2章78話 水中に散る花
「ティアンナ!」
アスランの叫ぶ声がする。ぐらりと大きく船が傾いたかと思うと、突如として水柱が上がった。
──ドオォォンッ──
轟音と共に飛び散る水しぶき。大きな波が横から襲い掛かり、船は木の葉のように翻弄された。
「くっ……!」
バランスを崩したアスランの腕から、ティアンナは宙に投げ出される。
「あっ──」
声を上げる間もなく、大きな水音と共に水面へと叩きつけられた。
「ティアンナっ!!」
訳も分からぬ内に視界は水の色で染まり、アスランの必死の呼び声もくぐもってよく聞こえない。ひらひらとした衣装が身に纏わりつき、もがけばもがく程に絡まっていく。
それでも何とか浮上して船へと手を伸ばそうとした、その時──
「!!」
下からいくつもの黒い何かの物体が、浮袋のようなものに括り付けられ水底から浮き上がってくるのが見えた。
(あれは──まさかっ……!)
ティアンナは身の危険を感じ、すぐさま船の側から離れた。その刹那──
──ドオォォンッ──
身体全体に揺さぶるような振動と凄まじい轟音が響き渡る。急激に水の圧力が高まったかと思うと、一気にそれは爆散し、高い水柱となって水上へと迸る。
(爆弾っ……!?)
ティアンナがそう理解した時には、既に何隻かの船が爆撃を受け、粉々になった木片が周囲に飛び散っていた。
(ここは危険だ!でもっ……)
闘技場の中央──しかも周囲を水で囲まれており、その真下から攻撃を受けている。水上の船に助けられたとしても、そこも安全とは限らない。
そうしている間にも、爆弾による攻撃は続いている。着火から爆発までの時間が調整されているのだろうか。上ってくる爆弾はどれも水面付近で爆発しているようだ。
(それならば──)
ティアンナは水上に一旦顔を出し、大きく息を吸い込むと、また水中へと潜った。そして深淵の水底を見つめる。
(狙いは船上にいる人間──爆発を避けるなら下だ!)
敵は明らかに船に乗っている者達を襲う為の武器を使っているのだ。このまま水上に身を移すよりも、なるべく水底に近い場所を移動した方が安全だと考え、潜水しながら闘技場の端を目指す。
しかし闘技場はとてつもなく広く、ましてやひらひらした衣装が泳ぎの邪魔をする。思うようには進まず、途中で幾度か息継ぎをしなければならない。
再び水面へと浮上した時──
「見つけたぞ──」
「!?──」
低い声と大きな太い腕が、がしりとティアンナの身体を捉えた。そこには明らかな敵意があった。いきなりの事で驚き暴れると、こちらが水中にいることもあって、すぐに拘束が外れた。男は舌打ちし、尚もこちらを捕まえようと腕を伸ばしてくる。激しい水しぶきの向こうに相手の顔が見えた。
(あれは──)
赤い腕章をつけ、先ほどまで勇ましい戦いぶりを見せていた男――闘技で水上戦を戦っていた男だった。
(どうして──アスランは──)
視線を中央へ向けるが、アスランの姿は見えない。水に落ちたのだろうか?そんなことを考える余裕もなく、船上にいる男は、ティアンナを捕えようと身を乗り出す。
「っ──!」
これ以上は危険だと考え、すぐに水の中に潜る。
「逃がすかっ!」
すると相手の男も水中へと飛び込んできた。その手に捕まらないように、どんどん下へと潜っていく。
このまま闘技場の端へと向かっても、観客席までは高い壁がある。足場のない状態では上る事は叶わないだろう。ましてや敵が船上にいる全ての者達だとしたら、完全に不利な状況だ。たとえ助けが来てくれたとしても、足場が無くてはまともに戦う事も出来ないだろう。
そうこうしている間にも、次々と下から爆弾が上ってくる。
(下からの攻撃が続いている──どこかに潜む場所があるのか?)
元々普通の闘技場だったこの場所。アスランの説明では舞台の下は、様々な仕掛けがあり、闘士達が真下から登場することもあるという。今は水没しているが、そうした中でも人間がそこに待機できる場所があるのだろう。
ティアンナは意を決して、真っ直ぐに水底を目指した。
しかし相手もそれをわかっているのだろう。片足を掴まれ、思い切り引き寄せられる。
「っ──!」
思わず声を上げそうになり、口からごぼごぼと空気が出て行く代わりに、大量の水が肺に押し寄せる。
しまったと思った時には、相手の歪な笑みが眼前に迫り、ティアンナの首にその太い指が食い込んでいた。
「ぐ……」
ギリギリと締め上げられ、苦しさに意識が飛びそうになる。必死に身体を捩り抵抗するも、凄まじい力で押さえつけられた。
(くそっ……こんな所で……)
もがけばもがく程に、男の指が食い込んでくる。その度に抵抗する体力も気力も奪われていった。
ゴポリと口から漏れ出た空気が、どんどん離れていき、水上で弾けていく。
無情なその光景をただ見ている事しかできなくて、絶望という名の深淵が、ティアンナを待ち受けていた──




