理由なき反抗?
翌日の朝、宣言にも拘らず先輩は登校してこなかった。
約束を破られたのもあるけどまた不登校になってしまうのかと思うと憂鬱な気分だった。昨日ちょっと話しただけの仲だというのに。
それにしても面白いものって何のつもりだったのだろうか。
もしかして一発芸みたいなことかな? 先輩がそんなことをしているのを想像すると、笑ってしまうぐらい似合ってなくてちょっと気分が晴れた。
ひょっとして昨日話したことと関係するものかもしれない。
全く興味がわかないわけじゃないけれど二日続けて陰謀論やらの話をされるのはちょっと勘弁してほしいな……。
先輩が登校してきたのは二限の途中だった。黙々と板書をしていた坪内先生は闖入者に一喝しようとする。
だが先輩の姿に唖然として何も言えなくなってしまった。先生だけでなく、教室の誰もが先輩を見て息を呑んだ。
それはただ単に異物が遅刻して登校したからではない。先輩の肩までかかる透き通った黒髪が一晩で金髪に変わっていたからだ。
この高校はどちらかというと校則が緩くて、携帯電話の使用や髪型は個人の自由に任されている。アルバイトも許可を取ればできるはずだ。
だがさすがに金髪は認められていないはずである。
校則がどうこうという話を置いておくと先輩と金髪は全く似合ってない。
まず、髪の色を変えたということの他は何一つ変わっていないのだ。髪型も変わっていない。制服もボタン一つ開かれずきちんと着こなされてるし。
昨日までの先輩の写真の黒髪の部分だけ下手くそに金髪にコラージュしたみたいだ。あるいは仮装で髪の色だけ変えてみたみたいだ。それに自分で染色したのだろうか、ところどころムラがある。
「すいません。遅れました」
まるで何事もないかのように丁寧な口調で坪内先生に告げると、自分の席つまりは僕の後ろの席につく。
先輩は横を通りかかった時僕だけに聞こえるぐらいの本当に小さな声で
「ねっ」
と言って、さらにウインクしてみせたので驚いた。ヘンテコな金髪をしているのに、その笑顔はやけに栄えてみえとても素敵だった。
それにしても約束を守ってくれたのはいいが、よりによってこの時間に来なくても……。
坪内先生はもともと怒りやすくて、予習をしてこなかっただの居眠りしていただのといったことがあると顔を赤らめて長々と説教をする。
そんなわけで生徒からの人気はすこぶる低い。僕もあの粘着質な怒り方は傍から見ていてもどうも気分が悪くなるので好きではない。
これは大変なことになるぞという周囲の予想をよそに先輩は何事も無いかのように平然と言う。
「先生、授業始めませんか」
その言葉は怒ってくださいと言わんばかりで、まるで促されるように坪内先生は怒りだす。
「貴様! 俺を馬鹿にしやがって前までこい」
先輩は気だるそうに坪内先生の前に歩いて行く。先輩の顔は後側からは当然見えない。
が、ますます紅潮していく先生の顔からして反省の念などちっとも読み取れない表情なのだろう。
「で、何の用なんですか」
「とぼけるな! この髪のことだよ。金髪は許されてないぞ」
そう言って先生は苛立たしげに先輩の髪を弾いた。すかさず先輩が咎める。
「セクハラですか、先生」
「そうだ坪内、ロリコンかよー」
教室内から誰ともしれず野次が飛ぶ。先生は動揺して答える。
「う、うるさい。いや髪を触ったのはすまん。そんなことするつもりはなかったんだ」
「わかりました」
先輩は謝罪を拍子抜けするほどすんなりと受け入れた。
先生はその素直さに自信を得たのか語気を強め、仕切り直す。
「話を戻すぞ。金髪は校則違反だ。こんなこと言いたくないがお前は去年も在籍していたんだから重々承知だろう」
「どういう根拠で仰っているんですか」
先輩の声は平静そのもので、とても教師に説教されている生徒のものには聞こえない。
また表面上は別に馬鹿にしているふうでもない。
「そ、それは校則に書いてあるだろ」
次々と予想外の言葉を言われて先生はますますうろたえる。
「本当ですか。先生は校則をお読みになったことは? お読みだとしてそれは何年前のことですか」
先生は押し黙って、得体のしれないものを見てしまったかのように当惑している。
「たしかに我が校の校則にはこうあります。第一七条、本校生徒は高校生らしい服装、容姿の維持に努め無くてはならない。だけれども金髪が駄目とは一言も書いていない。分かっていただけましたか」
なんだかんだで今まで先輩と一応会話を続けていた先生ももう耐えられないようだった。
教卓を叩いて叫んだ。
「どんな風に生きてきたらこんな根性のねじ曲がった人間が出来上がるんだ! あんなに優秀だった兄貴とは大違いだな! 人を小馬鹿にして楽しんで。俺はもう我慢ならんぞ!」
先生は怒りが最高潮に達しているようだった。
もはや自分でも制御不能に陥りかけていた。だが、肩を震わせながら音が聞こえるほどの大きな深呼吸をしてなんとか自制をしたようだ。
対照的に先輩はいまさら怖くなってきたのか少し震えているようだ。制服のフレアスカートが揺れている。
最低限の冷静さを取り戻した先生は静かに告げる。
「とりあえず、職員室までこい。担任や生活指導の先生とも話し合わなきゃならんからな」
先輩は意外にも素直にその指示に従い一緒に職員室へと歩き始める。先生の思い出したような
「黙って自習しているんだぞ。お前ら」
という指示に反し一斉にお喋りが始まった。
「坪内の顔見た? まじで怒ってたよね。それに貴様! だって受ける~」
「見た。見た。あいつに完全にコケにされてたよね。宿題やってこなかった時にちくちく文句言われたことあるから、すっきりしたわ~」
最初のうちは嫌われものということもあって先生の悪口が主だったが、やがて先輩の方にも非難の矛先が向かってきた。
「だけどまあ坪内はうざいけどあの人も酷いよね。突然金髪で遅刻してきた上にあの態度だもん」
「校則の解釈がどうとか難癖つけてたしね。ただ単に金髪に染めたいだけだっての」
「勘弁してほしいよ。授業は中断するし、ホームルームじゃまた担任の説教があるんだろ。目立ちたがりやの不良留年生のせいでさ。学校が嫌ならとっととやめろっての」
そして少しずつそちらの意見のほうが大勢を占める。なんだかんだ言って真面目な生徒が多いからかも知れない。
先生の悪口は言っても暴力を振るうわけでもない。不登校になるわけでもない。公然とした反抗はやらないのだ。
そんな風にお喋りに花を咲かせていた隣の席の女子が、味方を増やしたいからだろうか、自分が多数派だと確認したいからだろうか、僕にも意見を求めてくる。
もっとも求められる意見の内容はもう決まっているのだ。
「杉山はどう思ってるの」
先輩を真っ向から非難するのも嫌で、かと言ってこの雰囲気に立ち向かう勇気を持つ事もできなくてこんなことを言ってしまう。
「うるさいのは嫌かな……」
「だよねー」
その女子は僕の曖昧な言葉をどこまでも都合よく解釈して、先輩の悪口を言い始めた。僕は面と向かって否定することが出来なくてただ聞くことしか出来なかった。
「高校で一年留年した挙句にこのザマって人生終わってるよね」
「マジで頭おかしいよね」
反論するものがない言説は怖いほどしつこく繰り返され暴走する。僕は聞こえないようにしようとしたけれど、人間の脳と耳はそこまで都合が良くできていないようだ。
「そういえば杉山さあ、あの人と結構楽しそうに話してたよね」
急に僕に話題が向けられた。
「なんていうんだっけ、オカルト? ああいうの好きなの」
僕はここでも言いたいことを言うことが出来ない。
「そんなことないよ。適当に合わせてただけだよ」
「ふーん」
その女子は僕を興味深そうに見つめた。ぞっとするような目で、先輩はこんな目にずっと晒されているのかと思うと痛々しくなった。
僕はもういたたまれなくなって
「じゃあ予習しないといけないから」
と会話をしなくて済む口実を言って逃げる。
やがて坪内先生は一人で帰ってきて、なりふり構わない怒声で教室内は静まり返る。
僕も含めて殆どの人が授業は再開されないと思っていたので虚を突かれた。勘のいい人たちはおしゃべりもせずに予習していたようだが。
明らかに機嫌が悪い先生の餌食になったのは那須だった。
先生の執拗な追及によってなんと中学校レベルの文法すら壊滅的ということが判明した。
五文型を挙げることすら出来ないという事が明らかになった辺りで
「これでよく合格できたな。カンニングでもやったのか。部活もいいが勉強も頑張れ」
先生はもう怒る気も失せたのか、呆れか嫌味か判然としない言葉を向ける。うちの高校は東大合格何十人! 医学部合格何十人! とか言う絵に描いたようなとてつもない名門校ではない。けれど、一応ここらへんでは一番の進学校だからその点については同感だった。
「えっと、理数系が得意なもんでそれで点をとったので」
という那須の正直なのか見栄を張っているのかよくわからない弁明が、一度落着きかけていた坪内先生を刺激してしまう。
「馬鹿野郎! 理系の入試でも英語は超重要だ。大学に入っても英語で論文を読まなきゃならん。社会に出たあともそうだ。今はグローバル化の時代だからな。中小企業だって続々と海外に進出してるんだ。英語ぐらいできなきゃやっていけないぞ」
どこかで聞いたような説教で先輩ならきっと冷ややかな笑みで
「くだらない。経済雑誌でも読んだの」
などと一蹴するのだろうなと思って思わず後ろをちらりと見る。だが当然のことながら先輩がいるわけもなく、主を失った席が居心地悪く佇んでいるだけだ。
そのあとも坪内先生がちょっとしたミスを犯した生徒に八つ当たりして最悪の授業だった。
二限が終わっても先輩が戻ってくることはなかった。先輩の荷物を取りに来た高橋先生は皆からの質問に
「後できちんと説明するから、心配すんな」
と似合わない作り笑いで答えるだけだった。結局その日先輩が戻ってくることはなかった。ぽっかりと空いた先輩の席がとてつもなく大きく見えた。
ホームルームの時間になって高橋先生が入ってくると教室は静まりかえった。先生は教壇に立ち、クラスの一同を見渡してから場違いな微笑で話を切り出す。
「今日は皆びっくりしただろう。突然金髪で登校してきたりしてなあ。大っぴらに言うのも何だと思って黙っていたが上級生からいろんな情報が漏れているようだしあいつのことについて話そう」
先生は急に真面目な顔になった。
「断っておくが去年俺はあいつの担任じゃなかった。だから他の先生方からの伝聞と現国の時間に接したことからの断片的な情報しかない。それにお前たちに知っていることを全て言えるわけでもない。それを分かったうえで聞いてくれ。あいつは教師の俺から見ても真面目すぎるぐらい真面目な生徒だったよ。よく質問してくれて、授業も寝てるどころか、集中していないところを見たことがないぐらいだ。もうちょっと気を抜いたほうがいいんじゃないかって思ったぐらいだよ。そして一年の夏休みあいつは急に失踪してしまった。親御さんから連絡が来て学校は大騒ぎだよ。大慌てで交友関係を洗ったりしたが失踪先も失踪の原因も掴めなかった。結局一月ほどしてひょっこりあいつは帰ってきた。それで失踪先は分かったんだが原因は分からなかった。親からも教師からも問いつめられてもあいつは明確な原因を言わなかったからな」
それから先生は深呼吸して、一層真面目そうな調子で言った。
「別にそこまで珍しい話じゃない。一学年に一人ぐらいはそういうやつがいる。そういう奴らが元の生活に戻ってこれるかドロップアウトするかって本当にほんの少しの差なんだよ。だからあいつが傍から見たらおかしなことをやってたり、すぐにはクラスには溶け込めなくても悪い目で見たり冷たくしたりはしないでくれ。頼む」
頭を下げた先生に誰も何も言えずに教室はしんとしていた。