スピリチュアルな話
友人から聞いた実話を元に不明箇所は脳内補填し書いた話です。オカルト好きの方なら読みやすいかも知れません。
「ばあちゃん家散らかってだから、ついでに掃除もしてくるわ」
玄関口で白い息混じりに母が言う。今年は暖冬と言われていたが久々の実家は日中でも肌を刺す寒さだ。
先日、母方の祖母が亡くなった。埼玉で働く広一に青森の母からもうあまりもたないかもしれないと言われ、妻と帰省して間もなくの事だった。
少ない番組数の中チャンネルを変えると、およそ自分とは無縁の追込みをかける受験生応援企画が映し出された。居間ですることもなく退屈しのぎで見ていたテレビを消し
「俺も一緒に、線香くらい上げいくわ」
言いながら広一は体を起こした。
「いや、たいした用じゃねし。実家ごちゃごちゃしてるがら、優美さんとゆっくりしてな」
そう返す母に
「んー、いや、いぐわ」
母はせっかく遠くから来ているのだからと、気を使っているようだった。妻の優美はなれない寒さと葬式の疲れもあり、体調が優れず寝室で横になっている。
広一は別に気にしなくていいと手をふり、それよりこの寒さでいったい何を着ていくべきか、箪笥の中身と手持ちの衣類の組み合わせで悩んでいた。
祖母の家は以前見た時から変わっていなかった。田舎では珍しくも無い一般的な木造2階建ての家だ。子供の頃お盆近くになると弟と共に連れてこられ、合わせて歳の近い従兄弟達も遊びにきていた。
母が持っていた鍵で玄関の戸を開けようとする。
「よぐ来たなぁ。おお、誰だど思ったわ。すっかり大っきぐなって――」
言いながら迎い入れる祖母。子供の頃の記憶。入ってすぐの居間。テーブルの上にはスナック菓子、チョコレート、炭酸ジュース、ケーキもあっただろうか。いかにも子供が好きそうな食べ物を前もって用意し自分達を歓迎してくれた。祖母もきっと会えるのが嬉しかったのだろう。
台所に立つ師と弟子。居間ではしゃぐ子供達。
「あ、うめ。これ出汁何入れだ?」
弟子の若かりし母が聞く。
「なも、たいしたもんでね。ほら――」
鍋からその答えをおたまで掬い、見ろと示す元気な師。祖母。
「はぁ? うっそ。じゃ、うちと一緒だけどな」
同じ具材なのに味の差に納得いかない弟子。
「愛情の差だな」
師は居間ではしゃいでいる子供達を見ながら言う。
「んなもん毎日鍋がら溢れどるわっ!」
「えー、うっそだぁ」
やり取りが聞こえた子供達の一人が居間から大きな声で会話に割って入った。同時に従兄弟や弟の後ろに素早く身を潜らせ、あさっての方を向きながら高鳴った心臓を落ち着かせつつ炭酸ジュースを飲む。
「ん? 何。誰だ、今言ったの」
言いながら居間に踏みこんだ母は弟子から鬼へと変貌をとげていた。口は笑っているが目は座っている。
童達の顔を手前から一人一人。どうやら目を見ているようだ。
「オメだな、よし。こっちゃ来い」
空気に耐えかね吹き出した従兄弟の次男が捕まってしまった。
「わー、助けでー」
駄目だな。笑いながら助けを求めている。必死さがこれっぽっちも伝わってこない。これでは濡れ衣だろうと致し方なしだ。それにしても、酷い鬼だ。彼がいったい何をしたというのか。少し彼に同情してしまう。
「わー、オラでね、広一だ」
同情返して。
「あ? おにぃが? どごよ、あ、奥か」
鬼の標準が自分に移る。馬鹿な。自己主張を全て無くし、昔からそこにあったであろう置物のような、あるいは空気のような存在となり違和感はなかったはず。途中まで作戦は完璧だった。
「やっぱりおにぃが。どら、おかさんの愛ば喰らわせでやる」
「嫌だー、喰らわせるの訳わがんねー」
鬼が笑顔で頭をむんずと鷲掴んだ。鬼の握力は1トンはあるのではないだろうか。はたして耐えられるのか。歯を食いしばり目をギュッと閉じる。人の生き死にがかかっているのに何故か周りは大笑いしている。
そしていよいよこめかみに痛みが走る瞬間――
「までまで、盆中がらそったらおごるもんでねー」
間一髪で祖母が止めに入る。命を救った祖母はさらに鬼を諭し弟子へと戻す。そして何事もなかったかのように料理談議が再開する。友達から好評だった母の料理。それを教え伝えた祖母の昔ながらの手料理は、美味さと温もりを兼ね備えた絶品であった。
あったなぁ。口の端を持ち上げ、子供時代を思い出しながら居間のテーブル台所と目を移す。すっかり師と同等に練り上げられ今では孫もいる母に、為す術なく食器達が洗われていた。
自分も何か手伝おうと近場にあった雑巾を濡らし家の中をさ迷う。短い廊下、箪笥部屋、押入れ、風呂場、トイレ、階段、寝室。目に付く先々でやはり楽しかった祖母との思い出が自然と頭の中に浮かんでは消えていく。時間だけが過ぎその間ついに雑巾が仕事をする事はなかった。
最後に仏間にたどり着いた。一通り片付けや掃除を終え満足したのか母がひざを折って座っていた。背中越しに大分疲れているような印象を受ける。無理もない。
祖母が危篤状態から亡くなるまで病院で付き添いそこから通夜、葬式とあっという間だった。落ち着く時間など無かったのだ。ついかけようした声を唇で蓋をし奥へと追いやり、静寂の継続を選択する。ただ黙って母のこの貴重な時間にいつまでも合わせようと思った。
しかしそれは唐突に終わりを告げる。
無音と思われた仏間に鼻を啜る音がしだした。
「か……さん……」
か細くポツリと聞こえた。向くと背中が震えていた。
瞬間衝撃が走る。思わず駆け寄り横にしゃがみ無言でそっと寄り添う。そして肩に手を当て背中をさする。言葉は何も出てこない。何と言っていいかわからない。我慢しなくていいと言われて素直になれる人ではないのだ。気丈な母は泣き顔など見られたくはないだろう。目線は下に向け、ただただ黙って背中をさすり続けた。肩と背から母の体温の高さが感じられた。
膝の上に置かれた祖母の遺影にポタポタと滴が垂れていた。
「あー、悪い。ごめん。少し昔の事思い出して……」
鼻を啜りながら母は言う。
「なんも」
返して広一は気づく。散らかっていると言っていた割に比較的片付いていた祖母の家。自分が一緒に来たいと伝えた時、一瞬抵抗を見せた母。
「俺の方こそ、気きかなくてごめん」
「あ? 何で?」
「いや、ホントは一人で来たかったんだろーなって」
「んー。まぁ、な……」
「だよな」
「よし、少しすっきりしたわ」
言いながらゆっくりと立ち上がる母。広一もすぐに立ち上がる。
「仏壇綺麗にして家でおばあちゃんばゆっくりさせるべ。ほら」
言われるがまま祖母の遺影を受け取った。
瞬間――
重低音の鍵盤を強く叩いたようにあたりの雰囲気が変わり急に空気が重くなった。今までとは別の空間、まるで水底にいるかの様な感覚。
この感覚には覚えがあった。一度目は会社の社長が亡くなった時の葬式。二度目は父方の祖母のやはり葬式でだった。
「何、どうした?」
様子のおかしい広一に気づいた母が言う。
この状態になると他の人からは、やたらと具合が悪そうに見えた事を思い出す。
「え、何が……」
心配かけないようになるべく平静さを装い答える。今回の葬式では何も起こらなかった。それだからすっかりこの現象の事を忘れていたのに。ここで来るとは思わなかった。
「何……、まだ。ちょっと、やめでよ。どうした」
言う母の声が曇る。そして
「おに……オメ……、泣いでるじゃんよ……」
はっきりした涙声で言った。
「は? え、あれ……。何で……」
自身にいったい何が起きていたのかわからなかった。ただ何故か先ほどから視界がぼやけていた。母はそれを指摘していた。
「オメ、葬式でも泣がながったよな。何だ。急に来たが?」
「わがんね。わがんねーけど駄目だ。何だこれ……」
声が震え目尻に水玉が浮き出、頬から一筋の線となり滴下した。それを機に熱い何かががわっと胸の奥に込み上げて来る。おそらくは滅多に見ない母の泣く姿を見てしまった時点で自身の理性の壁に罅が入っていたのだ。感情の濁流に叩きつけられその壁がついに崩壊した。
「う……うぅ、あぁああああ」
それは大の男でもとても抑えきれるものではなかった。我慢から解き放たれた涙は湧くように溢れ、ボタボタと遺影に落ちていった。
身体はすっかり感情に支配され大泣きしているが、その一方で大脳新皮質が残っていたわずかな理性で冷静に分析を始めていた。
何だこれは。いったい何なんだ。俺は家族だろうと人前でこんなみっともない姿を晒す奴じゃない。他のみんなが泣いていた葬式でだって泣かなかった。薄情だと思われていたかと心配したくらいだ。この状況は絶対にありえない。
そしてしばらく自問自答し、広一はある仮説へと至った。
「たぶん、あの時。あの場に、ばあちゃんがいたんだと思う」
東京――浅草。日中のある喫茶店内。ゴールデンウィークに優美と友人と久々に3人で会う約束をしていた。通りはどこもかしこも人でいっぱいだった。優美が食べたいからと路店で買った大学芋の甘だれとゴマでベトベトになった手を、濡れ布巾で拭く向かいの友人に広一は告げた。
「色々考えたけど、なんかそうとしか思えなくなってな。葬式の時、お棺のばあちゃんも見たけど、なんか空っぽっていうか、うまく説明できないがここにはもういないって思えたんだわ」
ほぼ飲み終わったアイスコーヒーの氷をストローでかき混ぜ思い出しながら広一は言った。
「好きだったばあちゃんに会いたいって気持ちもあったからかもだけどな。弟に話したらスピリチュアルな話だなって笑われたわ」
「なるほどな」
広一の母の料理の美味さを知る友人がうんうんと相槌を打ち聞いている。
「何の話してたの? 」
少し離れた喫煙ルームでタバコを吸い終わった優美が聞いてくる。
「「スピリチュアルな話」」
二人は答えた。
つい先日のゴールデンウィークにざっくりした話を主人公から聞き、是非書いてくれと言われたので書きました。ホントは細かい描写をもっと入れたかったのですが、負けた気になる為、あえて詳細は聞きませんでした。ちなみに筆者は怖い話が大好物です。