2章25話 前線の砦
カザ砦──
ここは常に緊迫した状況が続く砦だ。トラヴィスとの国境沿いの中では最も人の通る場所であり、常にその出入りに目を光らせている。
しかし国境線を通る山の中までは、そこを縄張りとする山の民達を刺激しないために、山道に入る前までを警護するというのが常であった。
それが今回、徒となった。
「罠を張ってまで、こちらを攻撃するやり方など今までなかったことだ」
苛立った様子のグリムネンが地図を広げて、机をコツコツと指で叩いた。今回の護衛の失態は、完全に普段の警護の裏をかかれたものだった。
「トラヴィスは王制の国とはいえ、一枚岩の国ではないのかもな……」
カザ砦に遅れてやってきたジェデオンが、兄の言葉にそう返した。
山の民はトラヴィス、ロヴァンス両国にまたいで生活している。ほとんどがトラヴィス側だが、時期によってはこちら側に留まることもあるのだ。
「生活圏を移動しているから、今回のような事態は予想できなかった──」
トラヴィス王国というのは未だ謎の多い国である。特務の情報でも、多くを掴めていない状況だ。
ロヴァンス王国は人種的にそう多くはない。この国の始まりである亡国の姫君と伝説の騎士。その二人とともに、国を亡くした多くの人々がこの地へとやってきたのだという。それゆえにロヴァンスの民に流れる血は、元を辿れば同じところに行きつくのだろう。
しかしトラヴィス王国という国は、いくつもの民族が集まってできている国だという。
「いずれにせよこれからは、国境線まで厳重に警戒する必要がある」
グリムネンは吐き捨てるようにそう言うと、地図を睨む。妹であるティアンナが、無事に国境を越えられたかが気がかりだった。
あの後、グリムネン率いる第一師団は周辺一帯の山狩りをした。名目上は国境警備の強化。
いくつかの山の民の生活の痕跡が見つかったが、すでに拠点を移したのか、生きている者は見つけられなかった。
国境の通る山頂まで調べると、そこには戦闘の痕跡が残されていた。数々の死体、地面に刺さったままの矢、染みついたどす黒い血が、凄惨な戦がそこにあったことを物語っていた。
その中に一人のロヴァンスの騎士がいた。彼はつい先日、第一師団にやってきた騎士だった。
彼の側に残されていた汚れた白い靴は、花嫁としてティアンナが身に着けていたものだ。彼がティアンナをあそこまで守ってくれたのだろう。
──ティアンナの痕跡はそこで途絶えていた。
「いずれ花嫁の無事を知らせる者が、トラヴィスから送られてくるだろう。こちらもただ黙って指をくわえているわけにはいかないからな」
ジェデオンがいつになく厳しい声音で呟いた。彼もまた特務としての任務をもってこの場にいる。
「失礼します!ジェデオン様、迎えの馬車が到着しました」
砦の執務室に兵士がジェデオンを呼びにやってきた。
「すぐに行く」
すでに旅装を終え、部屋を出て行こうとするジェデオンに、グリムネンは声を掛けた。
「……気を付けて行けよ」
振り返ったジェデオンが、兄を揶揄う様に笑った。
「俺の心配だなんて珍しい」
「馬鹿言え。お前だって大事な弟だ」
グリムネンのその言葉に鮮やかに笑うと、ジェデオンは背を向けたまま片手を振って部屋を出て行った。
残された部屋でグリムネンはため息を落とす。
あれから二日──敵とはいえ山頂の多くの死体を弔っていた為、砦の者達は皆疲労が溜まっている。
そしてまだグリムネンにはすることがあった。知らせを受けてその人物はいずれこの砦に来るだろう。
「気が重くなるな……」
──仲間の死をその家族に告げる。
幾度も繰り返してきたその役目に、未だ慣れることはない──




