2章83話 王の影と襲撃者
「アスラン様!ご無事ですか?!」
「あぁ!私は無事だ!だがティアンナが……!」
水上での攻防を繰り広げている中、新たに船を出したアスランの護衛達が、水上闘技場の中央へとやって来た。
敵の矢と爆撃をかいくぐり、何とかアスランのいる船まで漕ぎつける。すぐさま精鋭たちが王の守りについた。
兵士達にその身を守られながら、アスランはティアンナの姿を探し続けた。水面に落ちてからその姿が見えない。アスラン自身も攻撃され続けていた為、あの後ティアンナがどうしたのか分からないままでいた。
「泳ぎの得意な者が水中へ入って捜索しております。また、水を抜き始めておりますので、いずれは下の状況もわかりますでしょう」
「そうか……すまない。ところでヒラブはどこにいる?」
アスランは兵士の報告に耳を傾け苦い顏をした。そしていつも自分に影のように付き従う小柄な男の所在を聞いた。
しかしアスランの言葉にその兵士は首を横に振るばかりだ。
「今確認に行かせておりますが、まだ状況が把握しきれておりません。ヒラブ様の姿も見当たらず、探している所です」
「……分かった。とりあえずこの場にいる敵を屠るぞ!」
「はっ!」
アスランの言葉に、彼の護衛達が一斉に周囲の敵へと襲い掛かる。トラヴィスの王に刃を向けた者達を、黙って見過ごすはずはない。アスランの七色に輝く瞳は、怒りに燃えていた。
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一方、闘技の会場が混乱を極める少し前のこと──
小柄な中年男を追っていたユリウスは、切羽詰まった状況に陥っていた。
「誰だ!」
「っ──」
物陰に隠れ様子を窺っていた所、物音を立ててしまい、自分の居場所を相手に知らせてしまったのだ。
(ヤバイヤバイヤバイ!)
小柄な中年男と、もう一人の黒い装束の男が、ユリウスが隠れていた物陰に向かって歩を進める。
ユリウスは自分の失態を心の中で毒づきながら、戦う為に剣の柄に手をかけた。その時──
──ビュンッ!!──
「うっ……!」
──ドサリ……──
鋭い風切り音がしたかと思うと、うめき声と共に誰かが倒れた音がした。
「何奴だ!!」
小柄な男が怒号を上げ抜刀した。
遠ざかる足音と共に聞こえてくるのは、剣戟と複数人の人の声。どうやら自分達以外の人間がこの場に現れたようだ。
ユリウスは自分が難を逃れた事に安堵の息を漏らすと共に、更なる事態への緊張を深めた。
(一体何が起きているんだ──?!)
一気に騒がしさを増したその場の状況を確かめる為、ユリウスはそっと別の物陰へと移り、様子を窺う。
切り結んでいるのは、小柄な中年男と黒装束の者達。そして一人の髪の長い女の姿があった。
(あれは……)
ユリウスはかつてエドワードから聞いていた言葉を思い出していた。
『私の城を襲ったのは、茶色の髪の長い女だった。黒い装束を身に纏い、しなる鞭を操って戦う。心底殺しを楽しむ、そんな女だ』
今目の前にいる人物が、まさにその女だとユリウスは感じていた。
かつてエドワードの住む国境沿いの離宮を襲った黒装束の者達。それを従えていた女は、ラーデルス王国の貴族の娘に扮したトラヴィスの間者だ。その後の消息はつかめていなかったが、エドワードは自分の城を襲った犯人として、その行方を捜していた。
(やっぱり今回の件にも関わっていたんだ……!)
ユリウスは主の仇を見つけて、恐怖とは別の意味で体が震えるのを感じた。
あの日、焼け落ちてしまった城は、エドワードが幼少期を過ごした大切な城だった。丹精込めて育てた薔薇が彩る美しい古城には、彼の数少ない家族の思い出が詰まっていた。それをあの黒装束の者達は無残にも踏みにじったのだ。
エドワードは愛する城を失った事に酷く落胆していた。そして同時にその犯人たちを絶対に自分の手で見つけ出すのだと、心に誓っていた。
そんなエドワードを間近で見ていたユリウスも、あの日の出来事と、犯人たちの特徴を彼から聞き及んでいた。そしてその仇を討つ手助けをしたいとも思っていたのだ。
だが使者としてトラヴィスにやって来たエドワードは、こうも言っていた。
『あれはトラヴィスの正規の兵ではなかったのかもしれない』
どういうことだとユリウスが聞くと、エドワードはパラパラと自分の持っていたスケッチブックの一つを見せてくれたのだ。その中身に、ユリウスは酷く衝撃を受けたのを覚えている。
中に描かれていたのは、エドワードの城を襲った者達の姿──恐ろしいほどの画力で克明にその体の特徴が描かれていた。剣を持つ姿だけでなく、絶命した後の死体の検分の様子まで。その描かれた数の多さに、ユリウスはエドワードの執念を感じたのだ。
『体の特徴が違っている。その事がこの国に来てよく分かった。トラヴィスは多民族国家だ。王城の正規の兵達と、私の城を襲った者達は、どうやら違う民族のようだな』
絵描きとしてのエドワードの目は、襲撃者とトラヴィスの正規兵との違いを見極めていたようだ。そしてその違いは、まさにこれまで前提としていた対トラヴィスとの関係を全て覆すものかもしれなかった。
『今でも瞼の裏に映っている。薔薇が美しく咲き乱れる私の城が、赤黒く燃え尽きる悪夢のような光景を……だから私は、例えこの手が死人の血で汚れようとも、この身がおぞましい腐臭に襲われようとも、犯人を真実の下に晒すまでは諦めることができないのだ』
そう言って眼差しを強くしたエドワードに、ユリウスは危ないから諦めろとは言えなかった。そして今、正に、エドワードの考えが正しいものであると証明されたのだ。
(アスラン王の影の者と、エドワード様の仇が戦っている……つまり、エドワード様の敵はトラヴィス王とは別にいるんだ!!)
ユリウスは今目の前で起きている事実を、一刻も早く主の下へ届けようと誓った。




