あれから十年後
ある深夜の都会の公園、鬱蒼と茂る木々に囲まれたここには歓楽街のネオンの明かりも酔っ払いたちの喧騒も届かず、街灯の明かりがいくつか灯っているのだけで静寂に包まれていた。
「ねえいいじゃん。ちょっと飲みに付き合ってくれるだけでいいからさ」
ガラの悪い若い男2人が女性にしつこく詰め寄っていた。
「困ります…急いでいるので…」
なんとかこの場から立ち去ろうとする女性の腕をもう一方の男が掴み、逃げられないようにする。
「は、離してください!」
「こんなにお願いしてるのにつれないなー」
「なぁ、もういっそここで、んっ?」
いつからそこにいたのか、男たちの背後に一人の女性が立っていた。
くるっとウェーブのかかった白の長髪と蒼い瞳、黒ずくめの服装でその上に黒のコートを着込んでいる。
男たちにむかって何かを探るように人差し指を向けるとはめていた指輪の宝石が赤く光る。
「なに、もしかして君が相手でもしてくれるの?」
「えっと、早く逃げたほうがいいですよ」
「はぁ?」
なにを言ってるのか理解できずにいると、腕を掴んでいた女性から異様な音が聞こえ、振り向くとその顔は捻れ歪み、手足をありえない方向に無理やりねじ曲げている。
「ひっ、ひぃぃ!!」
「なんだよこいつ!?」
白髪の女性を置いて男たちは転がるように逃げていった。
「あと少しで飯にありつけるところを邪魔しやがって」
女らしかぬ低い嗄れた声で喋ると背中から8本の虫のような足が生え、全身が毛むくじゃらの蜘蛛人間に変化した。
「まあいい。男より女のほうが肉が柔らかくて旨いからな」
背後の足が女性に向かって伸びる。
横に跳んで避けるが、その後を追うように連続の突きが襲う。
「何ぃ!」
串刺しにしたと思ったが蜘蛛足は相手に届く前に鋭い先端が切断され、いつの間に出したのか女性の右手には戦斧が握れている。
「たかが人間が!いやまて、貴様から魔力を感じる…魔女か?」
切断面から新しい足が生えると蜘蛛悪魔は八つの目を細めて笑う。
「我らから探す手間が省けた。早速魔女狩り開始といこ…ぐぶっ!?」
隙を見逃さず、戦斧の頂端の槍部分が蜘蛛悪魔の腹部を貫く、そして引き抜くと同時に重量のある刃が連続してその体を切り刻んでいく。
「くそがぁぁ!!」
「さっさとくたばってください」
とどめの一撃を打ち込もうと大振りになった瞬間、蜘蛛悪魔の口から無数の糸が吐き出された。
とっさに後ろに下がるが粘着質の糸はネット状に女性を包み、網にかかった魚のように彼女の動きを封じる。
すぐに戦斧で糸を切ろうとするが握っていた手を踏みつけられ、痛みのあまりに柄を離してしまう。
ふいに腹部に鈍痛が走り、自分の体がボールのように転がる
「調子に乗りやがって魔女風情が!危うくバラバラになるとこだったじゃねえか!」
痛みに軽く呻いていると蛛悪魔が近寄り腹を目掛けて蹴りをいれられた。
「このままてめぇを痛めつけてながら魔女狩りをしてやるよ!」
「クスッ」
下卑た笑い声をあげていると足下からさも面白そうに女性が笑っている。
恐怖で気でも狂ったか?
突然蜘蛛悪魔の体が地面に倒れこむ、まるで巨石を押し付けられたみたいに全身が動かず背後から見えない圧力が襲い掛かる。
「ふぅ、やっと効いてくれました」
鬱陶しそうに蜘蛛の糸を体から引き剥がしている女性の手にはナイフが握られていて、隠し持っていたそれで糸を切って拘束を解いたようだ。
「あなたを刺した時、自分の体に何倍も重量がかかるように魔術をかけさせてもらったんですけど、タイミング少しずれちゃいましたね」
体の土埃をはたくと、先程手放してしまった愛用の戦斧を拾い上げ、蜘蛛悪魔に近寄る。
「でも結果オーライだから問題ないですね。貴方はここで私に倒されるんですから」
グチャッ。
女性が高く掲げた戦斧を蜘蛛悪魔の後頭部目掛けて振り下ろす。
「ぐっ!?ぎざ…ま!」
悪魔が何か言うのを気にせず、ただひたすら斧を振り下ろす。
何度も何度も何度も何度も何度も。
時間にして数分だろうか、完全に悪魔が動かなくなった頃、周りは悲惨な状況だった。
女性と悪魔だったものの付近はバケツ一杯の水でもぶちまけたかのように血溜まりが広がり、悪魔の頭上にいた女性は直にそれを受けてしまい、漆黒の衣装、白い髪までもが真っ赤に染まっていた。
「お母さん、またこの世から悪魔が一つ滅びましたよ。私の手で…私自身の力で」
昔とは違う…あれから成長し確実に強くなった…
「もう何も出来ずに見ていた自分とは違う。これもすべて煉さんのおかげですね」
血に濡れた頬をぬぐいながら彼女──ティア・セルシオは恍惚と悪魔の屍を見下ろしながら微笑んだ。
「ティアちゃーん!」
名前を呼ばれ、声ををした方に顔を向けると自分と同じ黒い装束とコートを身に纏った二人組が近づいてくる。
「フィリアちゃん」
「大丈夫!?血だらけだよ!」
フィリアと呼ばれた赤いロングストレートの髪を後で束ねた女性が駆け寄り、髪と同じ色の瞳が心配そうにこちらを見つめる。
「平気ですよ。敵の返り血ですから問題ありません」
「まったく、また無茶をしたんじゃないでしょうね?」
ふわふわした銀髪を腰まで伸ばし、金色の瞳をした妖艶な女性がフィリアの後から来る。
すると不意にフィリアを抱きしめ、豊満な胸に顔を埋めさせた。
「いつも一人で突っ走っちゃって、本当にどれだけ心配したと思ってるの」
「ムグッ!エ、エリス姉さん…」
エリスという女性は血で汚れたティアを気にもせずに抱きしめるのをやめなかった。
「ね、姉さん…苦しい、です」
胸で窒息しそうになりかけてエリスの背中を弱々しく叩くと彼女はティアを解放した。
「あら、ごめんなさい」
少し残念そうに謝るエリスに大丈夫ですとティアが息を整えながら答える。
「お二人共、もう一体の悪魔は?」
「エリスお姉ちゃんと一緒に倒したから急いでティアちゃんの加勢をしに来たんだよ。ティアちゃんいつも一人で戦うんだから」
「魔女狩りにあわないよう単独の戦いはなるべく避ける、チームを組んだときそう約束したでしょ」
「…すみません」
申し訳なくティアが謝った。
二人はこの国に来て初めてできた友達でティアと同じ魔女である。
フィリアは同い年でとても仲が良く、少し年上のエリスは何かと二人のことを面倒をみてくれて妹のように可愛がってくれる。
そんな二人と三人で人を守るために悪魔を狩る存在、魔払い師として活動を始めたのだが、悪魔のことになるとティアは一人でも戦おうとするので今のようによく心配をかけてしまう。
「でも無事みたいでよかったわ。夜もふけてきたし、貴女の服も体も綺麗にしなきゃね。もう帰りましょう」
「はい、エリス姉さん」
改めて自分の格好が酷いことに気づく、血を吸った服や髪は重く不愉快で早く体を洗いたいとティアは思った。