2章112話 ラスティグの戦い
アスランの号令に兵士達が一斉に襲い掛かる。ラスティグは馬首を返し、攻撃を躱さんと試みた。だが──
──ヒヒィィンッ!──
「くっ……!」
真っ先に狙われたのは馬の方だった。悲痛な嘶きと共にドオッと馬体が崩れ落ちる。
ラスティグはその下敷きにならないように、ティアンナを守りつつ地面を転がった。だがそこには既に敵の刃が迫っていた。
──ガッ!!──
眼前に突き立てられる刃を寸での所で躱す。
頬を掠め鮮血が散るも、その痛みに怯む余裕はない。体勢を立て直す前に次の攻撃がやってくる。
──ギィンッ──
「っ……!!」
「ラスティグっ!!」
何とか抜刀しその一手を防いだ。だが未だ片膝をついた状態。碌な防御を取れぬ内に、相手の足が腹にめり込む。
敵は蹴りで体勢を崩し、一気にとどめを刺そうとしたのだろう。だがラスティグは、王国一と謳われるほどの騎士だ。痛みに怯むことなくすぐさま体勢を立て直し、続く攻撃を躱していく。激しい剣戟の音が闇の中に響き渡った。
不利な状況の中、兵士達との戦いが続いていく。だがラスティグの剣は一向に揺らがない。守るべき大切なものの為に、誰よりも強い信念がそこには宿っていた。
「……なかなか使えるようだな…………面白い……」
暫くラスティグと兵士達との戦いを静観していたアスランは、くつくつと楽し気に喉を鳴らした。自ら相手をするのに相応しい獲物を見つけたということなのだろう。
瞳に獰猛な光を宿し、吊り上げた口の端に牙を剥く──砂漠の王者は血を欲していた。
「……俺が相手をしよう……貴様の首をこの手で落としてみたくなった」
「っ──」
アスランが前へと出るのと入れ替わるようにして、兵士達が後ろへと下がる。王の獲物には手出し不要ということなのだろう。自分を守るべき兵士達が傍観する中、アスランは余裕の表情だ。
「ラスティグ……」
「心配ない……相手が誰であろうとも勝つだけだ」
不安そうに見上げるティアンナに、ラスティグは笑みを見せる。相手がどれほどの使い手かは分からないが、負ける気はない。
だがアスランにとってそれは愚かな戯言でしかなかった。冷徹な眼差しのまま歯向かう者へと、その死を宣告する。
「──王自らの手でこの土地を血で潤す名誉を賜るのだ。その死を誇るがいい」
闇夜に浮かぶ冴え冴えとした月のように、冷たく光る刀身が露わとなる。それはただの飾りではない。歯向かう数多の敵を屠ってきた血塗られた得物──
──ついに砂漠の王者がその刃を抜いた。
「……負けるつもりはない。必ず彼女を祖国へと連れ帰る」
ティアンナを後ろに下がらせたラスティグは、負けじと眼差しを強くして剣を握り直した。
油断ならない相手──ビリビリとひりつくような殺気が辺りを漂う。そのあまりにも異様な空気に誰かがゴクリと喉を鳴らした、その時──
──ガギャンッッ!!──
揺らいだ空気を合図に互いに斬りこむ。だがどちらも相手の一撃を難なく受け止め、弾かれるようにまた後ろへと下がる。その一瞬のやり取りだけで、両者の技量は拮抗しているかに見えた。
ラスティグは初手は敵の出方を見るに留めていた。しかし技量に差が無いと見るや、すぐさま次の一手を繰り出していく。
──ギィンッ!ガッ!!ガギャンッ!!──
受け止められることを前提に斬りこんだ続けざまの三撃。あまりに素早くそして重い連撃に、アスランの顔が歪む。だがそれは苛立ちや焦りからくるものではなかった。
ラスティグはアスランがこれまで対峙したどの敵よりも鋭く、研ぎ澄まされた剣技を持つ相手だ。刃を交える度にアスランの戦士としての血が騒ぐ。
それは底辺から己の力だけでのし上がってきた男の、仄暗い欲望を呼び覚ますものだった──
「……いいね」
──シュッ!!ガギィンッ!!──
お返しとばかりにアスランは重い一撃を入れた。受け止められることは承知の上。だが敵の眼前に迫るよう、真正面でそれを受け止めさせた。そして──
──ザッ……!!──
「くっ……!!」
突然、砂がラスティグの目を襲う。懐に入りこまれて視野が狭くなったその隙に、アスランが地面を蹴り上げたのだ。
「ははっ!お綺麗な貴様の剣には無い技だろう?!」
──ガギャンッ!!──
「っ……!!」
怯んだ相手の懐に飛び込みつつ鋭く斬りかかるアスラン。それをラスティグは相手の気配だけで何とか躱す。
視界が悪い──目の痛みに加えて、もともとが暗い中での戦い。流石に相手の気配だけでは続く攻撃を見切る事はできなかった。
──ドガッ!!──
「ぐっ……」
「こういう戦いは初めてか?……ならばたっぷりと堪能するがいいっ!」
嬲るように入れられたのは、蹴りによる胴体への重い一撃。笑みを深めたアスランは続けざまにそれを食らわせた。
「ラスティグっ!!」
内臓を抉るような鋭い連撃に堪えきれず、ラスティグは崩れ落ちた。だが獲物に逃げる隙を与えるつもりのないアスランは、更なる追撃の為にその刃を高く振りかぶる。しかし──
──ガッ!ザシュッ!!──
「なっ!?」
足首への痛みと共に浮遊する感覚。そしてすぐさま肩に強い痛みが走った。思わぬ衝撃にアスランはよろめき、武器を落とさぬよう咄嗟に右肩を庇う。
「……浅かったか……!」
「っ……貴様……!」
痛みに崩れ落ちたかのように見えたラスティグは、そのままの姿勢で足払いをかけ、アスランが体勢を崩した一瞬の隙に鋭い突きの反撃に出たのだ。
十分な構えで無かった為、それは相手の肩を掠めるだけに留めただけだ。だがそれでも王者の逆鱗に触れるのには十分だった。
──ビュッ!!──
「っ──!!」
未だ片膝を地面についたままのラスティグへ向けて、鋭い斬撃が振り下ろされる。横に避けて躱すも、空を斬る鋭い音に斬撃の凄まじさを思い知らされる。
「……殺す──」
七色の瞳の奥に激しい怒りを燃やしながら、アスランは続けざまに斬撃を繰り出していく。だがラスティグも黙って受け入れているわけではない。
攻撃を躱しながら体勢を立て直しつつ、相手の刃を剣で受けていく。そして反撃の機を窺っていた。しかし──
──ヒュンッ!──
「っ──!?」
「ぐっ……!!」
「ラスティグっ!?」
殺気に満ちた空気を裂くように一閃する何か。その何かによって、今度こそラスティグは崩れ落ちた。
苦し気に顔を歪めて倒れ込むラスティグの左足には、どちらのものでもない小刀が刺さっていた。
「何者だっ!」
一対一の勝負に水を差され、怒りを露わにするアスラン。だが彼の問いに対する答えは、思わぬ形で明らかとなる。
「うわぁっ!!」
「何だ!?」
周囲の兵士達が騒ぎ出す。何者かに襲撃を受けているのだ。
剣戟と悲鳴の合間を舞うようにひらひらと何かが蠢いている。時折見え隠れするのは、感情の無い大きな目。その襲撃者の姿に、アスランは息を飲む。
「っ──貴様は……っ!!」
明けきらぬ夜明けの空に一際濃い影を落とす者。
『……ミツケタ…………ロヴァンスノ花嫁……』
死の梟が再び舞い降りた──




