2章73話 砂漠の街の地下世界
夜明け前、砂漠の宮殿の地下深くから一人の男が街へと放たれた。
地下に押し込められる前と同じ黒い装束を纏い、持っていた曲刀もそのままだ。喉には酷い痣ができていたが、それ以外に怪我はない。
だが男には見えない鎖が巻き付いてた。そしてそれは役目を終えるまでは決して切れないのだと、男にもわかっていた。
男はチラリと自身が出てきた宮殿を、悲壮な眼差しとともに見つめ、砂塵の舞う街へと消えていく。だがその姿を認める者は誰もいなかった──
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砂漠の首都ヴィシュテールは、今日もその賑やかさで街を彩っていた。
交易の中心都市であるこの街は様々な人間が行きかい、一見すると多国籍国家の様相を呈している。実際に広い国土の中には多くの民族・部族が存在しており、その風習や外見は様々である。
表向きは賑やかで煌びやかな都市であるが、どんな場所でも光があれば影の部分ができる。いわゆるスラムと呼ばれる貧困層の暮らす地域もここには存在した。しかしこの街でそれは表立った場所には無く、地下に作られていた。
以前は酷く荒んだ場所であったのだが、アスランが統治するようになってからは、スラムへも改革の手が入っていた。犯罪の温床となりかねない地下世界は、現在は半分以上が明るみの下に晒されている。
中でも地下闘技場は、かつては奴隷や犯罪者を使い、命と大金を賭けた血生臭い賭博の場であったが、現在は国によって整備され大衆の娯楽として犯罪の抑止にも役立っている。
「闘技場ですか?そんなものが地下にあるなんて……」
アスランの説明を聞き、ティアンナが驚きの声を上げる。
「かつては犯罪者や奴隷同士を戦わせるような褒められたものではなかったんだが、今は娯楽の一つとして、異国から観光で見に来る者も多い。勝ち進めば英雄として一攫千金も夢ではないからな。腕に自信のある者は、一般人でも参加するのがたくさんいる」
今、彼等はその闘技場へとやってきている。アスランの提案で、エドワードや双子達にヴィシュテールの街を案内しているのだ。
アスランは最初は普通に地上の商業地区を案内していたのだが、途中でこの街独自の地下世界を案内してくれた。
砂漠の街の地下都市──王宮が大きな岩の丘の上に建てられているのと同じく、この辺りの地盤は固い岩の層でできている。そこを掘りぬいて、水路や地下通路、更には住居や商業施設までが作られていた。中でも目を瞠るのが、広い観客席と楕円形の舞台を持つ地下闘技場だ。
地下と言っても天井は吹き抜けで、格子がはめられており、地上の光がそこから差し込んでいて、隅々までよく見渡せる。半地下と言った方が正しいだろう。
「かく言う私もここがお気に入りでね。たまに参加することもあるくらいだ」
「え?アスラン様が、ご自身で参加されるのですか?」
不敵に笑うアスランの言葉に、ティアンナが驚きに目を瞠る。地下闘技場など、どう考えても一国の王が参加するようなものではないだろう。
「何ならそこにいるラーデルスの使者殿や、その護衛とも対戦してみたいものだが」
冗談めかしてアスランが、今度はエドワードやその隣にいるユリウスに視線を向ける。挑戦的なその視線は本気ともとれるような獰猛さを孕んでいて性質が悪い。護衛として表情を崩さないよう努めていたユリウスも、流石にこれには慌てた。
「た、大変光栄でございますが、今は一護衛の身で職務を放棄するわけには参りませんので……」
ユリウスはアスランの言葉に対し、至極真っ当な答えを理由に断った。護衛としての任務を優先するのは当然だが、異国の王の突然の我が儘に冷や汗が落ちる。権力者の興味一つでとんでもない事態になりかねない。
「なんだ、ラーデルスの騎士は随分と頭が固いな。いや、そもそも騎士という人種が固いのかもな」
にやりと笑って、今度はティアンナの方を見つめるアスラン。言外にティアンナも頭が固いと言いたいのだろう。これにはティアンナも少しだけムッとする。
「騎士が与えられた使命に忠実なのは当然です。それこそが誇りであり、それこそが忠義なのですから。いいでしょう。そこまでおっしゃるのなら、私が騎士の代表として闘います」
そう言って鼻息を荒くするティアンナに、アスランだけでなくエドワードやユリウスまでもぎょっとした。ティアンナの目がかなり本気だからだ。
「え!ティアンナ姉さまも闘技大会に出るの?見たい!絶対勝ってよね!」
「でも危ないわ。怪我しないように気を付けてくださいね?」
姉の勇姿を見れるとあって喜ぶフランに、ミスティリアは心配しつつもしっかりと応援している。どちらにしても姉がこういうものに参加する性格だということを、よくわかっているのだろう。すでに参加するものと決めつけている双子達の反応に、流石のアスランも自分の言葉を訂正した。
「いや、すまない冗談だ。危ないからそれはまたの機会にしてもらえると助かる」
「私が剣で後れを取るとおっしゃるのですか?」
「そういうわけではないのだが……」
ティアンナにしてみれば、自分が侮られた事よりも、騎士の矜持を馬鹿にされた事の方が許せなかったのだが、別に本気で怒っているわけではない。少しばかり困らせてやろうという悪戯心半分と、実際に闘技大会で自分の実力を試してみたいという好奇心半分であった。
「ならば代わりに私が参加してみようかな?最近は剣の鍛錬もしているから、どれだけ実力が付いたのか試してみたい」
何を思ったか、今度はエドワードがそんな事を言い始める。
「エドワード様!何をおっしゃるんですか!」
慌てて彼の護衛であるユリウスが止めに入る。冗談のようで本気なのがエドワードの恐ろしい所だ。
「怪我の一つくらい勲章のようなものだろう。まぁ無様に負ければそれまでだが、異国の地で少しくらい羽目を外すのも面白いじゃないか」
エドワードも割と真剣に参加したいらしく、こちらもティアンナ同様引き下がらない。
「くくく……ははははは!いや、使者殿には参った。是非とも……と言いたいところだが、流石にラーデルスの王兄殿下に怪我をさせるような真似はできない。ティアンナもそうだ。お忍びでというならまだしも、我々の行幸は既に街中に知れ渡っている。このまま参加してしまっては、逆に相手が気を使うだろう」
アスランの言う通り、ラーデルスの使者がトラヴィスの国王と街の見物に出ていることは、ここに来るまでの間で知れ渡ってしまっている。闘技場の見物客もいつもより多いらしく、既に満席状態で、こちらに向けられる視線も多い。
「それは残念。いつか国での役目を終えたら、その時はきっと参加しに来よう」
「勘弁してくださいよ、エドワード様……」
未だ諦めきれないエドワードに、ユリウスが疲れた様子でぼやく。彼の苦労はこれからも続きそうだ。
そんな使者と護衛のやり取りを尻目に、アスランは闘技場の説明をしていく。
「客席は見ての通りだが、闘士達の控えはここからは見えないところにある。四方に柵があるだろう。あそこからそれぞれが入場するんだ。時には下の奈落と呼ばれるところから登場することもあるんだが、今日は特別な催しの日だから、それはない」
「特別な催し?」
「あぁ、まぁ見てればわかるさ。最初は普通の闘技だから楽しむといい」
アスランが用意された席に着きつつ、にやりと笑った。どうやら彼が闘技場がお気に入りと言ったのも本当の事だろう。随分と楽しそうだ。
「こんなすごいものを娯楽にしてしまうなんて……」
ティアンナはその規模の大きさと人々の熱気に、感嘆のため息を漏らした。
人々が熱狂する戦いがまさに始まらんとしていた──
実は闘技場の闘いが書いてみたかったんですよ。燃えるよね、闘技場。いつも戦うのはモンスター相手だけどw




