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ゆるい、小さく上下する息遣いの甘い香りが、指の先から、皮膚の隙間から、伏せたまつげの間から自分の中に染み込んでくる。
どのような感情だろう、自分のこの唇に温かくにじむ思いは。何が私の喉の奥に潜んでいるのだろう。
「なに、まだ見てるの?」
肩越しにかかる声色は、彼女のよく知る太陽の色だった。今ではあの夏のような眩しい光は穏やかな日向陽に色を変えてはいるけれど、初夏の青葉を透かして見るその鮮やかさに息が詰まる感覚は変わらない。
自分が何に包まれているのかわからない。
なにかに騙されているのか不安がよぎる。
頬の柔らかな紅潮が自分の中のどこから起こっているのか、行き場のない感情に混乱する。溺れてしまいそうに息が苦しい。鼓動にくらむまぶたを閉じてしまいそうになる。
隣に肩が並ぶ。彼女の知っている息遣いがする。
「寝てる?」
彼が尋ねる。でもそれは質問ではない。会話が言語を渡すだけのものではないと実感する声色。意味と時間とコストとで計算しつくされた言葉ではない、まるで獣のような匂いと色のついた本物の「ことば」。
彼女は少しだけ顔を傾けて、伏せられた視界の端で彼を捉える。
彼は静かに笑っている。
いつだって静かに笑っている。
静かに彼女と同じものを見ている。
「不思議だね。生きてる」