文化祭当日
「勘違いかと思ったけどやっぱりなんか演技が変わった気がする。それが悪い方向に転ぶかいい方向に転ぶかはよく分からないけど」
遠藤さんが先輩に対して言葉をかける。先輩は
「そうですか。自分には分かりません」
などと淡々と答えているが確かに僕も先輩の演技がちょっと変わったような気がする。なんというか今までは暗さの中に明るさがある演技だったが、明るさの中に暗さがある演技になった気がする。
今日は実際の舞台を使ってのリハーサルだった。初めてのリハーサルで予定外のことも多かったけどなんだかんだで形にはなっていたと思う。遠藤さんはいろいろ指摘したが、どれも直せない程の欠点ではない。
皆の中に安心感とちょっとした達成感が広がっていた。笑顔で雑談を交わしている人も多い。最後に遠藤さんが別れの挨拶をする。
「言うまでもないことだけど本番まで気を抜かないで何回もリハーサルしてね。私は大学の文化祭があるから見れないけど後でビデオで見させてもらうから」
文化祭当日だというのに文芸部のある旧校舎にあまり人気はない。まあ朝っぱらだというのもあるだろうが。
隣の囲碁将棋部で将棋を指し、囲碁を打つ音が聞こえてくるほどだ。珍しくお客さんがやってきて数分ほど冊子を読んだあとに持って帰っていった。
「持っていってくれたうち、一体何人が全部のページを読むんでしょうねえ」
部長がしみじみと僕に言葉を返す。
「小説は読むのに時間がかかるからね。本当にまどろっこしい表現形態だよ。僕も買ったのに読み終わってない本が二十冊ぐらいあるし」
それから僕の方を向いた。
「それより時間は大丈夫かい」
たしかにもうそろそろ行かないとまずい。あらかじめ頼んでおいたのだろうか部長の友達がやってきた。部長は自分一人で文化祭当日の文芸部の仕事を買って出てくれたのだ。僕と安部さんが劇で忙しいと言ったので。
僕は朝だけ部長を手伝うことにしたのだが、安部さんに至っては劇全体を指揮するので少しも手伝えない。礼を言って部室を後にする。
「おい杉山、ちゃんと腰を入れて運ばないと落とすぞ」
注意されて僕は全身に力を入れる。こういっちゃなんだけど僕は脚本の手伝いを担当しているから本番でやれることはあまりない。せいぜいこうやって雑用をこなすぐらいだ。
空き教室に行くと女子生徒が先輩にお化粧していた。先輩はなすがままにされているが落ち着かない様子だ。メイク係の女子生徒に何度もじっとするようにと注意されている。メイクが終わると手鏡を使って何度も確認している。そうして僕に尋ねる。
「変じゃないかしら」
「似合ってますよ」
そういうと先輩は恥ずかしげに手鏡をまた眺め始めた。メイクを施された先輩もいつもとちがってまた素敵だ。
準備がすむと皆でぞろぞろと体育館の舞台へと向かう。皆といっしょに舞台袖で待機しようとする僕に出演間際の先輩が言う。
「観客席で見たほうがいいんじゃない。舞台袖にいたって本番の途中で指示することもないでしょ」
「でもなんか観客席で見ると部外者って感じがしますよ」
そう答えた僕に那須が呆れたように言った。
「馬鹿野郎。お前にちゃんとした形で見てもらいたいんだろうよ」
先輩が頬を赤らめて僕は追い出されるように観客席へと移動する。たいして時間も立たないうちにブザー音がなって開演を知らせた。芝居の幕が下りる。
僕は脚本を手伝っているから劇の内容を既に知っている。だけれど本番というものは格別だ。雰囲気が全く違う。やはり緊張するのだろう。そのことが演技にプラスの働きもするし、マイナスの働きもする。
突然舞台はしんと静まった。先輩が台詞を言う場面のはずだ。とちってしまったのか。僕は自分のことのように緊張する。観客が異変に気づいて騒ぎ出すぎりぎりぐらいに那須がなんとか取り繕う。僕は心のなかで那須に感謝した。
役者達が一礼して舞台の幕が降りる。降りる間際確かに先輩と目があった気がした。感動してくれたのか熱心に手を叩く観客もいる。あんまり面白くなさそうに儀礼的に手を叩く観客もいる。何を考えているのか表情が読めない観客もいる。
ぞろぞろと体育館から出て行く観客たちとは別に僕は舞台の袖に向かう。
片付けを手伝う前に文字通り大役を終えた先輩に声を掛けようとする。だけれど主役の先輩に対していろんな人が話しかけていて僕はちょっと待つ羽目になった。
「お疲れ様でした。格好良かったですよ。それに演技良かったです」
先輩はメイクによって彩られた顔を僕に向け微笑む。
「当たり前でしょ。どれだけ練習したと思ってるの」
そして大慌てで皆で大道具やら小道具やらを片付ける。舞台から引き上げた後も忙しかった。劇の反省点を皆で確認しなければならない。席に座って演技を見ていた僕は皆から意見を求められて大変だった。
少し休憩をしてから練習しようということになった。安部さんが文化祭を見て回らないかと提案してくる。机に突っ伏していた先輩を誘うとぶっきらぼうに答えた。
「私はパス」
「どうしてですか」
「疲れちゃったのよ。主演だったからね。脚本家の方々はそうでもないでしょうけど」
先輩の皮肉を聞き流して教室を出た。雑談を交わしながら校舎の外に行くと那須が鉄板で焼きそばを焼いていた。近づいて声を掛けるとなんでも部活の出し物らしい。主役を張りながら合間にこんなこともやっているとは。
「冷やかしじゃないよな」
「もちろん。ひとつくれ」
那須は箸を二膳つけてプラスチックのパックがパンパンになるまで入れてくれた。
「お前、入れ過ぎだぞ」
那須が部活の先輩から小突かれる。
グラウンドには屋外ステージが設置されていて出し物が出来るようになっていた。ちょうどその時出演していたのはお笑いコンビだった。我が校の先生のものまねシリーズで笑いをとっていた。僕も安部さんも爆笑というほどではないがくすりくすりと笑った。
別のお笑いコンビが出てくる。自分のことをトカゲだと思い込んでいる北京原人とそれを治療しようとする精神科医気取りのネアンデルタール人という題名のネタだった。僕は爆笑したがあまり笑いを取れてはいなかった。安部さんもあまり面白くなさそうだった。
コントが終わり彼女は形ばかりの拍手をした後に僕に尋ねる。
「どこが面白かったの」
面白さの理由を説明するのは厄介だ。僕は考えこんだあとに苦し紛れにこう言った。
「題名からして面白いと思うんだけど」
安部さんが首を傾げる。ステージにドラムやらなんやらの機材が運び込まれてきた。
僕は適当に話題を逸らせようとする。
「次はバンドみたいだよ」
僕は音楽に詳しくはない。だが端的に言って彼らの演奏は下手だった。やたらと大きいギターの音が響きボーカルがカバーソングを大音量で熱唱する。退屈なので僕と安部さんは立ちながら焼きそばを食べ始める。
異変が起こったのはライブ終了間際だった。突然ボーカルの生徒が
「桜!」
と叫んだ。すぐにはなにを言ってるのだか理解できなかった。いきなりものすごい勢いでステージへ女子生徒が駆け上がっていく。そうしてあっというまに二人は口づけを交わした。観客たちの歓声が上がる。
安部さんは驚きのあまり顔に手を当てていた。管理役の先生が慌てて二人を捕まえて説教する。僕と安部さんは目を合わせて笑った。それから僕たちは室内の出し物をちょっと見たあとに教室に戻った。
二日目の劇は拍子抜けするぐらい順調に進んでいった。昨日の先輩みたいにとちる人がない。そこまで行かなくても昨日は噛んだりすることも結構あったのだが今日は格段に減っている。
だから安心して見ていたのだが、段々と名残惜しい気分になってきた。もうこの劇はこれでおしまいだ。クラスも変わるのだからこのメンバーで新しい劇をやることもないだろう。
感傷的な気分になっている自分に気づく。僕はそんな気分を振り払って目の前の劇を楽しむことに切り替える。舞台の幕が降りると僕は誰よりも大きな拍手を送っていた。
空き教室まで舞台道具を運んだ後、文化祭終了まで自由時間ということになった。先輩と一緒に文化祭を見て回る。だが先輩は心ここにあらずといった感じで正直あまり面白くはなかった。疲れきっているのかもしれない。
終了を知らせる鐘がなった。僕たちは空き教室に集合する。もう文化祭は終わりだから昨日と違って最終的に舞台道具を処分しなければならない。
小道具の人達が作ってくれたものを壊していくのはちょっと気が引けるがしょうがない。ほんのさっきまで大事に扱われていた物たちが無残な音を立てて壊れていく。
片付けが終わると安部さんは解散を宣言した。すぐに立ち去っていく人もいるし、周りと喋り始めてなかなか出て行かない人もいる。だが徐々に人が消えていって僕と安部さん二人になる。先輩はそうそうに出て行った。安部さんに声を掛ける。
「僕達も行こう」
「少し時間を私にちょうだい」
安部さんが僕を見つめる。その言葉はどこまでも唐突だった。
「好きです」
不意打ちを食らった僕は何も答えることが出来なくてただただ心臓がバクバクする。なんと言えばいいのか頭で考えても浮かんでこない。安部さんは返事を待って僕をじっと見つめ続けている。でもやがて言葉が自然と出てきた。
「ごめん。嬉しいけど付き合えない」
「うん、知ってた」
不思議な事にその声は底抜けに明るい。対照的に僕はおどおどするのを抑えられない。傍から見たたらまるで僕が安部さんに告白して振られたみたいだろう。
「杉山は全然気づいてくれなかったね」
安部さんは笑う。その寂しい笑顔に僕は罪人のような気分になった。
「ごめん」
「謝ること無いよ。ていうか私が悪いんだ。私と一緒にいる時も杉山はずっと先輩に夢中だった。それを分かっていたのに告白したんだから」
一瞬頭が真っ白になっていう言葉を失った。とてつもなく恥ずかしい気持ちになって小さな声で聞く。
「気づいてたの」
「バレバレだよ! 気をつけたほうがいいよ。ちょっと傷つくんだからね」
僕はこんなことを言ってしまう。話してもどうにもなるものでもないことを知りながら。
「でも僕安部さんのこと嫌いなわけじゃないから。いや、むしろ好きだよ」
「嬉しいけどそれって友達としてでしょ」
悲しい微笑みに力なく頷く。
「例えばさ杉山、私の下の名前言える?」
「みつきでしょ」
女子からそう呼ばれているのを何回も聞いたので覚えている。
「正解! でも漢字で何って書くか分かる?」
分からないので答えられなくて申し訳ない気持ちになる。そのこともあってか自分でも恥ずかしいぐらいしどろもどろになってきた。
安部さんは微笑しながら教えてくれた。
「美しい月って書くんだよ」
僕はぼそぼそと謝る。
「ごめん覚えてなくて」
「綺麗な名前でしょ」
そう言って安部さんが窓の外を眺め始めたので月が出ているのかなと思ったがそんなことはなかった。雲で隠れているのかもしれないし方向が見当違いなのかもしれない。安部さんが呟いた。
「なんか締まらないね」
告白とそれに対する拒絶という緊迫した状況のはずなのに僕は思わず笑ってしまう。安部さんも僕を咎めずに一緒に笑い出した。何故だが止まらなくて暫くの間ずっとふたりで笑いあっていた。お腹が痛い。二人で笑い合う。
かなりの時間が経った後に僕たちは笑うのをやめた。僕と安部さんは無言で見つめ合う。安部さんの目から急に涙が溢れだした。僕は安部さんの肩に手をかけようとする。
「やめて!」
慌てて手を引っ込める。彼女は涙を自分のハンカチで拭いてから無理な笑顔で僕に言った。
「もう大丈夫だから行って。優しくされるともっと好きになっちゃいそうだから」
僕は安部さんからいそいそと離れ教室を後にする。突然のことでまとまらない頭で本校舎への渡り廊下をとぼとぼと歩く。
「華麗に告白を断った女泣かせの杉山君じゃない」
そこには先輩がいた。今一番会いたいたくない人だった。バツが悪くなりながら答える。
「なんで知ってるんですか」
「彼女が言ったのよ。文化祭の最終日に告白するって。まあ彼女が君を好きってことには気づいていたけどね」
僕が記憶してないだけで安部さんからの好意を示すシグナルはたくさんあったのかもしれない。だが彼女はどうして先輩に伝えたのだろう。
そしてこんな疑問も湧いた。
「でもそれなら告白の結果はまだ知らないはずじゃないですか」
「君が告白を受けるはずがないと思ったの。それに今の君の言動で確定よ。語るに落ちたわね」
先輩はそう言いながらおどけて名探偵みたいに僕を指差す。僕はわざと先輩になんて少しも興味がない風に、突き放した風に言う。
「わざわざ僕を待ち受けていたんですか。悪趣味な人ですね」
僕の皮肉に先輩は
「そんなこと知ってる癖に」
とおかしそうに答える。
それからちょっと間を開けて僕を追求する。
「君が知ってる通り安部さんってとってもいい子じゃない」
それから先輩はなんでもないことのように、まるで次の時間割でも聞いているかのように尋ねる。
「なのに断るって誰か好きな人でもいるの?」
この人は本当に嫌な人だ。だけれども僕はそんな先輩を嫌いになれない。
「そういうんじゃないですよ。別に」
「本当かな?」
覗き込んでくる先輩から顔をそらして僕は逃げるようにその場を去った。教室に戻ると、喧騒が場を支配していた。文化祭を終えたことで皆興奮しているのだろう。ともしびが消える間際に華々しく光を放つみたいに。
しばらくすると安部さんが戻ってきた。少しも悲しそうな様子はない。先ほどの告白がまるで幻のようだ。クラスの皆は打ち上げをするのだ、カラオケをするだのと盛り上がっている。そんな気分じゃなかったので僕は遠慮しておくことにした。
やることもないので帰ろうとかと思ったがふと文芸部をほったらかしていることに気がついた。部長が一人で片付けると言ってくれたがまだいるなら礼ぐらい言っておきたい。安部さんを誘う気にはなれず僕は一人で歩き出した。
文芸部の部室は完全に普段に戻っていた。まあ飾り付けと椅子をかたすぐらいだからたいして時間はかからないだろう。ノーパソで何かを書いている部長もだ。
「ほとんど部長一人で文芸部のことやってもらってありがとうございました」
僕が頭を下げると部長はノーパソの画面から僕に目線を上げる。
「たいしたことじゃないよ。あと冊子は全部捌けたよ」
僕はもう一回お礼を言った後やることもなく椅子に座る。手持ち無沙汰を紛らわせるために棚から適当に本を見繕うとする。
「その様子だと振ってきたみたいだね」
突然の言葉に僕は部長の方を振り返る。部長はノーパソを畳んで僕を見据えている。
「告白するって安部さんから聞いてたんですか」
努めて冷静に尋ねると部長は黙って頷く。安部さんはよっぽど自分の告白、成功の見込みが無い告白を周りに言いふらすのが好きらしい。僕は少し苛立ちながら彼女への不満を漏らす。
「どうしてあらかじめ話しておくんですかね。僕が安部さんを振ったことが先輩や部長に知れたらギクシャクするぐらい分かるでしょうに。言うにしても付き合った後にすればいいのに」
言葉がとめどなく溢れてくる。そんな僕を落ち着かせるように部長がゆっくりと口を開く。
「僕もそう思ってね。聞いてみたよ。そうしたら彼女は言ってたよ『でも私は私達の関係がそんなに脆いものだとは思ってません。少なくとも私はそう信じています。それにいくら危険があるからって好きな人への思いを黙っていることなんてできません』ってね」
どこまでも安部さんらしい楽観主義だ。僕は思わずため息をついてしまう。
「どうしたら良かったんですかね」
部長は笑いながら言った。
「まあしょうがないよ。振るかどうかを決めるのは君の自由だ。そして彼女は今の関係が壊れるリスクを覚悟で告白し、君も今の関係が壊れてしまう危険を承知で告白を断った。二人共どこまでも本気だ。誰にも批判されるようなことじゃない」
「なんか今日の部長とっても格好いいですね。普段とは大違いだ」
僕が指摘すると部長は恥ずかしそうに頭をかく。
「褒めてるんだか貶してるんだか分からないことを言うね。まああれだ、こんな言葉どっかの小説にあったんだよ。多分」
そして部長は楽しそうに僕をからかう。
「誰と付き合うのか決めるのも君の自由だ。まあ好きな人と付き合うことをお勧めするけど。例えば僕の元同級生で現留年生とかね」
どうやら先輩への好意は部長にもバレていたらしい。どれだけ自分が分かりやすい態度をとっていたのかと思うと顔が熱くなってくる。部長はそんな僕を見ながら黙って笑う。
ふと僕は夏合宿の時の部長の態度を思い出した。部長が安部さんを好きなのではないかという推測。あれは邪推だったのだろうか、それとも真実だったのだろうか。だけれど今の僕がその事を口にするのは失礼だと思って、何も言わずに部室を後にする。




