2章79話 アスランの焦り
「ティアンナ!くそっ……!」
アスランは、波打つ水面を見つめながら己を罵倒した。
船が大きく揺れたかと思うと、とてつもない衝撃が彼等を襲った。バランスを失い、そのままティアンナはあっという間に水の中へ落ちてしまった。
アスランもすぐに彼女を助ける為に、水中へ飛びこもうと船の縁に足を掛けたのだが──
──ドォォォンン!──
「くっ……!」
今度は船の反対側で轟音と共に大きな水柱が上がった。衝撃で船底に叩きつけられ、頭上から大量の水しぶきが滝のように落ちてくる。
ずぶ濡れになりながらも、漸く視界が晴れたと思ったその時──
──ビュン!──
「!!」
只ならぬ気配を感じて、アスランは身を捩ると、耳元で鋭い風音が鳴り響いた。
頬を掠めたのは、一本の矢。それは空を斬り、水中へと没していく。その後も次から次へと四方から同じように矢が飛んできて、アスランは船の中へと身を沈めるより他になかった。
「くそっ……」
ダンッ!と大きな音を立てて、船に矢が突き刺さる。それは闘技で使われていた矢じりの潰されたものではなく、しっかりと先が鋭く尖っており、殺傷力のあるものだった。
「これは──」
アスランが怒りに滲ませた視線を巡らせれば、船上にいる闘士の一部の者達が、矢を放っているのが見える。
「王様!」
身近にいた将の男が、咄嗟に剣を抜きアスランを庇う。しかし四方から攻撃され、その全てに対処する事ができずに、ついにはその背に数本の矢が突き刺さった。
「うっ……」
うめき声を一つあげると、そのまま傾いた男の身体は水中に没した。同乗していた他の者達も、既に半数が敵の攻撃によってやられている。その間にも次々と水中での爆音は続き、悲鳴と混乱が辺りを支配していた。
「タゥラの王を拘束しろ!」
「王様を守れ!不届き者達を捕えよ!」
船上では激しい攻防が繰り広げられていた。全ての者達がアスランに敵対しているわけではなく、一部の部族達が反乱を起こしているようだった。
しかし敵は闘技用に刃の潰された模造剣や弓矢ではなく、本物の武器を使って襲ってきている。観客席にいる兵士達は、勿論本物の武器を装備しているが、船上で敵味方入り乱れている中に、その矢を放つことは到底できない。
アスランは不利な状況の中、自分達だけで対処しなければならなかった。敵対する者と守る者、それぞれの怒号や悲鳴、そして激しい剣戟と未だ続く水中からの爆撃の音が響く。怒涛のような騒めきが、こちらを押し潰してくるように、ガンガンとアスランの頭の中に鳴り響いていた。
「何故こんなことに……」
くらりと眩暈を感じ、額に手を押し当てる。
敵がロヴァンスからの妃であるティアンナを利用するつもりであることは承知の上だった。だからこそ囮として、彼女を敵の手に渡るように手配し、中々姿を見せない敵を暴こうとしていたのだ。
このまま何も起こらなければ、アスランの思惑通りに事が進んでいたはずだった。船に乗り込み、そのまま船を控える場所に退場させる。その裏で事を起こす手はずであった。
だが、アスランの預かり知らぬ場所で、敵もまた動いていたのだ。
(ティアンナ……無事でいてくれ……!)
己が招いてしまった事態に、アスランはただそう祈るしかなかった──




