1章23話 ナイルが残したもの
アトレーユが懐から取り出したのは、件の封筒である。
皆がどういうことだ?と顔を見合わせていると、アトレーユは中に入っているナイルの髪の毛を取り出した。
それを見たキャルメ王女は、更に痛々しい表情をした。
「特務の者がよくやる手なんですがね。味方への連絡がどうしても出来ない時や、もしもの時の為に、こうやって体の一部に情報を隠しているのです」
体の一部という表現がなんとも生々しい。髪の毛で良かったと皆は思った。
アトレーユは髪の毛を縛っていた紐を抜き取った。それはただの紐ではなく、丈夫な細い紙を捩って紐状にしたものであった。そしてそれを丁寧に開くと、中身を皆に見せた。
そこには点と線で模様が描いてあるだけに見えたが、これは特務が使っている暗号であるとアトレーユは説明した。
「これにはなんて書いてあるの?」
王女は怯えたような表情でその紙を指さした。まるで助けを求めるナイルの悲痛な叫びが書いてあると言わんばかりである。
「故郷へ向かって街道を右手に、国境沿いの森の中、滝を過ぎた川沿いの拠点」
それは以前ナイルが盗賊たちの拠点を調べ上げ、宝石の鑑定書にあぶり出しで描いた地図に載っていた情報である。
「それってもしかして、ナイルが捕まっている場所?」
そういって王女は目をまん丸にして驚いている。
そんな王女の様子をみて、アトレーユはにっこりと微笑んだ。
「そうです。捕まってもすぐに逃げずに様子を見たのでしょう。拠点を我々に教えるために。奴にとっては逃げるのも簡単なはずです。むしろ我々に情報が届けられるまで、捕まっているかもしれないですがね」
キャルメ王女は驚きで、もう言葉もでないようだ。
ナイルという男は普段はあまり目立たず、話すと少し変わっているくらいで、剣では他の護衛の者にかなわない。そして護衛という割にはしょっちゅう姿が見えなくなり、正直どういう人間なのか王女はあまり知らなかった。
こういう間諜のような役目を負っているのだということは知っていた。
だがここまで身の危険を顧みず、飄々とこなしているなど知らなかったのだ。
アトレーユはナイルのそういった行動は、さも当然のことのように話している。
それはアトレーユの兄が、特務師団の副長であるのが大きな要因だ。
とにかくあの師団に所属する人間は、性格が少々特殊なのである。危険をあえて好むような性質があり、しかしとても打算的なのだ。諜報活動に向いていると言えばそうかもしれない。
「リアドーネ嬢の捜索に協力する過程で、ナイルの情報をうまく使いたかったのですが、そうもいかなくなりました。勅令のおかげで安全は確保されましたが、身動きがとれない。それは誘拐犯も同じでしょう。彼らにとっても、あの勅令は計算外のはずです。我々に疑いをかけるのが目的だったようですから」
そういって少し困った様子のアトレーユを見た王女は、ぱっと顔をあげると、いいことを思いついたと話し始めた。
「じゃあこういう作戦はどうかしら?」
そういって作戦を耳打ちするときの顔はキラキラとして、とても楽しそうな様子の王女であった。
「なるほど。それはいい考えですね。ですが姫は大丈夫ですか?」
少し心配そうに、アトレーユが王女の顔を覗き込む。
「大丈夫よ。ワクワクしてきたわ」
そういって拳を握る王女をみて、皆は笑い合った。




