8話
「現在、修也さんは専門の機械を使って記憶の整理をして、お休みになっているところです。」
電話によって紗英に修也の病気のことが伝わってしまったため、修也の両親も含めて病院に来てもらい、加瀬は病気の説明を始めた。
「ご両親には既にお伝えしているのですが、修也さんの病気はNeed Lost Memory症候群という病気で、能の記憶を司る部分が異常をきたし、記憶を消すことができず脳に負担をかけてしまい脳が壊死して死に至る病気です。
治療法としては、先ほども言った専門の機械で記憶に外部的な刺激を与えて、消去するということになります。
消去する記憶に関しては修也さんが必要だと思う事と生きていくために必要な知識などを残して以外となっています。」
「それで、修也は今はどんな状態なんですか?」
紗英が心配そうに聞くと、加瀬は資料を取り出して、
「今回の治療で今までの人生のほとんどの記憶は消去されたようです。
修也さんが目覚められた後で残っている記憶は、教養や知識、会社のこと、そして守山さん、あなたとの記憶だけのようです。」
「なんで・・・・・・」
「修也さんは、あなたと生きていくために治療を望まれました。
正直に言いますと、整理する前から彼の記憶のほとんどはあなたとのことでした。
でも、頑なにあなたとの記憶を消そうとはしなかったと研究員から報告を受けています。」
「・・・・修也が死ぬかもしれないっていうのはどういうことですか?」
紗英の目には涙が浮かんでいる。加瀬は両親にした説明に少し付け加えて説明をした。
「安定期に入ると、人生のうちのたくさんの記憶を消したことになります。
物を失くした時に、何かのきっかけでその場所を思い出すことがあるように、たくさん忘れた分だけ、思い出せるきっかけがたくさんあるんです。
何か一つのことを思い出してしまえば、それをきっかけに連鎖的にあれも、これも忘れていたというように記憶が呼び起こされ、脳にかかる負担が限界を超えてしまいます。
そうなると、脳は壊死し始めて対処が遅れれば死に繋がります。
この病院には、ある特殊な理由から修也さんの病気を専門に研究している研究員がいるので、治療用の機械がありますが、この機械があるのは日本でこの病院だけです。
この病気自体も、私でさえ、修也さんと出会わなければ本当に存在するのかと疑っていたほどでした。」
「つまり、町中でとか他の地域でその記憶が戻る現象が起きたら修也は助からないってことですよね?」
紗英の目からは涙がこぼれ始めた。修也の母が紗英の肩を抱きハンカチを差し出す。紗英は修也の母の目にも涙があるのを確認して、
「大丈夫です、自分のがありますから・・・・」
そう言って、かばんをあけハンカチを取り出す。真っ赤な紅葉のようなハンカチはあの時、修也が拾ってくれた物だった。それを見て、余計に涙があふれてくる。
「修也は・・・・修也を完全に助ける方法はないんですか?」
ハンカチで涙を拭きながら紗英が聞くと加瀬は
「あります。
でも、この治療は修也さん自身が拒否されました。」
「どういうことですか?」
「全部の記憶を完全に消せば、この病気もリセットされるのではないかと思われています。
ただ、再発がないとはまだ言い切れないので完全に治るとは言えないのですが・・・・・・・。」
「何で、修也はその治療を拒否したんですか?
死ぬよりも全部忘れた方がいいじゃないですか?」
「修也さんはあなたのことを本当に愛しているんですね。」
「きゅ、急になんなんですか・・・」
紗英が恥ずかしそうに言う。
「修也さんは、あなたなら絶対にそう言うと言っておられました。
それでも、今の自分のままであなたと一緒にいたいと言っておられたんです。」
「それでも・・・・・」
紗英が言いよどむ、そして意を決したように
「それでも、修也の記憶を全部消してください。
私は修也に死んでほしくないです。」
紗英の強い言葉に加瀬も目頭が熱くなった。お互いを思いあうが故のすれ違い、この二人に幸せになって欲しいと加瀬は思うが、この病気の怖さを渡辺から聞いている加瀬は素直にその思いを目の前の女性に伝えることができなかった。