2章60話 エドワードの到着
どんなに深い夜でも、明けない夜は無い。
おぞましい血の色に染まった首都ヴィシュテールも、例外ではなかった。
そしてそんな凄惨な一夜があったことなど知りもしない者達が、朝を迎えると共に砂漠を越えてやってきていた。人と荷をその背に乗せた駱駝の長い隊列が、ヴィシュテールの街へ入ろうと、街のすぐ外までやってきていた。
──エドワード達、キャラバンの一行である。
「あー!やっと着きましたね!本当に遠かった!」
ユリウスが駱駝の上で身体を伸ばし、大きく声を上げた。
それもそうだろう。昼夜を通して過酷な環境の砂漠を越えるのは大変な苦労だった。ましてや途中で増えた少女達も一緒なのだ。
「わ~みてみてエド兄さま!すっごい大きな街!」
「河が宝石みたいに輝いている!」
一方、件の二人の少女達は、それぞれユリウスとエドワードの駱駝に乗って、呑気にはしゃいでいる。
すっかり彼らに懐いたミスティリアとフランシーヌの双子の姉妹は、こちらの心配をよそに砂漠の旅を思いっきり楽しんでいた。
「しっかり見ておけ二人とも。中々来れる場所ではないからな」
今や彼女達の兄として、その世話を焼くことに余念のないエドワードは、ヴィシュテールの街が良く見えるようにと、小高い砂丘の上で、暫しその歩みを緩めさせた。
「ここにティアンナ姉さまがいるのか~。あのおっきな宮殿にいるのかな?」
エドワードの前にちょこんと座って目を輝かせているのは、男の子のような格好をしたフランシーヌだ。マホガニー色の髪は短く切られており、トラヴィスの装束も男物を身に着けていた。
本人曰く、大好きなティアンナの真似をして男装をしているのだとか。少年に間違われてもむしろ喜んでいるようだ。
「王様の花嫁になったんだから、宮殿にいるのは当り前よ。相手が王様じゃなかったら、姉さまを花嫁としてトラヴィスに送るなんて、私が絶対に許さなかったんだから!」
ユリウスの前に座るのは、フワフワの綿毛のような髪のミスティリア。少しきつめの性格だが、こちらもティアンナの事が大好きで、双子の妹のフランシーヌと共にここまで姉を追いかけてきていた。
「会えるかな?」
不安そうにフランシーヌが聞くと、ユリウスがすかさず答える。
「トラヴィスの後宮の妃に会うのは簡単ではないだろうねぇ。下手をしたら首が飛んじゃ──」
最後まで言い切る前に、エドワードから何かが飛んできた。
「痛てっ!!」
「空気を読まないアホめ。それではレディにモテないぞ」
冷たい視線がエドワードから向けられる。ユリウスの頭を攻撃したのは飲みかけの水筒だった。結構な重さと大きさだ。
従者の男が落ちた水筒を拾って、別の新しい物と取り換えてエドワードへと渡す。手で頭を抑えながらその様子をユリウスは見つつ、情けない顔をエドワードへと向けた。
「いや……だって難しいでしょ」
「それを何とかするのが我々の仕事だろう?小さきレディ達の望みを叶えてやることもできないなど、お前は一生結婚できないな」
「ふっ、不吉なことおっしゃらないでくださいよっ!彼女いないの気にしているんですから……っ!」
二人のやり取りを双子達はくすくすと笑いながら見守っている。
「姉さまもエド兄さまと結婚すればいいのに!そうすればエド兄さまは本当のお兄さまになるんでしょう?」
フランシーヌが目を輝かせて言った。余程エドワードの事が気に入ったようだ。
フランシーヌの発言にエドワードは優しい笑顔を向けた。
「……そうなれば私も嬉しい……だが今はお前達の姉の無事だけを考えよう」
その言葉は真剣そのものだった。
甘く切ない表情──エドワードがティアンナを想う気持ちは本物だ。
ユリウスは主のその切ない表情に胸が痛んだ。
「……しかしいくら新国王陛下のご命令だとはいえ、エドワード様がこの国に派遣されるとは思いませんでしたよ」
ユリウスは元々はラーデルスの城務めの騎士だった。離宮を失ったエドワードが王城に滞在するようになって、彼の護衛に任ぜられたのだ。
ノルアードがラーデルスの王位を継ぎ、エドワードは自ら王族としての地位を返上した時点で、ユリウスの護衛としての役目は終わるはずだった。
しかし新たにエドワードに与えられた役目のおかげで、こうして今も共にいるのだ。
「いや……私が陛下に頼んだのだ。トラヴィスに派遣するのなら私にしろとな」
「えっ!?」
醜い王位争いを繰り広げるほどに兄弟仲の悪かった彼らの間で、そのような話し合いがあったこと自体驚きだ。
「そもそもが私の領地に大いに関係してくることだ。ならば余計に私が始めから関わっていなければ、最終的に犠牲を強いられるのは領民達だ」
「……た、確かにそうですが……」
エドワードの領地は三国の国境沿いにある重要な地点だ。先のトラヴィスの侵攻によって、トラヴィス側から直接ラーデルスへと入れる道程があることが判明した。
まだその詳しい道筋はわからないが、早く対処をしなければ今後もその脅威にさらされ続けるだろう。
エドワードの慧眼と領民思いなその信念は、彼を直接知るまでは全く想像もしなかったことだ。王子として社交界で華やかな生活をしていたエドワードは、彼の本当の姿ではなかった。
(この姿を皆が知っていたら、この人が国王になっていてもおかしくはなかった……)
ユリウスは、双子を優しく見守るエドワードを見て、改めてそう思った。
エドワードという人は、自分の懐に入ってきた弱き者達を無下にできない人だ。王族としての華々しい姿は、周囲の求める姿を演じてきただけだった。その証拠に彼の領地の者達で、エドワードの事を悪く言う者は一人もいなかった。皆いい領主だと、口を揃えて言うのだ。
彼があっさりと王族の地位を捨てたのも、本来の姿に戻りたかったからなのだろう。だがこの人の能力はただの平民にしてしまうのは惜しすぎる。
「……ジェデオン様が、エドワード様をこうして引き留めてくださったことに、私は深く感謝いたします。貴方様はラーデルスには欠かせないお方だ」
突然のユリウスの言葉にエドワードは驚いていた。代わりに双子達が嬉しそうに顔を輝かせている。
「エドは兄さまに認められたの?凄いわ!ジェド兄さまは人を見る目があるんだから!」
「それならエド兄さまとティアンナ姉さまの結婚も認めてもらえるね!ボクとミスティも応援しているから!」
ニコニコと嬉しそうな双子に、エドワードは高らかに笑い声をあげると、そうだなと言って再び駱駝を歩かせ始めた。
輝く宝石のようなヴィシュテールの街はすぐそこだ。




