4 突然の電話
「じりじりじりじりじりじりじりじりじり……!」
風の音でかき消されそうになりながら、じりじりと虫の羽音のような耳鳴りのような砂嵐のような音が鳴った。
初めは幻聴かと思って誰も気にしていなかったが、突然知子が立ち上がったので、それがこの家に何十年も置き去りになっている黒電話の呼び出し音だということに全員が気がついた。
「あー、知子ぉ、俺だったら、いないって言っといてー」
端野がスプーンを振り振り声をかける。
知子は律儀に振り返ってこくんとうなづいた。
『……在来線のダイヤは大幅に乱れています。また、四国の各空港では欠航が相次いでいます。現在までに欠航している便、または欠航が決まっている便は以下の通りです。まず、高知県……』
「事務所、危ないっすね」
双二郎が言った。
「ビニールシート張っただけじゃ、駄目ですよね、やっぱ」
「ま、事務所には何にもないから、元々」
自宅にも何にもない端野が応える。
「大丈夫。夏休みが終われば、中学生や高校生の失踪事件が増えて、仕事入るから。一等地に住むブルジョアから、守秘義務と引き替えに搾り取るから。あと二週間ほど待ってくれれば」
『……なお、昨日、南太平洋沖で台風十三号の発生が確認されました。来週末には日本に接近する恐れがありますので、十二号が通過した後も土砂災害には十分な注意が必要で……』
「二週間ももつかなぁ……」
「端野さん」
廊下から知子が呼んだ。
「電話」
「ん?」
端野がスプーンをなめなめ顔を上げる。
「あー、いないって言っといて」
「お父さんからだけど、いいの?」
「うん……あ、菊ちゃん!」
「うん、お父さん」
「あーっ、待った待った待った待ったっ!」
端野は慌てて立ち上がると、まずスプーンを床に落とし椅子を倒し机に足をぶつけて一通り悶絶してから足を引き引き電話に歩み寄った。
「あう、いってっ! と、知ちゃん、代わって代わって。お、お、双ちゃん、双ちゃん、テレビ、静かにさせて。Jちゃんは……あー、そのままで」
「はーい」
何の指示もされていないJ.J.が良いお返事で応じた。
「端野さん、気を付けて」
さらに、今さら何の役にも立たないアドバイス。
廊下にある電話までのわずかな距離を、アドバイス通り気を付けながら歩ききった端野は、知子の手から受話器を受け取って居間に通じる扉を閉めた。
「永倉さんから?」
席に戻った知子に双二郎が尋ねた。
知子は漆黒の髪をひらひらさせてうなづいた。J.J.と並んで座らせると、天然ボケのフランス人形とゴスロリファッションで武装した市松人形が並んでいるようで、気が遠くなる。部屋が呪われないか心配だ。
「なんて?」
「端野さんに代わってって」
それは分かっている。
「えっと、どこにいるって?」
双二郎は気を取り直して質問の方向を変えた。
知子は首をひねった。分からない、という最も簡潔なる意思表示。この部屋の空気を節約しようとしているのだろう。
そこで会話が終わってしまったので、双二郎が落胆しているのを感じたのだろう。知子は若干気を使った様子で、
「あ、でも、風の音がすごかったから、屋外です」
と、アウトコースの変化球で無理やりのストライクを取ろうと挑んできた。
双二郎はどう反応しようかと迷った挙げ句、あ、そうなんだぁ、と無難な返事を返して、あまり手ごたえのない会話を結局自ら終了させてしまった。
「えっ? 何だってっ?」
廊下からくぐもった雄叫びが響いてきた。相手が屋外だということだから、声が聞き取りづらいのだろう。何度も何度も聞き返す声が聞こえてくる。普段の端野からは想像もできない熱心さだ。
J.J.が廊下を見やった。
「永倉さんって、事務所の共同経営者なんでしょう?」
「共同経営者っていうか、まんま所長だよ。端野さんは代理。すっげーかっこいい人なんだよ、ね、知ちゃん?」
「はい」
謙遜という言葉が赤面するような率直さで、彼女はうなづいた。
「僕は写真でしか見たことがないけど」
「永倉さんがいたころは、あの事務所いっぱいに人がいたんだよ。それが、端野さんが経営者になったら二年でこの有様」
三人は口元を緩めた。
「すごい人だね」
「バイトだけでも、俺含めて……そうだな、多い時には二十人くらいいたかな。航空業界出身だっていう美人秘書がいて、大きな企業から信用調査依頼がいくつも来てたし、事務所の近くにお高い創作料理の店があったんだけど、そこで何度もメシ奢ってもらったし。すげースーツ着て、でっかい車持ってて」
「いや、知ちゃんのお父さんがじゃなくて、端野さんがね」
「あ、あぁ、うん、すごい人だよな……そう考えると」
「たった二年でねぇ」
褒めているのかけなしているのか微妙なニュアンスでJ.J.はうなづいてみせた。彼のことだから本当に褒めているのかもしれない。
「えっ? えっ! ……ぬあぁぁぁぁっ!」
ひときわ高い雄叫びが、廊下からこだました。
「ひぃぃぃぃっ、リダイアル機能なんて……ないぃぃぃっ!」
どうやら切れてしまったようだ。
「知ちゃぁぁぁんっ……!」
か細い泣き声に似た声を上げて、細く開けたドアの隙間から恨めしげな視線が投げかけられた。
知子がカレーを咀嚼しながら振り返る。養父のピンチにはあまり興味がないようだった。
「菊ちゃんがどこから電話かけてきたか、分かるぅ?」
「屋外です」
少女は無情にも先刻の変化球を豪速球で投げつける。
「ひぃぃぃぃっ!」
端野は髪の毛をむしりながら悲鳴を上げた。
アウトだったようだ。