2章39話 チャンセラー商会の長
「あんのバカ共が……!!」
怒りに満ちたグリムネンの声が部屋に響く。
ティアンナが隣国へと嫁入りしてから一週間ほどが経過した頃、ポワーグシャー家に手紙が届けられた。
一つはティアンナからのもの。
そしてもう一つはフランとミスティの双子からのものだった。
「流石はポワーグシャー家の血を継ぐ者というかなんというか……」
呆れと感心の入り混じった声を発したのは、ポワーグシャー家次男グリムネンの妻で、ロヴァンス王国第二王女のロジェンヌ・カタロ・ポワーグシャ―だ。
小柄な彼女は、必死に夫であるグリムネンの怒りを抑えようとしていた。グリムネンは妹弟思いの兄である。そんな彼の思いとは裏腹に、危険を顧みず行動するのがポワーグシャー家の者達だ。
「もう私があの国に行くしかない!!連れ戻してくる!!」
ロジェンヌはため息を付きながら、グリムネンの提案にそれも仕方ないと思い始めていた。
「確かにあの国を彼女達だけで渡るのは危険極まりないわ。それでもラーデルス王国の使者一行と一緒なのは心強いけれど……」
「全く誰に似たんだか……これじゃ心臓がいくつあっても持たない!」
グリムネンはブツブツと文句を言いながら、隣国への手配とその間の第一師団をどうするかを本気で考えている。実際には別の者達が既に動いているので、グリムネンの派遣は許可が下りないだろうが、それでも当の本人は真剣だ。
「そういえばラティーファも今トラヴィスにいるのでしょう?彼女に頼むことはできないの?」
ロジェンヌの言葉にグリムネンが苦い顔をした。
「……あいつのほうがトラブルメーカーといっても過言じゃないからな……できれば何事も起こってほしくはないが……」
グリムネンのその言葉は、これまでよほど彼女に大変な苦労を背負わされてきたのだろう。ついおかしくてロジェンヌはクスリと笑った。
「ラティーファも貴方の大事な妹でしょう?彼女の事なら商会の皆が守ってくれるわ。彼女は商会にとって無くてはならない人だもの」
ロジェンヌの言葉に、グリムネンは複雑な想いがした。
チャンセラー商会は特務とは切っても切れない関係にある。そしてその商会を作ったのは他でもないポワーグシャーの一族なのだ。
特務は危険な仕事だ。その隠れ蓑であるチャンセラー商会もまた然りである。だからその商会の上に立つ者ともなると、危険だからと言ってその仕事から降ろすわけにもいかない。
ラティーファ・アンジュ・ポワーグシャー。
ポワーグシャー家の三女。彼女こそが今のチャンセラー商会の長である。そして彼女もまたトラヴィス王国へと潜入している一人であった──
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「あら?またわからなくなっちゃったわ?……ええとこっちから来たでしょ?だから北はあっちかしら?」
女性にしては珍しい高価な薄いガラスをはめ込んだ眼鏡をし、読めない地図を逆さにしたり裏返しにしたりして、道を探す一人の女性。
「ちょっとお使いに出ただけなのに、なんて入り組んでいるのかしらここは……」
うんうんと頭をひねりながら、適当に道を選んですいすいと進む。方向音痴にありがちな過ちである。
「あ!見つけた!ラティーファさんダメですよ!勝手に行ったら!」
従者の一人がようやく彼女を見つけて、お小言を始めた。
それに対し不満げに頬を膨らませるラティーファの姿は、とても歳相応の令嬢には見えない。
ここはトラヴィス王国の王都の街、ヴィシュテール。そしてラティーファと従者の男は、チャンセラー商会の者だ。
「だって道をよく見ておかないと、どこが荷車が通れるかとか、倉庫までの道筋とか考えるのに大事でしょう?」
コテンと首を傾げる姿はとても愛らしい。しかしどこか抜けているこの女性は、いつも迷子になっては周囲の手を煩わせていた。
「ティアンナの為にも、姉の私がしっかりと商会の拠点を作らないといけないわ」
姉としての使命感に燃えているラティーファを目の前にして、従者の男はそれ以上は何も言えなかった。
「それに私気が付いたのよ?この街と王宮の秘密に」
「えっ!?」
「あぁん、でもきっとジェドが怒るわね。私ってすぐ迷子になっちゃうから」
取り留めのない話し方は彼女の特徴である。訳の分からない中に、とてつもないアイデアや鋭い洞察力を持ち合わせているので油断ならない。
「そ、そうですね。ジェデオン様の到着を待った方がいいかもしれません」
彼女に勝手に行動させたら後が怖い。彼女をしっかりと御し、その慧眼を最大限に引き出させる存在、ジェデオンの到着を従者の男は悲痛な想いで待つしかなかった。




