1章11話 夜会の夜3 王女の想い
それぞれの想いを胸に抱きながら、優しく流れてくる音楽に身を任せ、踊るアトレーユとキャルメ。
ふと王女の肩越しに、長身で黒髪の男が踊っているのが見えた。
黒衣の騎士服に身を包んだ、ラスティグだ。銀糸で刺繍の施された裾の長い騎士服を翻し、颯爽と踊っている。
一緒にいるのは、先ほど絡んできた、真っ赤な髪のリアドーネだ。
真っ黒な服に身を包んだ二人は、周囲の視線を集めるほど、美しく舞っている。
二人は楽しく談笑しながら踊っているようだ。
その姿を見てアトレーユは、胸が締め付けられるような思いがした。
踊りながら、黒衣の騎士の姿を見つめていると、一瞬、ラスティグと目が合う。
ドキリとして、すぐに目線をそらす。
目を伏せ、自分の内から沸き起こる動揺を抑え込もうと、瞬きを繰り返した。
「どうしたの?アトレーユ?」
すぐに王女が気遣って声をかけてきた。
そして、アトレーユがいままで見ていた先の人物に気が付くと、ピンときたようで、優しい表情でアトレーユを見つめた。
「ティアンナは彼が気になるのね」
「えっ……?そういうことでは……」
言葉を濁すも、王女があえて『ティアンナ』と呼んだことには気づいていない。
そんな様子をみて、キャルメ王女は微笑んだ。喜びと切なさを含んだ微笑みで。
そこで、音楽がいったん途切れた。曲の変わり目である。ずいぶん踊っていたので、ここで終えて、休むために、二人はバルコニーへと出た。
薔薇の香りが漂う庭園の、優しい夜風が二人を包む。広間からはまた音楽が流れだし、人々の談笑は遠くに聞こえた。
しばらく二人は、夜の美しい庭園を眺めていたが、王女は、呟くような落ち着いた声で、いままで胸に秘めていた想いを告げた。
「もし……貴女が、アトレーユとしてではなく、ティアンナに戻って女性として生きたいのならば、私は反対しません」
切ない表情で美しい夜の庭園を眺めながら、そう王女は告げた。
半分ほどに欠けた月が二人を照らしている。月が作った二人の影がバルコニーの床に薄く伸びていた。
アトレーユは衝撃を受けて目を見開き、焦った様子で王女に詰め寄った。
「なぜそんなことをおっしゃるのです?」
そういうアトレーユの表情は、恋人に捨てられて縋るような、切羽詰まったものであった。
「私がこの国へ嫁ぐこととなったら、貴女はこの国へは共に来ることはできません。私はこの身一つで異国へ嫁ぐのですから」
そういってアトレーユに視線を映し、まっすぐに騎士を見つめた。固い決意の炎が、蒼い瞳の奥に灯っている。
その言葉を聞いて、アトレーユは息を飲んだ。
「貴女はこのまま、私がいなくなっても騎士を続けるのですか?貴女が何のために騎士を続けているのか、私はわかっているつもりです。貴女の苦しみも……」
アトレーユは王女の紡ぐ言葉を、ただ黙って聞くことしかできなかった。王女のまっすぐな瞳に耐え切れなくなったように、目をそらし、眉間にしわをよせ、唇をきつく噛んだ。
そんな苦悶の表情を浮かべるアトレーユを、キャルメ王女は切なそうに見据え、庭園に視線を戻した。
「その日がきたら、貴女の選択を、私は喜んで認めましょう。…ティアンナには幸せになってほしいの」
王女の潤んだ瞳が月明りにきらきらと照らされている。
「ミローザ……っ」
アトレーユは思わず両手で顔を覆った。だが涙を流しているわけではない。
あの悔し涙を流した日以来、決して泣くことはしないと、固く誓ったのだ。
しかし、この情けない顔を王女に見せることはできない。今にも泣きだしそうに、王女に縋っては、自分の目指す騎士になることはできない。
どんな時も冷静に、周りから恐れられても、王女を守るのだ。それだけが、自分に許された唯一の道であると信じていた。
だが目の前の守るべき王女は、自分をもういらないのだと、そう言っている。アトレーユとしての役目はもうすぐ終わるのだと。
きつく結んだ瞼の裏が熱く潤んでくる。女として生きる道を捨てたあの日から、自分の心の拠り所としていたのは、王女を守るという、ただそのことだけであったのだ。
それを失いかけている今、アトレーユは自分の生き方を問われていた。
両手で顔を覆ったまま、天を仰いだ。けっして涙がこぼれてこないように。
情けなくて、手をどけることができない。
そんな、アトレーユの頬を王女は優しく両手で包みこんだ。安心させるような声音で語り掛ける。
「だから、私が安心して嫁げるように、笑っていて。貴女が剣として、盾として守ってくれたように、これからは私にしか出来ないことで貴女を守るから」
アトレーユは王女の言葉に応えようと、手をおろすが、言葉がでてこない。
少し赤くなった目で、王女を見つめ返すと切なく笑った。
「ミローザ、私の薔薇姫……」
そういって王女の身体を優しく抱きしめた。王女は仕方がないわねと、子供をあやすかのように、抱きしめ返した。
月明りが優しく二人を包む。
遠く聞こえる人々の喧騒が、まるで別の世界の出来事のようだ。
この優しい時間が、永遠に止まればいいのにと思った。
このまま、この優しい王女をいつまでもこの腕にとどめて置ければいいのにと思った。
騎士である前に、どうして自分は女として生まれたのであろう。
それにどんな意味があったのだろう。
ティアンナとして、アトレーユとして、王女の前で心を全てさらけ出していた。
王女は優しくそれを受け止めてくれた。




