはロヴァンスの者にも当てはまる」
アスランはエドワードを見下ろし、そう断言した。その言葉こそ、エドワード達が欲していたものだ。
「では……」
「だが流石に彼等の到着をのんびりと待つつもりはない。それに既にロヴァンス側から出る者は一人決まっている」
アスランの言葉に、エドワードの思考は一瞬固まる。
(なんだって?!……もう決まっているとは……一体どういうことだ?)
今まさにこれからその闘技の参加について言及するはずだったのに、アスランは既に決まっていると言う。
「それは……本当でございますか?」
驚きに動揺を隠せずにいると、アスランはその様子を嘲るようにして眺めたまま話を続ける。
「あぁ、勿論本当だ。他にも出たいと申す者がいれば断ることはしない。だが闘いは命懸けだ。我が国の者であれば、負ければ死と忠誠を天秤にかけさせるが──異国の者にはそれは出来ぬだろう?」
そう言って嗜虐的な笑みを浮かべるアスラン。
(……勝てば妃を手に入れ、負ければ死。その死を逃れるためには、王に忠誠を尽くす必要があるということか…………うまく考えてられているな……ただの見世物としてだけの催しではないということか)
アスランはあえて妃達の一族に向けて闘いの場を用意することで、各部族が抱える鬱憤を晴らさせるつもりなのだろう。相手が負ければ死をもってその戦力を削ぐことができるし、生き残ったとしても忠誠を尽くさせる形で動きを封じることができる。
(そして敢えての牽制か……ロヴァンス側からは余計な人員を出させたくないのだろうな……)
異国の者には尽くすべき忠誠を求めることができない。すなわち負ければ死のみとなる。全ての妃達に下賜の可能性があるとしても、アスランはティアンナを手放す気はないのだろう。だがそれでは共に連れてきた客人が満足するはずもない。
「……なるほど、よくわかりました。何分急な事で、ロヴァンスのお妃様の行く末を妹姫達も気にしておりましたので……」
「はは、そうだな。あの者らにとっては気になって仕方ないだろう。だが安心するといい。これは古来より伝わる嫁取りの方法だ。欲しい女を手に入れる為に、己の力を示すのは当然のこと。ましてや俺が負けるわけがない」
「……とおっしゃいますと、王様も闘技に出られると……?」
「勿論だ。そうでなければ民も納得せぬだろう」
さも当たり前のように言うアスラン。彼は余程腕に自信があるのだろう。己が負けることなど考えもしていないようだ。
(さて、どうしたものかな……)
交渉する前に道を塞がれたような気分だ。だがそれで諦めるエドワードではない。何より客人の方がこれ以上は黙ってはいられない様子だ。
「ところで使者殿は此度の触れについて聞きに来ただけなのかな?それとも間諜を仕込む為に来たのだろうか?」
「っ──……これは恐れ入りました。お気づきでしたか」
「普通の護衛が、そのような気を纏うことは滅多にない。だが間諜にしては変装が下手だな」
そう言ってアスランが鋭い視線を向けたのは、エドワードの護衛の一人である。変装を指摘され観念したのか、その者は兜を脱ぎ跪いて俯けていた顔を上げた。
「変装については急場しのぎでしたので……お久しぶりでございます、国王陛下」
「貴殿はロヴァンスの……」
「はい、ロヴァンス国王ウラネスが一子、ノワールにございます」
そう言って頭を下げたのは、ロヴァンス王国の王太子ノワールだった。




