6 あんた、誰?
「ぅおっっそぉぉぉぉぉいいっ!!」
水をかぶってきたかのように髪を濡れそぼらせている女が、乗り込みながら開口一番叫んだ。
『マレーシヤにおいでやす』と書いた怪しいティーシャツに、明らかにサイズ違いのだぼだぼの黒いジーンズを無理やり腰に縛りつけ、泥だらけの素足は何も履いていない。
自分たちと同じファッションセンスだぁ、などと安堵する間もなく、女はギロリと二人をにらみつけてきた。双二郎たちが阿呆面ぶら下げてあっけにとられているのが気に入らないらしい。
「あんた、端野さんでしょっ?」
正確にアロハを指さして、女は風鳴りに負けないように叫んだ。
端野さんでしょと言われればそうなわけで、端野はあんぐり口を開けたままこくりとうなづいた。
濡れた身体でシートが汚れるのも構わず、女は堂々と乗り込むと、それから突然はっとしたように外を振り返って、
「早くっ! 出してっ!」
何かを防ぐようにドアを閉めた。
双二郎と端野は口をそろえて、
「は?」
「脳みそ入ってんのかっ! 早く車を出せっ!」
バキッ!
女が叫ぶと同時に、ハイエースのリアウィンドウが粉砕した。
彼女が超能力でも発揮したかと思いきや、そうではなかった。
リアウィンドウ越しに大柄な男の姿が二体映った。
そのうちの一人がこちらに何かを突きつけているのを確認した途端、
「そっ、双ちゃんっ、発進っ!」
端野が大慌てでハンドブレーキを下ろした。
双二郎もアクセルを踏み込む。
が、轟音を立てただけで進まない。
気付いた男たちがこちらに駆け寄ってくるのが分かった。
「あわわわっ、双ちゃんっ双ちゃぁぁんっ!」
パーキングに入っていたことを思い出して、汗を握った手で素早くクラッチをつなぐと、車はロケットさながらの負荷をかけながら飛び出した。
ハイエースは横っ腹をアーケードの支柱にこすりつけながらも何とか軌道に乗る。
慌てていて気がつかなかったが、その頃には後部座席の窓がさらに一枚吹き飛ばされていたようだった。
女は雨風に揉まれた身体を後部座席に伏せて、汚れをシートに移そうとしているようだ。
端野はシートベルトを命綱とばかりに必死の形相でつかんでいる。
双二郎は自分の心臓の音を聞きながら、何とか常識を呼び覚まそうとしていた。
さいわい道は空いており、曲がり角も多くある。
一番最初の角に、一方通行を無視して侵入し、路上駐車の車に正面衝突しそうになりながらも寸でのところで何とかかわした。そのまま、その車に紛れるようにして道をすり抜ける。
ライトが点いていたことに気がついて、それを慌てて消した。雨と風とが煙幕のように吹き上がって車の姿を消してくれることを願って。
街灯だけの明かりで車を走らせる。無灯火であることも含めて考えると、対向車が来たら危ない速度だ。
車の中は終末の日のような惨状を呈していた。吹きつける風があらゆるゴミ、煙草の灰などを吹きあげる。右へ左へとハンドルを切るたびにそれらも右往左往して、運転者の視界を確実に悪くしていた。加えて雨がシートを濡らす。
双二郎は幾度もバックミラーを確認しながら、何とか大通りに出た。大通りに出ることが安全だとは思えなかったが、土地勘がないので仕方がない。
ようやく誰も追ってこないと分かったころには、後部座席の女は悠然と額に張りついた髪をかき上げていた。
大通りにもほとんど人気はない。それがかえって不気味な気がして、双二郎は身震いした。
信号が赤に変わる。ほとんど意味もない点滅だったが、それでもいったん息を抜く時間が欲しくて、双二郎はブレーキを踏んだ。
辺りを見回して、人も車もないことをあらためて確認する。
「双……ちゃ……」
引きつった顔を固まらせ、身体をこわばらせていた端野が、ようやっとか細い息と共に声を上げた。
「何……これ……?」
「俺に聞かないで下さいぃ」
かく言う双二郎も末尾は若干声が震えた。
それでも、汗ばむ手でハンドルだけは握り締めたまま、
「何だか……デジャヴを感じます」
「先週だよね……事務所に危ない棒っきれを持ってヤクザさんがいらしたのって」
「いやぁな予感……」
「……これを機に、事務所の毛色が変わっちゃったらどうしよう……」
「冗談でしょう……? 人生の転機よりは転職を選択したい……」
「そんなぁ……Jちゃんと二人っきりで、どうやってこの先、事務所維持していけばいいのぉ?」
「だから、ただのバイトに聞かないで下さい」
「あのさ、とりあえず、荷物取りにシティホテルまで」
心臓をバクバク言わせている二人の会話に割って入ったのは、軽やかな女性の声だった。鳥のさえずりのように心地いい声だが、要求はふてぶてしい。
女は、いつの間にか後部座席に避難してしまった双二郎のサングラスを弄びながら、両の眉を上げて、早く行けと指示してきた。
彼女の眉の上がり具合に比例して、双二郎の眉が寄せられる。
「あんた、誰?」