2章93話 王者の見る夢 6 ~運命を変える邂逅~
路地裏での危機を脱した青年は、そのまま雑踏に紛れ、貧民街にあるねぐらとしている廃墟を目指した。
まだ先ほどの男達が付けているかもしれないと、あえて身に着けていた外套を脱いで腰に巻く。青年の珍しい金とも茶とも見える髪色が、照り付ける太陽に輝いた。褐色の肌は闘技で鍛えられた筋肉で覆われ、珍しい七色の瞳は鋭い眼光を放っている。
時折その色の珍しさに人々が振り返るが、この貧民街では他者を気にする者などほとんどいない。皆、日々の暮らしに精一杯なのだ。
特に人の多い通りへと出て、屋台が並ぶ中へと足を踏み入れる。家へ帰る前に、腹ごしらえでもしようと思い物色していると──
「っ──……」
前からやって来た背の高い男が、じっとこちらを見ているのに気が付いた。頭から砂色の外套を被り顏を隠しているようだが、明らかに青年の様子を窺っている。
青年は一瞬、兄のサウルヴァスが寄越した王宮の兵士かと訝しんだが、どうやら相手は外国人のようだった。砂色の外套の隙間から僅かに見えるその肌は、砂漠の街には珍しい色の白いものだ。
青年は疑問に思いながらも、相手から敵意を感じなかったので、そのまま無視して通り過ぎようとした。しかしすれ違いざまに相手から声が掛かった。
「あの……貴方様はもしかして……」
「っ──!」
続く言葉が青年の正体を知るものだとわかると、すぐさま男の懐に飛び込み、その喉元にナイフを突きつける。護身用に忍ばせてあったごく小さなものだが、急所に当てれば脅しにくらいは使えるものだ。
「……何を知っているのか知らんが、余計な事は言わない方が身の為だぞ」
「あ……いえ……私は……」
砂色の外套の男が、どもりながらも自身の顏を晒そうとした時──
「いたぞっ!あそこだ!!」
先ほど路地裏で襲い掛かって来た男二人が、人混みを掻き分けて青年たちの方へやって来た。
「ちっ……!案外しつこいな」
青年は舌打ちを一つすると、目の前の外套の男を突き飛ばし駆けだした。後ろからは追いかけてくるごろつきの怒号が聞こえてくる。
相手が二人程度なら青年の実力であれば、簡単に屠る事ができるだろう。だが無駄な殺し合いで兵士に目をつけられたくない青年は、逃げる事を選択した。どうせ相手を倒すのなら、闘技のような金になる場所でなければ利がないからだ。しかし──
「ぐあっ!」
「きゃあぁっ!!」
「うわぁっ!!」
──ドサッ──
うめき声と悲鳴が上がり、それに続いて何かが倒れるような音がした。それと共に追跡者の足音と怒号は止み、人々の騒めきが大きくなる。
青年は何事かと思わず振り返った。そして目の前の光景に目を見開く。
「……な、……」
先ほど突き飛ばした砂色の外套の男が、倒れた男二人を見下ろしていた。その手には血に染まる剣が握られている。
銀色に輝く長剣から滴り落ちる血が、石畳の地面を濡らす。すぐさま周囲の人間が、「人殺しだ!」と兵士を呼ぶようにと声を上げる。
「ちっ……!馬鹿な事を……!」
青年は舌打ちをすると、腰に巻いていた外套を再び羽織り、目立たぬように人混みに紛れた。
路地裏での殺しならば兵士は来ないだろう。しかしここは貧民街とは言え、商店も並ぶ人目の多い場所だ。そんなところで剣を血で濡らせば、さすがに治安維持の為の兵士が呼ばれるに違いない。
青年はこれ以上は関わらない様にと、すぐさまその場を離れた。しかし──
「お待ちください!」
砂色の外套の男は剣を鞘に仕舞うと、何と青年の後を追いかけて来たのだ。青年は外套を深く被り、ついてくる男を無視しながらひたすらに人気の無い場所を目指して走り抜けた。
そしてようやく人のいない場所へとやってくると、立ち止まって振り返る。そこは内戦の爪痕が色濃く残る、瓦礫ばかりの廃墟だ。
「……俺に何の用だ?」
低い声で凄めば、相手はある程度の距離を保ち立ち止まる。しかし逃げる様子はなく、頭まで覆い隠していた外套に手をかけると、それを外した。男の顏が太陽の下に晒される。
「……いきなり失礼いたしました……私の事を覚えておいででしょうか?」
「…………お前は……!」
男の顏に、青年は見覚えがあった。黒く真っ直ぐな髪と色白の肌、氷のような瞳。かつて敵国の地で、青年がまだ少年だった頃にその命を守ってくれた若い騎士──シーランドだった。
「確か……シーランド……」
「えぇ!そうです!」
青年が記憶を頼りにその名を呼べば、シーランドは嬉しそうに破顔した。その表情に青年は不思議な気持ちになりながらも、相手の真意が分からず警戒を深める。
「……それで何の用だ?」
「あぁ、貴方様とこのような場所で出会えた事は、私にとっては神の思し召しにしか思えません!」
「……お前の信仰する神が、この地にいるとも思えないが。特に用がないのであれば、去れ。ここはお前のようなもののいる場所ではない」
感極まった様子のシーランドとは異なり、青年の心は氷のように冷えていく。
目の前の人物に、かつて命を助けられたという恩義はあるが、その記憶は忌々しいものでしかない。ましてや以前の立場と同じ恭しい態度で扱われるのは、今の青年にとっては不都合でしかなかった。
青年の苛立ちをようやく感じ取ったのだろう。シーランドが慌てて弁明を始める。
「すみません!……つい貴方様を見つけられたのが嬉しくて……」
「……」
異国の騎士であるシーランドが、かつてこの国の王子だった青年と会えて嬉しいなど、意味が分からないことを言う。けれどその想いに偽りがないと言うように、シーランドはその場に膝をついた。
「お願いがございます。私を側に仕えさせていただきたいのです」
「……今の俺は何者でもない。仕えてもらうような立場ではない」
「いいえ!……今のこの国を見てみれば、現在の王がその地位に相応しいかどうかは、誰もが心の中で疑念に思っている事でしょう。貴方様が立つべきです」
「……だとしても、その事でお前に何の得があるというのだ。異国の騎士であるお前に」
「……私は既に彼の国を捨てました。今は一介の旅の剣士です。……しかしこの胸には大願がございます」
「大願?」
「はい……それは──」
そうして一人の騎士と、後に砂漠の王者となる青年は邂逅した。運命の歯車が、再び廻り出す。更なる血の歴史をこの国に刻むために──




