2 二年前 所長の不在
二年前、都内某所。
「まさか恩を忘れたってわけじゃないだろう?」
よれたスーツを着ているのに妙にスマートな雰囲気をかもしだしている男が言った。
「借金もちゃらにしてやったし、うちに雇ってもやった。事務所に住まわせて家賃も取らない」
「その代わりに、仕事仕事で事務所にはあんまり戻らせてもらえないけどな」
対峙していたひげ面の男がつまらなさそうに応えた。前述の男とは違い、小柄でむさっ苦しいひげ面、致命的なのは日本国内で原色のアロハシャツを着ているということだ。すっきりした出で立ちのスーツの男とは対照を成している。
彼は煙草をもみ消すと、冷えきったコーヒーのカップを不満そうに持ち上げた。
「俺が言いたいのは、菊ちゃんがそうまでしてこの件を追う必要があるのかってことだよ。一介の探偵には、ここいらが潮時じゃねーの?」
「端野、」
と、永倉はアロハの男を正面から見据えた。
斜に構えていた端野も、それに対峙しては姿勢を正さざるを得なかった。
「佐和子が何でいなくなったのか、それが分かるかもしれないんだ。ここで止めてしまうことはできない」
「だからって……」
もぞもぞとひげをこすってから、端野は一転して仕事用の真面目な口調に戻った。
「菊ちゃんのすべきことは、知子ちゃんと生きてくことだろう? それをこんなふうに……可哀想だと思わないのか?」
「養女にしてくれるんなら、知子のことも安心してお前に任せられる。何より、俺の娘だということであいつが危険な目に遭うのを避けられる。佐和子の死の理由を調べることに専念できる」
「俺に預けて安心するなんて甘いんじゃない? 知子ちゃん年頃になったら、俺が彼女を襲うかもしんないよ?」
「知子が年ごろになる頃には、お前は五十近い。枯れてきてるだろうから心配はしてないよ」
「……ひどいこと言うね、この人は」
「金も事務所も全て預けて行く。何かあるといけないから、永倉探偵事務所の看板は降ろしてくれ。後はお前の好きにしろ」
しばらく沈黙したままコーヒーを飲む振りをしていた端野は、決心したように顔を上げると、永倉に応えた。
「永倉探偵事務所の看板はそのままにしとく。事務所の経営も続ける……菊ちゃんがいつ帰ってきてもいいように。それが、知子ちゃんを俺の養女にする条件」
「……すまん」
それから少しだけすねたように言った。
「ただ、あんまり長く事務所経営を俺に任せるとつぶれちまうから、早く帰ってこい。警備会社を経営破綻させた俺の経営手腕を甘く見るなよ」
「それは十分にわかってる」
「あと、結婚もしてないのに子持ちになっちまう俺の将来を考えて、帰ってきたら美人を世話しろよ」
「……知り得る限り、とびっきりの美人を紹介する」