2章41話 砂漠の後宮
強い日差しが降り注ぐ砂漠の宝石の街、ヴィシュテール。そこに純白の一際煌びやかな宮殿が、街を見下ろす高台に作られていた。
ロヴァンスやラーデルスとは違って、上に高く作る城ではない。広大な敷地を活かして広く作られる建築様式で、明らかに二国とは趣を異にしている。
そんなトラヴィスの王宮の更に奥に、王の妃達が住まう後宮が作られていた。
宮殿と同じく高い丘の上に建てられ、周囲を高い壁で囲まれているが、外装は白地に精緻な模様がそこを飾っているために、物々しさは感じられず、建物自体も中庭を囲うようにして作られており為、風通しが良く過ごしやすそうに思えた。
建物の中は白い柱が丸い天井を支え、美しい曲線のアーチを作っている。壁面や天井には青や朱の鮮やかな色彩が散りばめられていた。
河の水が宮殿の中に引き込まれており、砂漠の中にあるとは思えないような豪華な水の庭園が造られている。その中を吹き抜ける風は肌に心地よいものだった。
「……美しい城ですね。ここが後宮というところですか?」
アトレーユはアスランに連れられて、後宮の中を歩いていた。王の花嫁は皆この後宮という場所で過ごすようだ。
「ここは女達だけが暮らす場所だ。勿論外には護衛もいるが、基本的に男は私しか入れない。出入りも制限されている」
白い石造りの廊下を歩きながらアスランが説明をした。
「城というより美しい鳥かごだ」
アトレーユは率直な感想を述べた。アトレーユの言葉にアスランはふと笑うと、そうだなと相槌をした。
「きっとお前には窮屈だろう。私が色々と連れ出してやるから心配するな。退屈はさせない」
後宮の廊下を歩くにつれ、人の目が増えてきた。多くの使用人の女性達の奥に、美しく着飾った者達も見える。彼女達のこちらへ向ける視線はとても鋭かった。
「あの方々がアスラン様の奥様方ですか?」
彼女達の敵意の視線を真っ直ぐに受けて、アトレーユは尋ねた。
「……本当にお前は素直に聞くのだな。まるで責められているようだ……」
「えっ!そんなつもりは……あの……すみません」
「いや、いい。ここには私の妻たちが五十人ほどが暮らしている。そしてその侍女たちもな。いずれ分かることだし、知っておいた方がいいだろう」
「五十人……」
アトレーユはその数の多さに呆気にとられた。そんなにたくさんいるなら、今更自分のような者はいらないのでは?と思ったが、先ほどの反省を踏まえて口には出さなかった。
妃の数もさることながら、仕える人間の数も相当なものだ。女の園の後宮だけで広大な敷地面積である。
「こちらがロヴァンスの姫君様のお部屋となります」
使用人の娘たちがアスランとアトレーユを迎えた。
「この者達は皆お前の国の言葉がわかる。城にいるほとんどの者がそうだ。だが街へ出る時は私が一緒に行こう」
アスランの言葉を聞いた使用人達から騒めきが起こる。しかしアスランの冷徹な視線が注がれ、すぐに押し黙った。
アトレーユはその様子を不思議そうに見ていたが、文化の全く違うこの後宮ではアスランの言う通りにしておいた方が無難だろうと思い至った。
「ではティアンナを頼む。私は少し用があるからもう行くが、後で一緒に夕食をとろう」
アスランの言葉に頷くと、彼は満足気な笑みを浮かべて、アトレーユの頬に軽く接吻を落とした。
アトレーユが驚いて固まるのを笑い飛ばしてから、アスランは後宮を去っていった。
アスランの姿が見えなくなると、押し黙っていた侍女達が再び騒めき始める。アトレーユは、いつまでも呆然としていられないので、彼女達に向き直った。
すると侍女達はピタリとお喋りをやめ、緊張に身体を固くした。アトレーユはそんな彼女達に、ニコリと笑いかける。
「ロヴァンス王国から来たティアンナ・トレーユ・ポワーグシャーだ。よろしく」
ついつい騎士として身についていた挨拶がでてしまう。妃教育をしていたマルデラが見たら確実に怒られるだろう。
「「「──っ!!」」」
アトレーユの優美な所作と甘く美しい笑顔に、侍女たちは顔を赤くした。
「それでここが私の部屋なんだね?案内してくれるかい?」
「はっ、はい!」
アトレーユに見惚れていた侍女が、慌てて案内を始める。
後宮の最も奥にある広い部屋がアトレーユの居室となった。
トラヴィスは気温が高い地域である為、窓や扉は大きく風通しが良くなるように作られている。扉は幾何学模様の透かし彫りが施され、非常に豪華な造りである。白塗りの壁もよく見ると精緻な模様が彫られており、柔らかで美しい影を作っていた。
「姫様のお部屋はこの後宮で一番いい部屋なんですよ。王様もロヴァンスの花嫁様は特別だとこちらをご用意されましたので」
「へぇそうなんだ」
特別待遇なのはよくわからないが、過ごしやすそうな部屋であることには違いない。
アトレーユは緊張する相手であるアスランがいなくなったので、すっかり寛いだ様子だ。逆に侍女達の方が、姫君らしくないアトレーユにタジタジである。
「それで私は何をすればいいのかな?」
侍女達の方に振り返ると、アトレーユは唐突に問うた。
「えっ?」
「この後宮ってところで私は何をしたらいいのかな?何かすることがないと落ち着かないのだけど……」
騎士としての生活に慣れきっていたアトレーユにとって、することが無いというのは苦痛で仕方ないのだ。これが一般的な令嬢であれば、いくらでも楽しむ方法は知っているのであろうが。
「えぇとそうですね……外は砂ぼこりが酷かったでしょうし、湯あみをなさいますか?汗もたくさんかかれたでしょう」
侍女は自分たちの主人が退屈しないようにと必死だ。早速湯あみを提案し、アトレーユを甲斐甲斐しく世話しようとした。
「湯あみ!いいね。それにしよう」
アトレーユもサッパリとしたい気分だったので、その提案に乗った。
「あっでも今の時間は──」
侍女の一人が何かに気が付き躊躇した。
「何かあるのか?」
侍女たちは一様に顔を合わせて、アトレーユへと話し始めた。




