1章21話 暗い牢屋の片隅で
暗く冷たい石の床の上で、リアドーネは目が覚めた。
「う……いたたた……」
彼女は、まだ少し痛む頭を押さえながら起き上がると、あたりを見回した。
「……ここは?」
そこは窓のない真っ暗な牢屋だった。床と壁はどうやら石でできており、通路の側には一面、堅牢な鉄格子がはめ込まれていた。更に通路の向かい側も別の牢屋になっているようだが、奥は暗くてよく見えない。左右に続く通路の壁に所々明かりがあるようだ。それのおかげで、辛うじて薄っすらと周りの様子がわかった。
状況がわからず、しばらく固まっていたリアドーネは、一体何が起きたのか、必死で思い出そうとした。
お茶会を抜け出した後、適当にぶらついていた所を、後ろから殴られたところで記憶は途切れていた。相手が誰だったかなど、まったく覚えていない。ましてやこんなことをされる心当たりもなかった。
「どうして……ここは一体どこなの?」
石造りで所々湿っている牢屋の中は、ひんやりとして少し肌寒い。恐怖と寒さでリアドーネは自然と体が震えだした。
「誰か!?誰かいないの!?」
鉄格子をつかみ、大きな声で叫ぶも、その声はむなしく冷たい石壁に響いた。心細さから自然と目に涙が浮かんでくる。
それでもあきらめずに何度も呼び掛けると、突然前方から声がした。
「あんまり大きな声をださないでくれるかなぁ?うるさくて頭に響くからさ」
そういって目の前の牢屋から顔をのぞかせたのは、メイドの服をきた小柄な男。
それはナバデ―ル邸から、ここへ連れて来られたナイルであった。
通路から漏れるかすかな光に浮かび上がって、とても不気味にみえる。
服は薄汚れており、所々破れていた。女装の為に被っていたカツラはどこかへいき、襟足部分の髪の毛は、ナイフで切ったかのように不揃いだ。あごには薄っすらとひげが生え始めていて、頬や口元にはあざが見える。
「あ、貴方は一体誰なの!?ここはどこ!?私をどうする気!?」
そんなナイルを見たリアドーネは、恐怖心を打ち消そうと矢継ぎ早に質問をする。
キーキーとした甲高い声にナイルは思わず耳を塞いだ。
「だーかーらーさー。少し音量抑えようね?お嬢さん?」
あざのある顔で、ニコリとしてウィンクをするメイド服を着た男。とても不気味である。
「そ、そんなこと言って……あ、あ、あ、あなたは…なな、何なの、一体!?」
尻もちをつきながら、牢屋の奥のほうまで後ずさって、ガタガタとリアドーネは震えだしてしまった。まともに話もできそうにない。
ナイルはやれやれと天を仰いでため息をつくと、ふといいことを思いついたと、ぱぁっと明るい笑顔をリアドーネに向けた。
「そうだ、お嬢さん。ピン持ってない?女の人なら持ってるでしょ?あれがあると助かるんだよねぇ。勿論本当の意味でさ!」
懲りずにウィンクをしてピンをくれとアピールする。商人姿でなくても、なかなか調子のいい(勿論誉め言葉ではない)男であるナイルは、にこにこしながら、リアドーネの返答を待った。
アトレーユ曰く、特務師団の人間はどこか人としておかしい所があるとのことで、ごく普通の令嬢であるリアドーネは、その普通でないおかしな様子に怯えるばかりである。
「ほら、ねぇピンもってないの?ここから出たいでしょう?僕が出してあげるよ~ほらほら、出たいでしょ~?お嬢さ~ん」
まるでエサで釣ろうとしている悪者のような口調で、リアドーネの気をひこうとしているが、リアドーネはここから出られるという言葉をきいて、訳も分からずコクコクと人形のように頷いた。しかし恐怖のせいか、コクコク頷くばかりで、一向にピンをよこさない。
がくーっとナイルはうなだれると、しばらくして、表情をまるきり変えて、再度リアドーネに語り掛けた。
「僕はナイル。君は名前なんていうの?」
最初からやり直しとばかりに、騎士としての真面目な表情で令嬢に話しかける。
「……リ、リアドーネよ」
牢屋の隅で小さくなっていた令嬢は、普通の自己紹介に少し安心したのか、素直に答えた。
そっかそっかと、ナイルはいい人に見えるようにこやかに頷いた。
もちろん、リアドーネが牢屋に運ばれてきたときから、そんなことは知っていた。そこは流石に諜報活動を得意とするナイルである。先ほどは寝起きをうるさくされて、少々おかしなテンションになってしまっていたのだと、自分に言い訳をする。ナイルはリアドーネの前で、信用に足る人物を演じるよう努めた。
「僕もちょっと前からここにお世話になっているんだけど、流石にもう飽きたから、一緒に協力しないかい?」
そういってリアドーネを見ると、希望の光がその目に差すのが見て取れた。
それを見て、満足そうにナイルは頷くと、改めてピンを持っていないかと聞いた。
「あるわ。はい、そっちに投げるわよ?」
そういって髪をとめていたピンの一つをとると、ナイルの方へ向かって投げた。
ナイルはそれを空中で受け取ると、やったと小さく呟き、表情を少しだけ鋭くして、牢屋の錠前に狙いを定めた。
そしてあっという間にカギを開けると、ふふんと鼻息荒く、得意げに鉄格子の扉をあけ放った。
不気味な姿からは想像もできないような早業に、リアドーネは呆気にとられている。
それをナイルは意地の悪い笑みで見下ろしたかと思うと、じゃぁねといってそのまま立ち去ろうとした。
そこではっと我に返った赤髪の令嬢は、鉄格子越しにナイルのメイド服の裾をがしーっと掴むと、先ほどまでの怯えを感じさせないような高飛車な様子で、ナイルを罵った。
「ちょっと‼あなたここから出してくれる約束じゃないの!?」
涙の滲む目で、顔を真っ赤にして抗議をする。
ぶふーっとたいして堪えてもいない笑いを、なんの遠慮もなく吹き出すと、ナイルは冗談だよと、しゃがんでリアドーネの方の牢屋のカギを開けてくれた。
「いやぁ~約束は約束でも、一人だけ抜け駆けするっていうのがお約束だよねぇ」
などと、訳の分からない事を言って、自分で上手いこと言ったね!とか誉めている。
なんなの、この男?とリアドーネは、軽蔑と疑念の入り混じった目で見ていたが、ある意味ナイルのおかしな行動のおかげで、恐怖心はどこかへ消え去ってしまったようだ。
「体は大丈夫?どこかケガしていない?」
にこにこして気遣う言葉をかけると、そのままリアドーネの牢屋に入ってきた。そしてあろうことか、そのままくるりと後ろを向くと、入り口のカギをかけてしまった。
「何をしているの!?それじゃ逃げられないじゃない‼」
リアドーネは驚愕して、目玉が飛び出そうなくらい、目を見開いた。
「そうだよぉ、だって逃げないもん」
にこーっと信用ならない笑顔を向けるナイル。結局ナイルがこちらの牢屋に移動してきただけである。
「な、なな……っ!」
リアドーネは怒りで、言葉にならない言葉を発した。それを面白そうにナイルは見つめると、あっけらかんと言った。
「今はまだ……ね。あと半日くらいは見回りの奴こないと思うしさ。それまでのんびりしてよう?」
そう言ったナイルの顔には余裕の笑みが浮かんでいた。




