2章96話 思わぬ再会
砂漠の闇は、その波間に更なる影を作りだす
月夜に凍える者達が、安らぎの眠りにつく前に
その闇に捕らわれて生き延びられる保証はない
そこは地獄への入り口なのだから──
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「う……」
ガンガンと痛む頭に意識が次第にはっきりしてくる。息を吸うと埃っぽさに思わずむせた。
目を開ければ辺りは暗く、僅かな光が壁らしき場所の隙間から漏れているのみ。
「ここは……?」
状況を理解できずに、アトレーユは小さく声を漏らした。
身じろぎをすると、じゃらりと金属の音がした。手と足が拘束されている。
(一体何があった……?)
必死に記憶をたどり、何が起こったのか思い出そうとする。
(確か闘技場で水流に飲まれて……その先でヒラブとかいう男と出会って……)
ヒラブと遭遇した後、彼は水路を独りで逃げ、アトレーユは彼を追って来た何者かに捕まったのだ。
次第に鮮明になる記憶をたどり、今の自分の状況を把握していく。目の前には薄暗い闇が広がっていた。
床に転がされているようで、視界がとても低い。薄暗い中に目を凝らせば、木の骨組みに布が貼られた天井が見えた。
手足を拘束されているとはいえ、床には絨毯のようなものが敷いてあるのだろう。固さは感じるものの、身体が痛くなるほどではない。
「……ここは既に王都ではないのだろうな……」
部屋の作りを見ると、移動式の天幕のようである。独特の文様の絨毯や木組みがその事を物語っていた。
だがその疑問の答えは、想像よりも早くもたらされることになった。
「その通りよ。ロヴァンスのお姫様」
「っ──!」
天幕の入り口が開き、松明の灯りが室内に差し込むのと同時に人影が入ってくる。
「そうしているのを見ると、とても男装の騎士だったとは思えないわね。薬をかがせて何日も起きないから、死んだかと思ったのに」
「……っお前はっ!……レーン!」
「あら、覚えていただいて光栄だわ。……でも本名じゃないのよそれ、フフ」
床に伏すアトレーユを見下ろしながら、くすくすと女は笑った。茶色の長い髪に、スレンダーな肢体は、かつてラーデルス王国で見た令嬢レーンその人だ。
「何故お前が……」
「フフ……貴女と会うのは久しぶりだものね。でも、貴女の知り合いにはもう会っているのよ?」
「……どういうことだ?」
「あら、聞いてないのかしら?路地裏で腹を貫かれた男のこと」
「っ──!まさか!!」
「フフフ……もう死んじゃったのかしら?」
嫣然と微笑む女は、人の死について何の憂いも抱いていないように語る。女が言う“腹を貫かれた男”というのは、兄──ジェデオンのことだろう。
ジェデオンが瀕死の重傷を負った事は双子の妹達から聞いていたが、それにレーンが関わっているとは思っていなかった。
激しい怒りの炎が、身の内を焦がす。感情のままに手足の戒めを解こうともがくも、虚しい金属の擦れる音だけが天幕の中に響くのみ。その様子を上から静かに眺めながら女は呟いた。
「アスラン王が何故、貴女を花嫁に選んだのかよくわかるわ。女神のような美しさの中に、激しくて強い意志の炎を秘めている貴女を──」
誰に問うわけでもなく、女はアトレーユの前にしゃがんでその顎に手をかけ、上を向かせる。
「その白い肌と輝く銀の髪は、まさに色素の薄いロヴァンス人の象徴とも言える見た目ね。タゥラの民達が、憧憬と憎悪の相反する想いを抱くのが目に見えるわ……フフ」
アトレーユの紫の瞳を見つめながら、女はその赤い唇を歪めて笑った。その物言いとアスランの名を語る際の嘲るような眼差しに、アトレーユはある確信を得ていた。
「……お前達はアスラン王と敵対しているのか……?」
「……敵対ですって?」
女がアトレーユの言葉に、さも意外というように目を丸くする。そして突然狂ったように笑いだした。
「あははははは!敵対ですって!あははははは!」
「何がおかしい?お前達は一体なんなのだ!」
笑い続ける女にアトレーユが苛立ちを募らせれば、女は楽し気にその表情を見つめた。
「敵対なんて、そんな生易しいものじゃないわ……けれどそれを貴女が知ったところで、何も変わりはしない」
語られる言葉のその意味を真に理解することなどできないだろうと、馬鹿にしたように女の目が細められる。そして再び立ち上がると、天幕の外にいる部下に命じた。
「この者をイサエルの下へ連れていけ!」
「はっ!」
真っ黒い影達が女の命令を行使しようとアトレーユを取り囲む。
「……鷹の気に入ればいいけどね?そうでなければ花嫁の血が、この砂漠を潤すことになるわよ」
女はアトレーユへ僅かながら同情の眼差しを向け、その場から去っていった。




