2章87話 砂漠の王と月喰らう蛇
アスランは自室にて、今日という激動の一日をため息とともに振り返っていた。冷たい夜風が、彼の頭を冴えさせていく。
「……王よ、ミイラ取りがミイラになってはなりませんぞ」
アスランの様子を心配して、銀の仮面の男、シュウランが侍女の代わりに彼に酒を持ってくる。
アスランは冷徹な一瞥をくれると、すぐに興味を失ったかのように窓の外へと視線を戻す。シュウランは王のその様子にため息を吐きたくなるのを堪え、報告を済ませる。
「ヒラブの部隊からの報告では、北東の方で動きがあったようです」
「そうか──ティアンナの方はどうなった?」
アスランは振り返らぬまま、凍てつくような声音で問う。シュウランはそんな王の威圧にも動じず、報告を続ける。
「……ヴィシュテールを発ち、同じく北東へと進んでいるようです」
「……ラーデルスの国境か……」
アスランは目を閉じ、暫し考え込む。彼の中で、ティアンナを想う気持ちと、自分の野望がせめぎ合っているのだろうか。眉間に皺をよせ、次第に苦し気な表情になっていく。
シュウランはアスランの迷いを見て取り、王にその危険性を提言する。
「あの花嫁に心を傾けすぎてはなりません。十年前と同じであれば……花嫁の命は──」
「黙れっ!!」
シュウランの言葉に、アスランは烈火のごとく怒りを爆発させた。手近にあった杯を投げつけ、注がれた酒と破片が飛び散る。
「あれは殺させない……ティアンナは私の妃だ……」
「…………」
シュウランは自分の失言よりも、王の反応に落胆していた。懸念していた事柄がまさに現実のものとなっているのを、その言葉によって思い知ったからだ。
黙って立ち尽くすシュウランに、アスランは怒りの眼差しを向けて問う。
「お前が復讐したいのは、私の敵か?それともポワーグシャーの一族か?」
アスランの目には、激しい怒りと、シュウランに対する疑念があった。彼の言葉はまさに、シュウランの自分への忠誠心が本物であるかの問いであった。
「私の敵は……王と同じです」
シュウランは自身の心とは裏腹に、王の望む言葉を紡ぐ。彼がこの異国の地でここまでの地位に上り詰められたのは、一重にアスランのおかげであったからだ。
アスランは鼻を鳴らし、その言葉が嘘であれ本物であれ、王である自分に逆らうことは容赦しないと、凍えるような眼差しを向ける。
「兵の準備を──夜明け前には発つ」
「はい────ところであのラーデルスの使者はいかがなさいますか?ロヴァンス王国の商会に滞在しているようですが……」
地下闘技場でラーデルスの使者であるエドワードと別れ、それから顔を合わせていない。ティアンナの妹である双子達も同様だ。
アスランは顏を顰めて、エドワードの様子を思い出していた。ティアンナと顔見知りだったようだが、その瞳には明らかに彼女への恋情があったのをアスランは見逃しはしなかった。
「……あの男はティアンナに想いを寄せている者の一人のようだからな……妙な動きをしない様に監視しろ」
「はい──」
アスランの言葉を受けシュウランが頭をたれ、そのまま退室する。その後、入れ違うようにして、侍女が割れた杯を片付ける為に入室した。
アスランはそれを虚しい目で見つめながら昔の事を思い出していた。
全てが始まった、あの十年前の出来事を──




