2章74話 地下闘技場
宮殿を放たれた男が逃げ込んだのは、ヴィシュテールの闇、地下世界。新王の時代になりその闇は随分と薄くはなったが、未だ彼らのような後ろ暗いものを持っている者達には、動きやすい場所である。
男は一族の者と繋ぎをつけると、すぐさま自分の追うべき獲物のいる場所へと向かう。そこは同じくヴィシュテールの闇の中から生まれた場所。今は光と闇が交わり、そこで渦巻く狂乱の宴を人々は楽しむ。
──そう、そこは暁の王が君臨する地下闘技場である。
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「あぁ!すごい!あんな大きな得物を使いながら、あの俊敏な身のこなし!信じられない!」
「あぁ、確かにあれは凄いな。どんな筋肉しているんだ?」
闘技の舞台では、大剣を軽々と片手で担いだ男が、それを振り回し、相手を翻弄している。受ける方もまともに食らったらたまらないと、俊敏にそれらを躱していた。
「うわぁ、エドワード様出場しなくてよかったですね~。あんなの食らったらひとたまりもないですよ」
ユリウスは試合のレベルの高さに驚き、エドワードが出場しなくて良かったと、本気で安堵している。
「あれくらい私でも躱せるぞ、ユリウス」
「エド兄さまならいけるよ!」
一方のエドワードは心外だと言わんばかりに、口をへの字に曲げて戦いの様子を見守っていた。双子達もそんなやり取りと共に闘技の試合を楽しんでいるようだ。
観客席から見下ろす闘技の試合は、白熱した戦いが続いていた。
ティアンナは元より、この場にいるのは剣を嗜む人間ばかりなので、見る方にも力が入り、試合の内容について話も弾んでいた。
試合は最初の方は四人での勝ち抜き戦。勝ち進むにつれて一対一の勝負となる。
トーナメントは一つではなく、様々な人間が参加する事を前提としているので、体重別や武器の有無などによって分かれている。今日行われているのは武器持ち込み可の無差別級だ。
「きちんと審判がいて止めに入るんですね」
ティアンナが言うように、現在の戦いは審判の判断によって既に勝敗が決していた。敗者の方は手傷を負っているが、すぐに係りの者が駆け寄って治療を施している。
「あぁ、医療体制もしっかり整えてあるし、これは一般参加のやつだからな」
「ということは審判がいない場合もあるのですか?」
「……まぁ昔の名残というやつで、ここは今も処刑場の代わりになっている」
ティアンナの質問に対し、答えにくそうに言うアスラン。
エドワードがその言葉に納得するように頷いた。
「処刑も民からすれば一つの娯楽。こういう見世物は、民の鬱憤を晴らすから、為政者がよく使う手段ですね」
普段武器と言うものとは縁のない民衆が、そういった残虐な見世物を求めるのは意外なようだが、エドワードの言は事実だ。だからこそ、こうした闘技場の需要もあるのだろう。
「我が国は色んな民族が集まっている。単に罪を裁く為だけに処刑するという形では禍根が残りやすい。それゆえ罪人同士で戦わせ、生き残った者の罪を免除するという処刑方法が長年取られてきた。今も同じだ。勝ち抜いた罪人は、生活にある程度の制限はあるが、兵士として徴用されることもある」
「ほう、なかなかよくできた制度ですね。更生の機会があるのが実に面白い」
エドワードが感心しながら話に聞き入る。一方のティアンナは少々難しい顔だ。罪人同士で殺し合うというのは、やはり残酷なやり方に思える。しかしこれが国の違いというものなのだろう。場所が違えば、そこにある掟や常識も変わるものだ。
ティアンナ達それぞれの反応を確認しながら、アスランは尚も続けた。
「今の闘技場はこのように整ってはいるが、私以前の王の時代は、ここは国の管理下ではなかった。一部の者達が殺し合いを見世物にして金儲けする場でしかなくてね。止めにはいる審判もいなければ、医療なども整備されてはいなかった」
そう言って話すアスランの表情はどこか固い。だが言いにくい事でも、きちんとティアンナ達に説明しようと努めているようだった。
「ここで戦っていたのは罪人、奴隷、貧困に喘ぐ者──様々いたが、彼等が賭けるモノは皆同じだ」
「同じ?」
「──命だよ」
「っ──」
アスランの七色の瞳が、どこか暗く陰った。金儲けの見世物の為に命を懸けて戦う──その地獄のような光景をまるで目の前で見て来たかのように。
「罪の軽重は問わず罪人は全てここに送りこまれ、その処分は闘技を管理する者達に任されていた。戦う者の人数が足りなければ人を攫ってきてでもな。娯楽の為にわざわざ奴隷狩りが行われ、その為に滅んだ部族もいたほどだ。……恥ずかしい話だが、ここは我が国の黒い歴史と言っても過言ではない」
戦う者達を見つめるアスランの表情は、真剣そのものだ。そこには一つの嘲りもない。彼等への敬意がその眼差しの中にあった。
そんな話をしている間に、闘技の試合が全て終わったようだ。
少し暗い雰囲気になってしまったのを払拭するように、ユリウスが明るい声で話し始める。
「あ、試合が終わりましたね。結果は予想通り、あの剣士の勝ち抜きか。賭けたとしても大して儲からなかったかもしれないですね」
「あぁ、そのようだな。まぁ、今日の闘技は前座のようなものだから、皆そこまで落胆はしてないだろう」
そう言われて周囲を見回せば、賭けの結果で杞憂する人々の姿が見える。しかしそれほど荒れたものではなく、皆思い思いに試合後のひと時を過ごしているようだ。席を離れていく人の姿も多い。どうやら日常の一部として気軽に楽しめる、そういうものになっているようだ。
「これから後半の部に向けて休憩が入る。施設内に軽食の販売もあるから、見て回るのも楽しいぞ」
「面白そう!見て回りたいです!」
アスランの言葉にすぐさま双子達が反応した。しかしユリウス達護衛にとっては嬉しくない状況だ。通路は多くの人で溢れ、いくら厳重に警護しようとも、危機に陥った際に対処しきれるかわからない。
「アスラン様……この人混みでは、はぐれるかもしれません。双子達とこの中を行くのは……」
ティアンナもこれには難色を示した。こういう人の多く集まる娯楽施設というものは、いくら管理されているとはいえ、諍いや犯罪が起こりかねない場である。
「ふむ、まぁそうだな。確かに子供たちには少し危ないかもしれん」
「えぇ~!ちょっと見てくるだけでもダメですか?」
フランシーヌは残念そうな表情をしているが、まだ諦めきれないといった様子だ。
「まぁお前たちが行けないからと言って、何も買えないわけではない。私が行って色々と買ってきてやろう。客人たちはここで待っていてくれ」
アスランはフランシーヌを慰めるように、ぽんぽんと頭を撫でると、こちらの返事を待たずして数人の護衛をこの場に残し、さっさと人混みの中に行ってしまった。
しかしエドワードがすぐにユリウスに声をかける。
「ユリウス、お前も行ってこい。ちゃんと土産を持って、帰ってくるんだぞ?」
含んだような視線と共にそう言えば、ユリウスはしっかりとその意図を酌んだ頷きを返し、護衛を他の者に頼むとアスランの後を追っていった。
ユリウスの姿が見えなってから、エドワードは再び闘技の舞台に視線を戻す。その表情は先ほどまでの娯楽を楽しんでいた陽気な男の姿ではない。
すぐ横にはトラヴィスの衣装に身を包んだ背の高い護衛の姿。顔を布で覆っており、その表情は見えない。
エドワードは闘技場を覗き込むようにして一歩その護衛に近づくと、周囲の騒めきにまぎれるようにして、低い声で囁いた。
「さて、騎士団長殿。ここからが正念場だ。わかっているな?」
「……承知の上です」
闘技場の闘士達よりもずっと強い決意をそれぞれの胸に宿した者達が、これから始まる戦いの舞台を見つめていた──




