1章12話 夜会の夜4 誤解
黒衣の騎士、ラスティグは遠くから見つめていた。王女と護衛の騎士が、月明りの中、抱き合っている姿を。
自身の心が冷えていくのがわかる。
自分の仕える主の妃になるだろう姫君が、恋仲の騎士と抱き合っていては、主の地位が脅かされかねない。アトレーユを騎士として認めていたが、だからといってこの状況を認めるわけにはいかない。彼らが自分たちの歩む道をふさぐならば、切り捨てるまでだ。
そんな暗くくすぶる心の内を、にこやかな笑顔で隠し、ラスティグはバルコニーへと出た。
「こちらへおいででしたか、殿下」
そういって近づくと、美しく礼をした。
王女はアトレーユから手を離すと、かばうように前へ出た。
「ラスティグ様もお見えでしたのね。とても楽しい夜会ですわ」
にっこりと微笑むと、いつもならここで扇を取り出し、表情を隠すかのようにするのだが、今は正面切って相手に挑むような笑みを向けている。
「それで、なにか御用でしょうか?」
つけ入るすきを与えないように、笑顔で詰問する。
アトレーユは、今は心が不安定だ。ラスティグが彼女を傷つけるならば、容赦はしないといった様子だ。
「王女殿下がお見えでしたら、王太子殿下と踊られてはどうかと、探していたのです」
そんな王女をものともせず、ラスティグはしれっとした様子で答えた。
「まぁ、王太子様が?今夜はお妃候補を選ぶ夜会ではないのでは?」
王太子が夜会に姿を現したとなったら、騒ぎにならないはずはない。みな、妃になろうと、こぞって競い合うだろう。
「お忍びできているのです。殿下はあまり人に顔を知られてはおりませんので」
ラスティグはそういって爽やかに笑った。
王女はどうしたものかと思案した。アトレーユが心配ではあるが、ラスティグと接する機会を持たせたいという気持ちもあった。
ふと広間の入り口に、赤髪のガノンがこちらをうかがっているのが見えた。脇には地味な貴族の服をまとった、ノルアード王太子がいる。
王女は観念したように笑いながら言った。
「せっかくのお誘いですから、喜んでお受けいたしましょう。でも、私と踊ってご身分がばれてはしまいませんか?」
ラスティグは王女の言葉を受け、確かにそうですねと、可笑しそうに笑うと、ガノンの方を向いて言った。
「殿下方の護衛は、あちらの方にお任せするとしましょう。幸いこの屋敷の警備は厳重ですから、何事も起こらないのは私が受け合います。私がアトレーユ殿とこちらにいれば、ノルアード様を王太子殿下と気づくものもいないでしょう」
そういって、にこやかにアトレーユの隣に立った。
わかりましたわ、と王女は答えると、アトレーユに気遣うような眼差しを向けてから、王女を迎えようと、こちらへ足を運びかけていた王太子の元へと向かった。
そんなやり取りを、呆然と見ていたアトレーユは、まだ先ほどの衝撃から立ち直ってはいなかった。にこやかに王女の手をとるノルアード王太子。二人は笑い合いながら、並んで広間の奥へと消えていった。
まるで二人の将来を見せつけられたかのようで、胸がつぶれるような想いがして、自然と顔が引きつる。
そんなアトレーユの様子を横目に、ラスティグは、やはりこの騎士は王女に懸想しているなと思った。二人きりになると、ラスティグはアトレーユを見ることなく、低い声で話しかけた。
「貴殿のような騎士として立派な御方が、この場であのような振る舞いをしては、主の評判に傷をつけましょう。慎んだほうがよろしいのでは?」
冷たく突き放すような物言いである。
その言葉にアトレーユは、はっと我に返った。
自身の甘えから、王女から離れるのを嫌がり、自分を慰めることに必死で、周りが見えてはいなかった。改めて自分の行動を反省する。
「貴殿が思うようなことは何もない……そうは見えなかっただろうが……殿下は弱い私の心を慰めてくださっていただけなのだ」
アトレーユは自身を情けないと思いながらも、そう言い訳した。せめて、王女にかかったいわれのない疑いだけは、晴らさねばならない。
「ふん、そうだろうか。貴殿のように美しい騎士にならば、女性は誰しも虜となりましょう」
そういって勘繰るラスティグの言葉に、アトレーユは胸が痛んだ。
美しい騎士。そう言われて自分がひどく中途半端な存在のように思えた。女でもなく、男でもない、どちらでもない存在。王女を守る役目を失ってしまったら、自分の存在価値など、どこにも見出せないかのように思えた。
「……私は騎士として、王女にお仕えするだけだ。そのためにこの命を落とそうとも……」
そういって唇を噛みながら、俯いて黙ってしまった。
いつもより覇気のない姿を不思議に思い、ラスティグは、すぐ隣に立つアトレーユに目を向けた。
アトレーユはラスティグよりも幾分か背が低いので、俯いた時にその白い首筋が、流れる銀髪の間からみえる。
そのうなじの美しく艶めかしい白さに、ラスティグは思わず息を飲みこんだ。
この銀髪の騎士は、普段は殺気を思わせるような、鋭い空気をまとった人物である。だが今は力なくうなだれていて、華奢で心許ない姿はまるで美しい女性のようである。
いや、そんな馬鹿なと、その考えを端へ追いやり、目をそらした。この騎士は危険だ。このままでは、自分が彼に懸想しかねないと思った。
そんなラスティグの胸中を知ることもなく、アトレーユはこれからのことを考えるのに必死だった。そしてちらりと横に立つ黒髪の騎士を見た。
まっすぐな立ち姿は堂々としていて、勇ましい。優美な黒い騎士服からのぞく手は、自分の手とは違って、ごつごつしていて大きく、それはどんな大振りな剣でも振るうことができるだろう。
その横顔には力強さと自信が溢れている。騎士として、自分が仕える主のために、自身の力を最大限発揮できることを誇示しているかのようだ。
どこか憧れのような、熱く甘酸っぱい気持ちが、内から沸き起こってくる。この気持ちは何だろうと考える余裕もなく、ただじっと隣に立つラスティグを見つめていた。
ラスティグはその視線に気づき、再びアトレーユを見ると、熱く潤んだような、美しい紫色の瞳と目が合った。アトレーユはただただ、こちらをまっすぐに見つめている。
その素直で美しい瞳に、ラスティグはひどく動揺した。ドキドキと鼓動が早くなる。
思わず、目の前の美しい顔に手を伸ばそうとした。
しかし自分の目的を思い出し、それを必死に堪えると、誤魔化すように咳払いとひとつして言った。
「いつまでもここにいては冷える。我々も広間へと戻りましょう」
そう言って、アトレーユを中へと促した。その言葉に女性への気遣いのようなものが含まれていたことに、二人は気づかなかった。




