10 役者は全員揃いましたが?
「……やっぱり歯が立たなくて、こう、ぼいーんってなっちゃってね。はははっ、足がめりこんだんだよ、筋肉に。それで、吹き飛ばされたんだけど、というより自分で勝手に跳ね返ったんだけど、そしたら、相手もヤラレタって顔してるわけ。それが、石原裕次郎にそっくりで、ほら、刑事ドラマの……あれ、あれだよ……あのさ……」
「こいつ、どこの幼稚園に通ってるの?」
J.J.が言葉に詰まった隙をついて、カノンが言った。
「あ、学習院幼稚園です」
皮肉の意図を解さない(あるいは、解してさらに皮肉で返す)J.J.は素直に答えた。しかし、本当に学習院幼稚園に通っていたお坊ちゃまなのか、その返答が彼なりのユーモアなのか、疑問は残る。
「まぁ……、幼稚園というか、まだ社会に適応するために「めばえ教室」に通ってる段階だから」
双二郎が釈明した。
「それよりさ、何で事務所が狙われるんだ?」
「事務所じゃないよ」
J.J.が答えた。
「誘拐しようとしたんだ。事務所の人間なら誰でもいいようだった」
「何で事務所の場所が分かったかってことだよ。さっきのさっきまで俺たちは関係ない人間だったはずなのに。……いや、俺たちが狙われてるのか……、永倉さんが狙われてるのか、この女が狙われているのか、ええいっ、一体どれなんだっ?」
「全部じゃない?」
しれっとした顔で言ってのけて、女はふんと鼻を鳴らした。
彼女はJ.J.が思っていたよりもずっと若かった。双二郎を憤懣やる方なくさせた希代の悪女としては迫力不足で、高校生くらいではないかと思われる。あるいは知子と同年代かもしれない。鼻を鳴らす仕草も、鼻であしらうというよりは拗ねているように見え、そのストレートな苛立ちの仕草が子供っぽさを際立たせていた。
「お前さぁ、」
双二郎がバックミラー越しに呆れたような視線をよこす。
「何やったわけ?」
「だから、脱走」
カノンは答えた。耳腐ってんのか、とつけ加えようとしているのが空気で伝わってきた。
車は幾らか迂回しながら端野の集合住宅を目指していた。尾行が心配ではあったが、事務所が襲撃された以上、そこしか行き場がないからだ。
「あのさ、普通の児童福祉施設は、脱走児に拳銃を発砲したりはしないだろうが。俺の知る限りは」
「じゃ、あんたの知らない世界が開けちゃったわけね。よかったじゃない。マンネリ化した日常は脳みそ腐らせるだけだから。これで少しはお利口になるんじゃない?」
「このクソガキ」
「ほらほら、そういう物言いが没個性化してるのよね」
「あのさ、あの……石原裕次郎の出てる刑事ドラマ、あれだよ、あの……」
「とぉぉにかくっ!」
混沌とし始めた会話を、先刻まで固まっていた助手席の端野が打ち切った。