エピローグ
桜は満開をとうに過ぎて葉桜になろうとしていた。地に落ちた花びらが盛のころには想像もつかないほど惨めな姿を晒し、群衆に踏まれている。声が喧しいけれども心地よく響き合っている。
ある人は春を出会いの季節だという。ある人は春を別れの季節だという。だけれども今日、僕の隣りにいるのは相変わらず赤いリボンを付けた見知った人だ。
「せっかく始業式なのに残念ですね」
見上げて言うと先輩は不思議そうな顔をした。僕は上を指差しながら言う。
「ほら桜ですよ」
先輩は穏やかに笑って言う。
「満開の状態が良くてそれ以外は劣るというのはちょっと単純すぎるものの見方じゃない?」
とっても先輩らしい意見で僕はクスリと笑ってしまう。
先輩はそれを見逃さない。
「反論があるんだったら言ってみなさい」
そういうことじゃないんだけどなと思いつつ本当の事を言ったら余計突っかかってきそうなので
「そんなのありませんよ」
と誤魔化す。だけれどその回答が先輩は気に入らないようで不満げな顔をしていた。
そんな僕達の所に那須と安部さんがやってくる。安部さんは僕と同じような台詞を言う。
「せっかくの始業式なのに桜が散っちゃっていて残念です」
けれど先輩は笑顔で相槌を打つ。扱いの違いになにか言わずにいられない。
「ちょっとなんで安部さんには甘いんですか。僕には突っ込みを入れたのに」
「彼女は一番目で君は二番めだからね」
最初僕は先輩が何を言ってるのか分からなかった。きょとんとしていると安部さんが笑い僕に助け舟を出してくれる。
「ほら交流合宿の時の」
僕はうろたえることなく言う。もう負い目はなかった。
「それは反則ですよ」
今日は一学期の始業式。先輩の転入手続きは結局取りやめになった。本当に人騒がせな人だ。那須が遠くの方を伺いなら言った。
「まだですかね、掲示」
皆掲示板に張り出されるクラス分けを見るために集まってきているのだった。その時ちょうど先生がやってきてクラス分けの紙を張っていく。とはいえ前の方は人が密集していて掻き分けないと見に行けない。諦めていると部長の姿を見つけて手を振る。
「せっかくだし皆で写真でもとらない」
その手には買ったばかりのスマホが握られていた。部長と那須がお互いぎこちなく自己紹介を始める。僕にとっては二人共腐るほど会話を交わした知り合いなのに部長は那須のことを那須は部長のことをちっとも知らない。こんな当たり前の現実がなんだか面白い。
先輩は皆が写真に収まるように手をなるべく伸ばしている。スマホの画面を見ながら先輩にアドバイスする。
「もう少し手を伸ばさないと全員入りませんよ」
「今やってるから黙ってなさい」
先輩は一生懸命に手を伸ばしながら答える。安部さんがそんな僕達をからかう。
「痴話喧嘩はやめてくださいよ」
皆で体を寄せ合う。喧騒の中でシャッターの音がなった。
掲示板を見ると僕と先輩は別のクラスに分けられていた。少し、いや大分残念だけど運なのでどうしようもない。那須は理系に進むので当然別のクラスだし、一緒なのは安部さんだけだ。
那須と安部さんと部長は気を遣ってくれたのか早々と教室へと向かって行く。僕は部長を追いかけ、二人になってなんとなく心残りだったことを尋ねる。
「こんなこと言うのなんですけど安部さんのこと好きなんじゃないですか」
部長はあっさりとその事実を認めた。
「やっぱり身近な人に隠し通すのって難しいもんだね」
そしてなんと言っていいのか分からないままでいる僕に声を掛けた。
「哀れまないでくれよ。あと一年で付き合ってみせるから。その時にやっぱり先輩より安部さんがいいなんて言ったって手遅れだからな」
そして僕の返事も聞かずに部長は教室へと向かう。僕は一礼した後にちょっと心が軽くなりつつ先輩の所に戻る。別のクラスに別れるのが惜しくて一緒にベンチに座り込んだ。
「先輩の言ってたことが分かってきました。那須とは別のクラスになってしまったし。気の早い話ですが文化祭が終わったら部長が引退しますし」
わざと間を開けてから言う。
「それに先輩とも別のクラスになってしまいました」
僕の顔を覗き込んで先輩が尋ねる。
「だいぶ感傷的な事を言うのね。私と別のクラスになったのがそんなに寂しいの?」
僕はもう自分の気持を隠す必要が無い。
「はい」
先輩は驚いたような、嬉しいような顔をして笑った。
僕の思いをありのまま伝える。
「先輩、もう留年しないでくださいね。クラスだけじゃなくて学年も変わったら関わる機会がますます減っちゃいますから」
「結構寂しがり屋なのね。放課後になればいくらでも会えるじゃない」
「はい。会いましょう」
先輩は僕から目線を外して言う。
「本当かしら」
自分から言ったくせにちょっと恥ずかしそうなところがたまらなく可愛い。
そして急にこんなことを言い出した。
「先輩、先輩って言うけど一応付き合ってるんだし、もうその呼び方やめたら」
「僕にとっては先輩はいつまでも先輩ですよ」
「そんなこと言って、結婚したらどうするの。それでも先輩って呼ぶの?」
頷くと先輩は笑って答える。
「馬鹿なのね。だいたいこのまま付き合い続けて結婚するなんて限りなく低い確率よ」
先輩の言う通り、未来のことは分からない。
先輩が突然癌になるかもしれない。サボっていた恐怖の大王がいまさらやってきて世界が崩壊するかもしれない。地球温暖化で破滅的な気候変動が訪れるのかもしれない。はたまた気が変わった爬虫類型異星人によって用済みとみなされた人類が処分されるかもしれない。
そして、大半の高校生カップルと同じように僕と先輩はあっという間に別れてしまうのかもしれない。これが一番破局的で大切なことだ。でも未来のことなんてちっとも分からなくても、今この瞬間のことなら断言できる。それに限りなく低い確率だろうが僕は信じる。
耳元で先輩と囁くと不思議そうな顔をしてこちらを振り向く。
「好きです。いつまでも」
先輩は不敵な笑みを返す。
「そんなふざけた言葉信じると思ってるの、この私が」
その笑みは出会った時と変わらないようで確かに違っていた。そして小さいけれどはっきりとした声で僕の耳元に囁き返す。
「私もよ」
終




