2章22話 別れ
アトレーユとガノンの二人を足止めしようと、羽飾りをつけた敵の歩兵が近づく。
「リアン!!」
ガノンが叫ぶと、すぐさまリアンが敵に踊りかかった。
鋭い牙を敵のふくらはぎに食い込ませる。敵はたまらず悲鳴を上げて地面を転がった。二足で立てば大人の人間ほどある体格の狩猟犬だ。本気で襲われたらひとたまりもない。
リアンは次々と襲い来る敵に噛みつき、撃退していった。ガノンは敵が怯んでいる間にどんどん駆け抜けていく。
「このまま突っ切る!!」
戦の場所から抜けてしまえば、迎えの者達が花嫁を守ってくれるだろう。どちらもトラヴィスの人間だという不安は、今ほどの戦闘を見て払拭された。敵の敵は味方。単純だが今はそれに賭けるしかない。
国境に近づくにつれて傾斜が酷くなる。足が辛い。
「ガノン……もうここでいい!後は自分の足でいくから!」
「いいや、ダメだ!最後まで……最後まで見送らせてくれ!」
ガノンはアトレーユの言葉を遮り、頑として自分の意志を貫いた。
これが本当に最後だとわかっているから、どうしても彼女を見届けたかった。花嫁の一行がカザ砦に来た時には、別れが辛くて会わなかったのに。
彼女がトラヴィスの花嫁に選ばれたことに、彼女がそれを断らなかったことに一人憤っていた。恋とは違う──だが彼女に惚れているのだ。
戦友とも盟友とも呼べるそんな存在。そして誰よりも尊敬する騎士。
アトレーユが女性であることを知ったその日から、誰よりも強くなろうと決意した。騎士として凛と立つ彼女をそのすぐ側で支えるのだと誓って。
だがもうかつてのように同じ道を歩むことはできない。
異国の――敵国の王に嫁ぐのだ。
独りで行かねばならない彼女の為にできるのは、命を懸けて祖国を守ること。
そして今、彼女の為に最後にできることがある。
「見えた!あそこだ!!」
最も高い場所に陣を張るようにして、馬に跨った者達が戦いを見据えていた。もう森は途切れていた。
岩肌の斜面を必死に駆けあがる。身を隠すものが無くなって、敵が一気に押し寄せてきた。
その数と勢いにリアンも対処できず、アトレーユ達に遅れをとらないように必死でついてきている。
矢が頭上を飛び交う。
こちらに気が付いたトラヴィスの迎えの者達が、襲い来る敵に向かってなだれ込んできた。
激しい剣戟が間近で繰り広げられる。
それをすり抜け頂上を目指した。
「ぎゃんっ!」
突然悲鳴のような鳴き声が後ろから聞こえた。
振り返るとリアンの身体に一本の矢が突き刺さっていた。
「リアン!!」
アトレーユの叫び声に反応して、リアンは足を引きずりながらも必死で追いかけようとしていた。しかし傷口からは血が溢れだし、もはや歩くこともできずしゃがみこんでいる。
「ガノン!リアンがっ──」
止まれないとわかっていても、アトレーユは心が引き裂かれるような想いがして叫んだ。
しかしガノンはそれに応えない。そして低く唸ったかと思うと、突然その大きな身体が傾いた。
アトレーユを背負う腕の力が緩み、どおっと思い切り地面へ倒れ込む。
「ガノンっ!!」
ガノンの足と脇腹に矢がいくつも刺さっていた。こんなになるまで耐えてここまでアトレーユを背負い走ってきたのだ。
彼は這いつくばりながらも、アトレーユが逃げること、それだけを願っていた。
「……行け……!アトレーユ……!!走れっっ!」
アトレーユはガノンの必死な想いを受けて思い切り地面を蹴る。岩肌の斜面に靴が脱げて、足が血で滲むのも気にせずひたすら走った。
後ろからは敵が追いかけてくる。
それでも振り返らずに前だけを目指して走った。
ガノンが命がけで自分をここまで連れて来てくれた。
でも傷ついた彼を置いて行かなければならない。
熱く、そして悔しい想いと共に、涙が溢れてくる。
それでも自分が逃げ切れば。
迎えの者達が敵と戦ってくれれば。
ガノン達は助かるのだ。
「ティアンナ!!」
突如呼び声と共に、前方の陣から一騎、馬に跨った者が駆けてきた。
「っ──」
アトレーユは一瞬それに気を取られ、転んでしまった。
すぐに後ろから敵兵が彼女に追いつき、髪を掴んで引きずって行こうとする。痛みに叫び声を上げそうになった一瞬──
「私の花嫁だぞ!」
冷徹な声音とともにティアンナを掴んでいた敵の首が飛んだ。血が白いドレスに飛び散る。
こちらを見上げたアトレーユの姿をその七色の瞳に映すと、その男は闇夜に鮮やかに笑った。
「よくここまできた」
それはトラヴィス王国の王、アスランだった。
「アスラン……様……」
彼はアトレーユの腕をとると、力強く引き上げて自分の馬に乗せる。
「行くぞ!!花嫁は無事手に入れた!もうこれ以上は必要ない!!」
無情にも、ガノン達を助けるだろう兵達が引き上げていく。
「待って!ガノンとリアンが──」
アトレーユの声は周囲の音に掻き消えた。
花嫁を乗せた馬は止まらない。
走り去る馬上から、ガノン達のいる場所を必死に探す。
視界が滲んでその姿が歪んで……そして暗闇に見えなくなっていく。
「ガノン!ガノン──!!」
旅立つアトレーユの姿を、ガノンは起き上がることもできないまま、ただじっと見つめていた。こちらを見て叫ぶ彼女の目に、涙が浮かんでいるのが見える。
「……泣けるように……なったんだな……よかった……」
どんなに辛いことがあっても涙を流さなかったアトレーユ。
友人としてそれを心配し、わざと泣かせようとしたこともあった。
懐かしい、彼女との大切な思い出。
国境を越え、その姿が小さくなっていく。
初めて見た彼女の涙は、とても美しかった。
そしてそれが自分の為であるいうことが嬉しかった。
ガノンは小さく笑う。
もう痛みは感じない。
「アトレーユ……どうか……幸せ……に……」
消えゆく意識と共に、ガノンは静かに瞼を閉じた──
こうしてアトレーユは故国と……そして友と別れを告げた。




