2章104話 崖上での攻防
閃光による一瞬の隙──アトレーユは咄嗟にイサエルが掴んだままの手枷の鎖を、思い切り自分に引き寄せた。
「なっ!」
緩んでいた鎖が限界まで伸び、イサエルの身体が前に傾く。そのままアトレーユはイサエルを背負うようにしてしゃがみこみ、そして──
──ガッ!!──
しゃがんだままの姿勢で足払いを繰り出せば、既に体勢を崩していたイサエルはたまらず倒れこんだ。反動で拘束が外れ、その機にアトレーユは一気に駆け出す。
「待てっ!!」
怒り狂った声が背後から聞こえる。だが止まるつもりなはい。騎士としての勘がこの好機を逃すなと告げていた。
敢えて崖近くの縁をひた走る。照明用の花火や谷底で燃え盛る炎によって、峡谷は随分と明るくなっていた。
だが足を踏み外せばひとたまりもない。それに進む先にはイサエルの手下が大勢待ち構えている。眼前に迫る敵──そして──
「なっ!貴様!」
──ドンっ!!──
「うわぁぁぁぁ!」
こちらに気付いた敵が武器を構える前に、アトレーユは迷うことなく相手を崖下へと突き落とす。そして振り返らずにそのまま走り抜けた。
(まだこっちに気付いていない……!行けるっ!)
敵は未だ崖下のアスラン軍に気を取られており、アトレーユに気が付いていない。隙だらけの所を次々と先制で体当たりを食らわせていくが、それも長くは続かなかった。
「動くな!」
「っ──」
向かってくるアトレーユにいち早く気が付いた敵の一人が、腰から剣を抜いて進む先に待ち構えていた。
(丸腰では圧倒的に不利だ──しかしこのままでは……)
武器が無いのに加え、体力の限界が近い。しかしここで足を止めればイサエルに追いつかれてしまう。挟み撃ちになれば、ますます勝機は遠のくだろう。
「大人しくしろ!止まれ……!」
相手はアトレーユの身の安全を考慮してか、じりじりと距離を詰めるのみで襲い掛かってはこない。だが剣をちらつかせて動きを封じようとしている。
(道を塞がれたか……)
あえて崖の縁近くを選んでいたのは、谷底の炎に照らされて僅かだが足元が見えるからだ。少しでも崖を離れればそこは完全な闇が支配し、進むのは困難を極める。しかしもう迷っている暇はない。アトレーユは決断を下した。
「!!待てっ!」
崖から離れるようにして一気に駆け出す。足元はほとんど見えない。それでも止まるわけにはいかなかった。
「つっ……!」
尖った岩が足にぶつかり痛みが走る。暗闇で見えないが、血が出ているかもしれない。それでもアトレーユは足を動かした。
(緩やかに傾斜している……このまま行けば下へ合流できるかもしれない!)
漆黒の闇の先に僅かな光明を見出し、アトレーユは必死に走り抜けた──




