2章65話 死の翼を持つ者
「ロヴァンスの花嫁を正妃にするのですって」
陽の光の入らぬ室内に、女が嫣然とした笑みを浮かべる。
「ふ……それが悪手となるとも知らずに、愚かなことだ」
女の言葉に、男が口元を薄く歪めた。その歪な笑みは、まるで悪魔のような冷酷さだ。
「ロヴァンスの花嫁を手に入れた所で、満足するのはタゥラの一族だけだ。未だに神話という名の幻想に縛られている愚かな一族よ」
「でも、ロヴァンスがタゥラに付いたら厄介だわ。ラーデルスを手に入れられていれば、もっと簡単に追い詰めることもできたでしょうに……」
「今更言っても仕方ない事だ。それに我々の邪魔をしてくれたロヴァンスも、大きな痛手をこうむることになるのだからな……面白いじゃないか」
不穏な会話を繰り広げる、二人の男女。その企みは闇の中、密かに行われていた。
「梟」
男が振り返り、その名を呼ぶ。
梟が闇の中からゆらりとその姿を現した。
小柄な身体と栗色の髪。大きな梟の目が、闇の中でもその存在を主張していた。
イサエルはその姿を目にし、嬉し気に目を細めると、まるで家族に向けるような柔らかな声で梟に話しかけた。
「お前が戻って、私は嬉しいよ、梟」
『任務……終ワラセタ』
「あぁ……」
「任務……ねぇ……」
女が少し不満げな声を漏らす。
梟の手によって、女の仲間も数多く屠られたのだ。不満が残るのも仕方の無い事だろう。
そんな女の言葉に、梟が意外な答えを返す。
『マダ殺スカ?』
「っ……」
彼にとっては、殺すべき相手は敵も味方も変わらないのだ。ただイサエルの命に従う。そう──十年前に命じられたその任務を、彼は遂行したに過ぎない。
「……ククク……ハハハハハハ!」
「イサエル……」
「……梟が時を越えて戻った。十年という時を越えて……その為の犠牲など、些細なものでしかない」
イサエルは愛しき息子を見つめ、彼に新たな命を与える。
「ロヴァンスの花嫁だ、梟」
『ロヴァンス……花嫁……』
「そう……今度は殺さずに、私の前に連れて来い」
梟が鷹の言葉を反芻する。ゆっくりと、噛み砕くように、その血に刻むように。
ぬるりとした恐怖に似た何かが、梟の周囲を纏った。
イサエルはその様子を満足気に見つめ、血族達に向かう。闇の奥には、多くの鳥たちが、彼の言葉を待っていた。
「タゥラの一族を滅ぼし、再びテヘスが砂漠の王となる――その時が近い」
神の託宣を受けた聖者の如く、鳥達はイサエルへ向けてその頭を垂れる。
死の翼を持つ者達の、その羽ばたきを止められる者は、もう誰もいない──




