1章26話 密談
ラーデルス王国の一角では、人目をはばかって秘密の通路に向かうある人物がいた。
歳は四十を少しすぎたくらいで、高貴な服に身を包んでおり、白髪交じりの濃い焦げ茶の髪を丁寧に後ろになでつけている。細身だが、歳の割にはがっしりとした身体つきだ。一見優しそうな雰囲気を持っているが表情は険しく、金色の瞳は鋭く意思の強さをうかがわせた。
彼は誰にも見とがめられぬよう、こっそりと地下の通路へ行くための秘密の扉を開くと、すっとそこへ消えた。扉は何事もなかったかのように閉じ、外側からはその存在がわからなくなっている。
通路の中は暗く湿っており、入り組んだ造りになっている。男は慣れた手つきで小さなランタンを懐から取り出すと、明かりをつけた。
真っ暗な闇の中に、心許ない小さな明かりが灯る。
しかし男はそんなことを気にするそぶりもなく、迷わずその小さな明かりを頼りに暗い通路を進んだ。長く入り組んだ通路の先には頑健な扉があった。一見扉とわからないが、そこだけ壁と造りが違っているのだ。
扉を小さくコツコツと一定のリズムで叩くとしばらくたって、すっと扉があいた。この扉は部屋の内側からしか開かない造りになっているのだ。
出口から漏れる光にまぶしそうに金色の目を細めて、男は部屋の中を見回した。
そこには城で一番豪華な部屋があった。
白造りの壁にはラーデルス王国の紋章の入った真っ赤なタペストリーが飾ってあり、布張りの家具も同じく真っ赤で上等な生地で作られている。それを縁どる細かな装飾は金箔が施されており、どれも一級品であることがひと目でわかる。
そんな部屋の中央にあるテーブルに片肘をつき、豪奢な服に身を包み椅子にゆったりと腰かけているのは、この国の国王陛下である。
かつては艶のある栗色だった髪は、今は色が抜けて黄金色の混じる白髪となっている。体格はがっしりとしていて、威風堂々たる風貌だ。今は少し疲れが出ているのか、若干目の周りに隈ができているのが見える。どこか憂いを含んだような栗色の眼が、通路からやってきた男を見据えた。
「来たな。相変わらず時間通りにやってくる男だ」
国王はそういってからかうように笑みをこぼした。
「陛下の忠実なる臣下として当然のことです」
真面目な表情で答えたのは、ハーディン・イルモンド・ストラウス公爵、ラスティグの父親である。
彼がこうして国王陛下の居室へ内密に足を運ぶのは、今に始まったことではない。国王陛下直々の極秘の任務や情報収集など、これまで多くの裏の仕事をしてきた。しかも今回の案件は今まで以上に厄介である。
「なんだ。不満そうだな」
国王は公爵の様子をみて、まだ彼が何も言葉を発していないのに、その心情をすばやく見抜いた。
「申し上げなくともお判りでしょうに。陛下は相変わらずお人が悪い」
対する公爵も国王にちくりと一言いう。お互い長年付き合ってきた気のおけぬ仲だ。またそれ以上に二人の間には、とてつもなく大きな秘密があった。
「そう責めるな。あれを王太子から外した理由は、言わなくともわかるであろう。隣国の王女に悪事の罪を着せようと画策するなど、とんでもないことだからな」
国王の言葉に、公爵は顔をしかめるより他になかった。
ノルアード王子はストラウス公爵の養子であったが、第4王子として立太子した。
彼は間違いなく国王陛下の血を継いでいたが、幼い頃からその存在はとある事情によって隠されていた。それは国王や公爵にとっても同じで、彼らはノルアード王子の存在を知らなかったのだ。
ようやく公爵がノルアードを見つけたのは、彼が8歳になってからだ。今更王子として公表することも叶わず、公爵は自分の養子として、息子のラスティグと分け隔てなく彼を養育したのだ。
「ノルアードもいろいろ画策しているようだ。あやつの気持ちを汲んでやりたいところだが……今は表立って味方に立ってやれぬ」
そう言って歯がゆそうに唇を噛み締めた。
国王の気持ちが痛いほどよくわかる公爵は、口先だけの慰めを言うことはしなかった。甘く優しい言葉を投げかけるだけが臣下の役割ではないと、公爵は拳を握りしめ、国王に向かって発言した。
「まだ迷っておられるのですか?」
公爵は国王の迷いをハッキリさせるために、あえてその言葉を投げかけた。
国王は眉間にしわをよせ低く唸ると、机に肘をつき両手を額にあてて目を閉じた。そしてうつむいたまま重々しく口を開いた。
「王子たちは皆、私にとっては可愛い息子だ……だが国の為、彼らの父親である前に非情な国王にならなければならぬ。こんな状態になったのも、父として王として私が未熟だからであろう。なおの事、後継を決めるのは難しい……私たちの間にはいろいろありすぎた……」
そう呟く国王はひどく苦しそうな様子だ。いろいろあったという内容に公爵は胸が潰されるような思いがした。これから彼が報告する事柄が、更に国王を苦しませる内容であることをよくわかっていたからだ。それでも報告せねばならない。それが彼の仕事であるからだ。
ストラウス公爵は一歩国王に近づくと、決心したように口元を引き結び静かな声で報告を始めた。
「陛下に毒をもった人物がわかりました」
その言葉にはっと顔をあげ、公爵をじっと見据える。
国王の目に恐れと不安の色が混じっているのを公爵は見つけた。
そんな国王の様子を見た公爵は一層渋い表情をすると、国王の視線を直視できないといったように、無意味に足元の絨毯を見つめる。なかなか続く言葉を口に出せない様子の公爵に、しびれを切らした国王が声をかけた。
「……それは……一体誰だ?」
すでに答えをわかっているかのような、恐る恐る確認するかのような声色に、公爵は観念して声を絞り出すように答えた。
「……陛下の息子です」
重苦しく発せられた言葉は、厚い絨毯に沈み消えていった。




