2章57話 やってきた男
広大な砂漠の中にある、首都ヴィシュテール。その宝石のように美しい街は、一夜にして凄惨な血の色へと染まる──多くの人々が、儚い眠りの底にいる間に。
しかし一部の者達は、その優しい微睡の世界を捨て、現実という残酷な悪夢の只中で、必死にあがいていた。
──ある一人の男もそうである。
故国から遠く離れた異国の地──男はそこで自らに課された役目を全うする為、この地へやって来た。
背が高く、頑健な身体。夜の闇を映したかのような漆黒の衣はゆったりと、男の肉体を包み、それは男の顔をも覆っており、一見するとその表情はわからない。
──ただ月に照らされて輝く金色の眼差しだけが、その意志の強さを映していた。
男は宮殿での騒ぎを聞きつけ、単独で襲撃者を追っていた。
いまだ眠りにつく街を、闇に潜み駆けていく。しかしその静寂は、俄かに破られつつあった。
「絶対に逃がすな!まだそこまで遠くには行っていないはずだ!出歩いているものは片っ端から捕らえよ!」
通りの方から大勢の人間の足音と共に、兵士の号令が聞こえてくる。彼等もまた、宮殿を襲撃した者を追っているのだ。
男は兵士達に見つからぬように、隠れるようにして路地裏を行く。街の外へ逃げるには、大通りを行くのが最短であるが、男はあえて建物が入り組んだ場所を選び、襲撃者の痕跡を探していた。
やがてその推測が正しいことが証明される。民家や商店がひしめき合い、入り組んだ路地の連なる場所。
そこは建物によって周囲から完全に見えなくなっていた。それまで血痕が無かった路地裏に、突如として血の跡が現れたのだ。
「やはり屋根伝いに移動していたか……」
襲撃者は、その場所で屋根から地面へと降りたのだろう。そこからは、点々と血の痕跡が続いていた。
暫く行くと、真っ赤に染まった外套が脱ぎ捨てられている。その血の量だけで、どれだけの人の命が奪われたのかがわかる。
そんな風に考えを巡らせたとき──
「……!」
路地を進んだ奥に、不穏な気配を感じた。
微かに聞こえてくるのは、金属のぶつかり合うような音。
(──誰かが──戦っている?)
男は確信し、一気に駆け出した。




