2章45話 宵の宴
その夜、宣言した通りアスランは夕食を共に取るために、アトレーユの部屋を訪れた。
「──これは……私の花嫁は美しいなとても」
出迎えたアトレーユにアスランは感嘆のため息を漏らした。
「……ありがとうございます」
恥ずかしさに頬を染めながらも、アスランを丁重にもてなす。
身支度については、辟易するアトレーユをよそに、侍女達がかなり力をいれていた。
トラヴィスの美しい民族衣装──生地は薄手の朱子織の絹で、艶めく風合いが肌の柔らかな曲線を映し出している。それは鮮やかな藍色で染められ、金糸の精緻な刺繍が美しい蔦模様を描いていた。
頭上には同色のレース編みのヴェール。夜の帳のように足元まで流れ、アトレーユの美しい銀髪を輝く星空のように見せている。
対して胸元は大きく開かれ、白く美しい肌を存分に見せている。淡い薄紫色の輝石がはめ込まれた金の首飾りが、柔らかな胸の膨らみの上に鎮座していた。
女達に傅かれてアスランは上座へと座った。
床には厚手の織物が敷かれ、豪勢な食事が並ぶ。テーブルなどは使用せず、直接床に座って食事をとるのがこの国の作法だ。
大きなクッションにゆったりと身を預けたアスランが、こちらに声をかける。
「そう緊張しなくてもいい。作法は気にしないで食事を楽しもう」
少し緊張していたアトレーユにとって、アスランの心遣いはありがたかった。
並べられている料理はどれもトラヴィスの伝統料理のようで、いくつかは王宮までの道中で食したが、食べ方がわからないものも多い。何よりトラヴィスではカトラリーを使わないのが一般的なのだ。
手を出さずにじっとしていると、アスランが意地悪く笑って見せた。
「怖くて食べれないか──なんなら私が毒見をしてやろうか?」
「いえ……まだ食べ方がいまいちよくわからなくて……」
困ったという風に眉を下げると、思い切り笑われた。
「はは!そうだな。確かに慣れないと食べづらいだろう。よし私に任せろ」
アスランは笑みを深めると、アトレーユの側に座り直した。そして腕を腰に回し抱きかかえるようにすると、もう片方の手で料理を取ってこちらの口元へと運ぶ。
「あの……」
戸惑うアトレーユをよそに、アスランは意地の悪い笑みを浮かべて首を傾げた。
「どうした?食べないのか?食わせてやると言っているんだ」
彼の褐色の指に肉料理の脂が滴っている。
相手の手から直接食べ物を口に入れるという行為に、顔が熱くなってくる。どう見てもこれは作法以前の問題だろう。悪戯にしても度が過ぎるとアトレーユは思った。
顔を真っ赤にして戸惑っていると、侍女達が心配そうにこちらを見ているのに気が付いた。アトレーユの言動一つ一つが彼女達の身に関わってくるのだ。悪戯でさえも無下にすることはできない。
もはやここまできたら騎士としての意地だ。アスランはこちらが困っている姿を楽しんでいるのだろう。ならばこれ以上喜ばせてやることはない。
アトレーユは勢いよくその肉にかぶりついた。
唇が少しだけアスランの指に触れてしまったが気にしない。ペロリとそれを舐めとり、身体を起こして不遜な態度で彼を見据えた。
「っ──」
息を飲む音が聞こえる。
アトレーユが料理を嚥下する姿は、凄まじい色香に満ちていた。侍女達は元より、アスランでさえも驚きに固まっている。
しかし、してやったりと思ったのも束の間、猛烈な刺激がアトレーユの口内を襲った。
「っ──!げほっ」
喉の奥が焼けるように痛い。まるで火が出てくるのではないかというほどの辛さ。
あまりの苛烈さにゲホゲホとむせていると、アスランが笑いながら背中をさすってきた。
「すまんすまん。まさか一気に食べるとは──悪ふざけが過ぎた。それは香辛料がふんだんに使ってあるんだ」
アトレーユが涙目になりながら睨むと、笑いながら謝ってくる。
「ほらこれを飲め。水みたいなもんだ」
今度は杯に注がれた透明な液体を勧められる。
アトレーユはアスランの手から杯を受け取ると早速口をつけた。かなり強めの酒だ。しかしアトレーユにとっては問題ない。
続けて飲み干そうとしたところで、アスランから驚きの一言が添えられた。
「ちなみにそれは蠍をつけた酒だ」
「ぶっ──」
思わず酒を噴き出しそうになる。
「ははははははは!」
完全にアスランに遊ばれてしまった。口もとを拭い、今度こそは抗議を口にする。
「私で遊ばないでください」
「ははは、悪い悪い。お前は面白い反応をするからな。色々と試したくなるんだ」
試されるほうは堪ったもんではない。しかしおかげでアスランとの間にある妙な緊張感はほぐれた。
「ほら、これはちゃんとお前の口に合う料理だぞ。どんどん食べろ」
アスランが可笑しそうに笑いながらどんどん料理を勧めてきた。アトレーユも今度は遠慮することなくそれらを食べる。思いの外楽しい時間を過ごすことができた。
トラヴィスの料理はどれも美味く、材料や調理の仕方などで話が弾む。そしてロヴァンスではあまり目にしない種類の酒に興味が湧いた。
「お前は結構酒が強いのだな。ますます気に入った」
アスランが上機嫌に杯を傾けている。ふとアトレーユは思いついたことを提案してみた。
「ではどちらが酒に強いか、賭けてみませんか?」
挑戦的な視線と言葉を向けると、アスランが真向からアトレーユの紫の瞳を見据えた。
俄かに冷たい月の弧が彼の口元に浮かぶ。
「……いいだろう……何が望みだ?」
流石にこちらの考えを読んでいる。部屋の空気が瞬時に冷えたような気がした。
その威圧感に怯むことなく、アトレーユは不敵な笑みを返す。
「……彼女達の身の安全」
視線はアスランから逸らさずに、側にいる侍女達を示す。
侍女達は息を飲み、アスランは瞠目した。
「私やロヴァンスの進退如何で、彼女達の命が脅かされるのは本意ではありません。私は文字通りこの身一つでこの国に来ました。私が死ぬようなことになっても、彼女達の身の安全は保障していただきたい」
元々たった一人、この国で戦うつもりでいたのだ。
彼女達の味方は嬉しいが、それが足枷になっては困る。
非情なようではあるが、自分がこの国に来た目的を忘れてはいけない。
全てはロヴァンスの為なのだ。
勿論負ける気はない。
「……くくく、ははははは!いいだろう。その心意気、気に入った!」
アスランは豪胆に笑うと賭けに乗ってくれた。張り詰めた空気が緩む気配がする。
「……私のほうはそうだな……」
暫く考えていたアスランは、良い事を思いついたと膝を打つ。
「私が勝ったら一緒に風呂でも入ってもらおうか」
「!!!」
思わずのけぞるアトレーユをニヤニヤと見ながら、アスランは楽しそうに酒をあおった。
絶対に負けられない戦いが始まった──




