2章119話 集結した者達
──王都ヴィシュテール・チャンセラー商会の一室──
「ジェデオン様!無理です!その身体では……!」
「……うるさい、これくらいの傷、どうってことはない!」
ナイルにより瀕死の重傷を負わされたジェデオンは、治療の甲斐あって数日前にようやく意識を取り戻した。未だ傷は完全には塞がっておらず、医師からは絶対安静を言いつけられている。
しかし部下からの報告を聞いたジェデオンは、そんな事などお構い無しに寝台から起き上がろうとしていた。
「ジェド……傷がまだ塞がりきっていないのはわかっているでしょう?それではまた同じことの繰り返しよ」
「ティファ…………」
窘めるようにして彼を諭すのは、双子の妹のラティーファだ。部下が必死に止めようとしても頑として言う事を聞かなかったのに、ラティーファの言葉にだけはジェデオンも耳を傾ける。
ポワーグシャー家の三女であるラティーファは、普段はふわふわと掴みどころのない女性だが、ジェデオンを説き伏せる事ができる数少ない人物である。そういった点ではチャンセラー商会、ひいては特務部隊の者達に一目置かれる存在だった。
そんなラティーファに諭されて、ジェデオンは不満げに口をひん曲げた。自身でも体調が万全でないことをよくわかっている。だがそれでもこの状況を黙って傍観していることはできなかった。
「ティファも聞いたのだろう?あのふざけた触れの事を……これで黙っていろという方が無理だ!」
「ジェド……それは勿論わかっている……わかっているからこそ、ジェドを行かせるわけにはいかないわ。その身体では無理よ」
「だが他の者に任せてはおけない。この俺が……くっ!」
無理に起きようとして傷が痛んだのだろう。ジェデオンは腹を抱えるようにして蹲る。そんな彼に声をかけたのは、思わぬ人物だった。
「ラティーファの言う通りだぞ、ジェデオン。冷静なお前らしくもない」
「っ──王太子、殿下?」
部屋に入ってきたのは、護衛騎士を引き連れたロヴァンス王国の王太子、ノワールだった。
「動いては傷に障る。そのまま寝てるんだ。そう、これは王太子としての命令だぞ。いいな?」
「っ…………はい」
自国の王太子にそう言われてしまえば、ジェデオンとて逆らうわけにはいかない。悔しい思いを何とか胸の奥に飲み込んで、大人しく体を横たえる。
そんな不貞腐れた子供のようなジェデオンの様子に、ノワールは苦笑を漏らしながら側にある椅子に腰かけた。
「はは、相変わらず頑固な奴だ。まぁいい。見舞いには王太子としてでなく、お前の友人であり義理の兄として来たわけだからな。瀕死の重傷を負ってもなお、それだけの気概があるのを知って寧ろ安心したぞ」
そう言ってノワールは、ジェデオンの頭に手を載せ、幼子にするようにポンポンと優しく触れた。
幼少の頃よりジェデオンは親友ハデスの弟として共に剣を学んだ仲で、ノワールにとっては弟のような存在だった。今でこそ本当の義理兄弟となったわけだが、以前から実の弟のように思っていたことに変わりはない。
だからつい幼い子供にするように接してしまうのだが、ジェデオンとていい歳の大人である。子供扱いに不満を募らせるも、王太子が隣国まで来ているというこの状況について問いただした。
「っ……それで王太子殿下は何故こちらに?トラヴィスへいらっしゃるという話は聞いておりませんでしたが……」
「あぁ、それなんだがな。お前も俺が大森林の開発を任されていたことは知っているだろう?」
「はい、確かラーデルスとの共同事業で、殿下直々に指揮を執られることになったとか……まさかそれで……?」
「あぁ、そのまさかだよ。大森林の奥、山脈の麓にトラヴィスへの抜け道を見つけた。その内部を調査し奥へ進んだところ、トラヴィスの北東へと抜け出たのだ」
「……本当にそんな道が……」
信じられないと言うように目を見開くジェデオン。ラーデルスとの国境沿いにある大森林の奥に、トラヴィスへの抜け道があるというのは、正直なところ半信半疑だった。
元々あの場所は人の手の入らないほど広大で深い森だ。その上、国境を跨ぐという非常に政治的に微妙な土地でもある。
だからこれまで明確な国境の線引きが為されず、碌な開発もされずに放置され続けていたのだ。それゆえに盗賊のはびこる温床となっていたわけだが、まさかそこに隠されたトラヴィスへの道があるとは、誰が想像できただろう。
「ラーデルスのノルアード国王は、流石キャルメが夫にと自ら望むほどの人物だな。彼の慧眼が無ければあの道は見つけられなかっただろう。これで我らはトラヴィスへの交渉に有利な手札を一つ手に入れたわけだ」
ノワールはそう言って満足気に頷く。どこか嬉しそうなのは、愛する妹の選んだ相手が、ノルアードで間違いなかったと確信できたからなのだろう。王太子という時に非情な決断を成さねばならぬノワールだが、その一方で家族思いの普通の兄なのだ。
「ではこれからトラヴィス国王との謁見を?」
「あぁ、そのつもりなんだが、思ったよりもこの街へ入るのに手間を取られてな……随分と警備が物々しいのもあって、まだ謁見の許可は下りてない」
「っ──それでは、一週間後の催しに間に合わないのでは……!」
「いや、そこは少し考えがある」
──────────────
翌日──
「エドワード様……大丈夫でしょうか」
「心配するな。これでもラーデルスの王族の一人として来ている。その要請を無碍にするほど、この国の王は愚かではないはず」
「ですが……」
不安げな声をあげたのは、つい先日帰還したばかりのエドワードの護衛騎士ユリウスである。
彼等は今、ラーデルスの使者一行として、トラヴィス国王との謁見を待っていた。
「いずれにせよこのタイミングで謁見の許可が下りたのだ。向こうもこちらの求めるものをわかっているのだろう。後はそれをどうこちらに優位な形でもっていけるかだ」
エドワードはそう言って余裕の表情を崩さない。目まぐるしく変わる情勢に対し、ユリウスはそれらを理解するだけで精一杯だが、エドワードは更にその先まで考えを巡らせているらしい。
「それもそうですけど……」
エドワードの言葉に納得はするものの、未だ心配そうな様子のユリウス。そわそわと落ち着かないのは、謁見の内容だけが理由ではない。
「ユリウス、そんな気弱な様子では足元を見られるぞ。エドワード様の護衛騎士としてもっと堂々としろ」
「うっ……!は、はい!」
そう言ってユリウスを叱咤したのは、老騎士ジェラルドである。
トラヴィスへの抜け道を使いラーデルスから来た彼は、ノルアード国王の書状を持ってきていた。それをエドワードへと託し、今は護衛の一人として共にいる。
一方のユリウスは、思わぬ所で上司と共に仕事をする羽目となり、謁見の前から大いに緊張を強いられていた。
「だいたいお前は、調子の良し悪しをすぐに相手に見破らせてしまう。それではいっぱしの護衛騎士とは言えないぞ。鋼の精神をもって、どんな時も表情を崩さず事に当たらねばならん。なのにお前ときたら──……」
最初のお小言を皮切りにジェラルドのお説教は続き、ユリウスは変な汗を一人ダラダラと流す羽目になった。その様子を見てエドワードは声をあげて笑う。
「ははは、相変わらずだな二人とも。じぃ、あまり私の護衛をいじめないでくれ」
「そうおっしゃられましてもエドワード様。これはまだまだひよっこ。御身を守る為にも、よりビシバシと鍛え直させねばなりませぬ」
「ひぇぇぇっ!」
「ははは!そうか、それもそうだな。ユリウス、諦めて頑張れ」
「ちょっ!エドワード様!」
老騎士と若騎士のやり取りに、エドワードは楽し気に笑う。彼にとっては二人とも信頼の置ける騎士であることに変わりなく、心許せる数少ない相手だ。
そんな彼等がどこかふざけ合うようにしているのは、国を背負う使者としてのエドワードの緊張をほぐす為もあるのだろう。それをわかっているからこそ、エドワードは彼等のやり取りをそのままにしていた。
そうこうしている内に時が経ったようだ。控えの間の扉を叩く者があり、謁見の時間がやって来たことを知らせる。
「エドワード様……」
「大丈夫だ。全てうまくいく。そう信じてこそ道は開けるはずだ。皆、行くぞ」
「……──はいっ!」




