1章1話 王女を護る銀髪の騎士
本作は作者自作の挿絵が入っておりますので、不要な方は非表示でお願いします。
昼間でもほとんど陽の光が通らないような暗い森の中、一台の豪華な馬車が護衛達に守られながら、ものすごい勢いで走り抜けていく。眠る森の静寂を切り裂くかのように、怒涛のような蹄の音と馬車の軋む音が辺りにこだましていた。
ビュンッ!──と音を立てて馬車に向かって飛んでくる矢を、一人の若い騎士が斬り落とした。
「セレス!アトス!お前たちは横に回れ!ガノンと私は後ろをやる!」
暗闇の中、輝くような美しい銀髪を翻したその騎士は、他の者達に声をかけると僅かに馬の速度を落とし後ろに迫る敵を迎え撃つ。背後には黒い装束に身を纏った盗賊達が、武器をその手に馬車を追っていた。
──ここはロヴァンス王国とラーデルス王国の国境付近、深い森の中を続く街道である。
激しい剣戟が響き渡り、盗賊の一人が胸から血を流して落馬した。しかしそれに怯む様子もなく、今度は別の者が馬車に向かって襲い掛かってくる。次から次へとやってくる敵を苦々しく思いながらも、騎士達はそれらを片っ端から斬り伏せていった。
「国境を越えてすぐにこの状況とは……一体ラーデルスの人間は何をやっている!?」
ここにいない相手に対して怒りを滲ませながらも、銀髪の騎士の剣は一向に鈍る気配がない。
「隊長!もうすぐ森を抜けます!」
「気を抜くな!馬車の守りを固めろ!」
「はっ!!」
隊長と呼ばれた銀髪の騎士の号令が飛ぶ。と同時に、護衛達と馬車はさらにスピードを上げた。
終わりのないように思えた暗い森の先に、一筋の光が見えた。その光を目にして皆が安堵の息をもらした時、前方を盗賊の別部隊が塞いでいるのが見えた。
「くそっ!前を切り開け!馬車を止めては駄目だ!」
言うが早いか銀髪の騎士は馬車を追い越し、猛然と敵に斬りかかった。他の騎士達も馬車の道を作らんとそれに続く。倒れた盗賊を蹴散らしながら、切り開いた血路を馬車はそのままの速さで進んでいく。
飛び散る赤い血しぶき。煌めく剣戟の火花を暗い森に撒き散らし、彼等は光の出口へと突き進んでいった。
──刹那、視界すべてが白く染まった。森を抜けたのだ。
先ほどの暗闇がまるで嘘のように、中天の太陽が眩しく輝いている。
やっと周りの明るさに目が慣れた時、前方の道の先にある開けた丘の上に、赤い軍旗を掲げた一団が目に入った。
「あれは……ラーデルス騎士団!」
黒い軍馬に跨り重厚な鎧を纏ったその一団は、まるで黒い雪崩のように丘の上から一斉に駆け下りてくる。
あっという間に馬車とすれ違うと、盗賊の残党を次々と蹴散らしていった。
既に大部分の戦力を銀髪の騎士達によって削がれていた盗賊達は、ラーデルス王国の騎士団によってもはや壊滅状態である。その様子を窺いながら、馬車はしばらく行った場所で停車した。
盗賊が捕縛されていくのを冷ややかに見ていた銀髪の騎士は、ここでようやく馬車の中からの声に我に返る。
「アトレーユ、ケガはない?」
「──姫様。申し訳ございません…………かなり無理をして馬車を走らせたので、姫様こそお怪我はございませんか?」
馬車の窓から美しい金髪の可愛らしい姫君が顔を覗かせる。彼女はロヴァンス王国の第3王女、キャルメ・デローザ・ロヴァンスだ。
「大丈夫よ。貴方達を信じているから。ドキドキして結構面白かったわ」
気遣う騎士達の想いと裏腹に、悪戯っぽく口元を緩ませ、猫の目のように挑戦的な視線を寄越す王女に思わずため息を吐く。
「何にせよこのような事態となっては、姫様をこの国へお連れしたのはやはり間違いでした……」
姫君を乗せた馬車は、美しく真っ白で精緻な金の装飾が施された豪奢なものであったが、激しく走った為に泥が撥ね飛び、装飾も所々剥げてしまっていた。
アトレーユと呼ばれた銀髪の騎士は、改めて見た馬車の様子に眉を顰めた。まるで自分が守っている大切な姫君を汚されたかのような気分だ。
「──ご無事でしたか。ロヴァンスの姫君」
声がする方を見ると、ラーデルス騎士団を率いていた騎士の一人が馬を降りて近づいてきた。黒い甲冑と騎士団の紋章の入った深緑の衣を身に纏ったその男は、右拳を左胸に当ててラーデルス式の敬礼をする。
「ラーデルス王国騎士団、団長のラスティグ・ハザク・ストラウスと申します。城まで我らが王女殿下の護衛をさせていただきます」
ラスティグはにこやかにそう告げた。漆黒の髪は短く整えられ、眼光鋭い瞳は珍しい金色に輝いている。大柄で武骨な雰囲気を纏っているが、涼やかな目元と高い鼻梁、形の良い薄い唇のおかげで、顔立ちは美しく繊細な印象の騎士だ。
しかしにこやかなラスティグとは対照的に、アトレーユは冷たい声音で言い放つ。
「貴国の警備は一体どうなっている」
美しい紫の瞳が苛立たし気に相手を見据える。陶器のような真っ白な肌に、一つに括った背中まである銀髪、そしてすらりとした優美な立ち姿は見目麗しいものだが、放つ気配は非常に鋭い。相手の対応によっては、闘いを辞さないとでも言わんばかりだ。
そんな怒りを露わにする美貌の騎士アトレーユを暫し呆けたように見つめていたラスティグは、すぐさま自分達の非を認め謝罪をした。
「……誠に申し訳ございません。警備が甘かったのは事実です。我々の落ち度でした……」
「それにしても──」
素直に過ちを認めたラスティグに対し、アトレーユは俄かに溜飲をさげつつも、更に言い募ろうと一歩前へ出る。しかしそんな二人の緊張した空気を解したのは、馬車の中からの可愛らしい声だ。
「そんなに気になさらないで。うちの護衛隊長は過保護すぎるのよ」
コロコロと可笑しそうに笑うのは、銀髪の騎士が敬愛するキャルメ王女その人である。危険な目に遭ったというのにどこ吹く風の彼女の様子に、アトレーユは心の中でため息を吐くばかりだ。
そんな王女達のやりとりを見て、ラーデルスの騎士団も胸を撫で下ろした。彼らにとってロヴァンスの姫君は異国の要人であり、その身を守ることは絶対的使命である。
騎士団の到着が遅れ、盗賊の襲撃には肝を冷やしたが、何とか事なきを得て一行は王都へと出発した。
森での激戦から一転、そこに広がっていたのは穏やかな風景だ。のどかな田園地帯には、人々の営みが垣間見え、時折笑い声のようなものも風に乗って聞こえてくる。そんなどこかゆったりとした時が流れる街道を、物々しい護衛に囲まれながら王女の馬車は進んでいった。
彼等が向かうは、ラーデルス王国の王都ラデルセン、そしてそこにあるラーデルス城だ。
ラーデルス王国は、肥えた広大な農地と豊富な鉱物資源の採れる自然豊かな国で、北を大陸の内海、東と南を険しい山脈に囲まれている。ロヴァンス王国と面している西側の国境も山脈が続いており、唯一通行可能な街道は深い森林の中で、国境沿いの全てを自然の要塞に守られた国である。
大国でありながら他国との交流はあまりなく、土地柄的に国境の行き来がしにくい上、国内の自給率の高さから周辺諸国との交易がそれほど盛んではない。それでいて国力は貧弱ではなく、王都であるラデルセンには国内各所からの様々な物資が流通しており賑わいをみせている。
対してロヴァンス王国は、ラーデルス王国の西隣に位置する軍事大国である。
強力な軍事力をもって国を守っているのが特徴で、各地に砦が築かれ数多くの騎士が駐在している。高位貴族でも騎士となる者が多く、実際に他国の侵攻を何度も防いできたのは、そうした歴史ある家柄の騎士達の尽力によるものだ。
また商業大国としても名を馳せておりラーデルス王国との交易も僅かながらはあるが、唯一の交易路が盗賊が跋扈する深い森の中を通る為、現状それほど盛んではなく国同士の正式な国交もない。
そんな両国にとって、今回のロヴァンス王国の王女の訪問は大きな意味を持っていた──