1章106話 運命の輪3 涙の雨
ナイルは王城内を走り回って、今朝がた退城した人物を乗せたという馬車の御者に話を聞いた。
彼の話では、その人物は途中で馬車を降りたようだ。だがその後の足取りは知らないとのことだった。
ナイルは急いで城から飛び出し、御者がその人物を降ろしたという場所へ向かう。そこは首都ラデルセンの大通り、商店の多い場所から、すこし離れたところ、宿場の多い所であった。
ナイルはそこでも聞き込みをし、その人物に関する情報を探した。
そしてそれは割とすぐに見つかった。
目立つ髪色のその人物は、馬を借りて首都からすでに出て行ったようだ。
ナイルも同様に馬を借りて、彼女が向かったと思われる道を進む。すでに昼をとうに過ぎ、日は徐々に西の方角へと落ちるように傾いていた。
首都の城門を抜け、ひたすらに街道を走る。
その道の先に明らかにされるだろう真実に、ナイルの心は戦慄していた。
このような感覚は今まで味わったことがなかった。
……いや、実際にはあったのだ。
彼の心が必死にその恐怖から目を背けようとしていた。
しかし、今はそれを突き止めなければいけない立場である。
逃げることはできない。
――何故、どうしてこんなことに……――
そんな想いに、胸を掻き毟りたくなる。
もはや彼は一言も言葉を発さない。
その言葉共に、必死で目を背けている事柄が、真実として目の前に現れるのが怖いのだ。
次第に辺りが暗くなってきた。
だがまだ日は完全に落ちてはいない。
青かった空に、いつの間にか不穏な気配を表すかのような、どす黒い雲ができ始めていた。
その雲は空だけではなく、ナイルの心も黒く覆っていった。
――――――――――――――――
暫く名残惜しそうに、ラーデルスの王城を見つめていたリアドーネは、空の様子も気にかかるので、もはや郷愁の想いに駆られることは止め、先に進むことにした。
――――行く当てはない。
あの女と共に隣国へいくのもどうかと思ったが、そこで自分が何をすべきなのかはわからなかった。
自分がすべきことは、もう終えてきた。
リアドーネはサイラスの想いを遂げたのだ。
彼の本当の願いを。
涙が零れ落ちそうになるのを堪えるために、空を仰ぐ。まだ日が落ちていないのに、夜のように辺りは暗くなっていた。
その空を見つめる灰色の瞳に、空から一粒の雫が降ってきた。
そして彼女が涙を流す代わりに、次々とその涙を空から降らし始める。
彼女はその涙の雨に、その身を打たれるがままにしていた。
すでにサイラスの為に多くの涙を流したリアドーネにとって、その雨は彼女の乾きを潤そうとしているかのようだ。
その時、ふと彼女の名を呼ぶ声がしたような気がした。
懐かしく、ほろ苦い気持ちを呼び起こさせるその声に、リアドーネの胸は切なく締め付けられる。
そんなはずはない。
ただの聞き間違いだ。
リアドーネは無理やり頭を振って、自分に言い聞かせる。
未練がましい想いを断ち切るように、リアドーネは再び馬を走らせた。
次第に雨が激しくなってくる。雷鳴もどこかで轟いているようだ。道はかなりぬかるんできており、早く宿場を見つけて入らないと、このまま夜がきてしまう。
リアドーネは更に馬の速度を上げた。
そうして暫く走ったのちに、道の先に雨で霞んで見えていた橋が、徐々に姿を見せてきた。
ラーデルス国内を流れている河川にかかる木橋だ。
今は激しい雨によって、川はかなり増水しているようである。
早速橋を渡るために馬を向けるが、馬がその川の勢いに慄いて、言うことを聞かない。前へ進むことを拒んで、止まってしまった。
「ちょっと、お願いだから言うことを聞いて!」
何とか馬を宥め先へ進ませようとするが、うまくいかず、馬は不安な様子でウロウロするばかりである。やっと木橋の上まで進んでも、戻ろうとしてしまう。
そうしているうちにも川は今にも氾濫しそうなほど、増水していた。
リアドーネの心が不安に飲み込まれてしまいそうになったその時――
「リアドーネッ!!」
激しい雨音の中にはっきりと聞こえる、凛とした声。
その凛とした声は彼女の名前を呼び、その溺れそうな心をしっかりと掴んだ。
リアドーネは振り返った。
会いたくて、会いたくて……
そして会いたくなかった人がそこにいた――――




