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先輩の匂い

「全くこっちも学園祭の準備で忙しいってのに泣きついてくるとはね。しかも会ったこともない知り合いの知り合いに」

「すいません」

 安部さんが謝ると遠藤さんは笑って答える。

「別に良いのよ。一年生なんて雑用ばっかで。全然権限持たせてくれないから面白くなかったし。ずぶの素人に好き勝手に色々指図できるのはちょうどいい気分転換になる。それに高校時代を思い出して楽しいしね。あなた達は文芸部の後輩だし。まあさすがに毎日来るのはかんべんして欲しいけど」

 

 社会的に言えば大学生はまだまだ子供なのかもしれないけれど高校一年生の僕からしたらずっと大人に見える。体つきとか顔つきも原因の一つだろう。

 だけれどそれだけじゃない。話し方や雰囲気が大人らしく思えた。それから遠藤さんは皆の気合を入れるような声で言った。

「今のところ確定してるのは原案の小説と役者だけなのよね。配役も決まってないと。じゃあやることは山程あるけどまず最初に演技を見せて」

 安部さんが用意しておいた台本の一部を配った。まだ元の小説を全て演劇の台本の形に変えられていないのだ。会話文はほとんど変える必要がないが小説の地の文をト書きに変える必要がある。また上映時間に合わせて尺を微調整する必要がある。僕も手伝っているからわかるがこれが結構大変な作業なのだ。


 遠藤先輩が役者を希望した皆に声を掛ける。

「そんなにピリピリしないでいいのよ。全然お芝居なんて練習したこと無いってことは分かってるんだし。それに二ヶ月しか時間がないんだからやれることには限界が有るのは確か。三年間も練習できる高校演劇ですらプロの人から見たら全然なってないらしいしね」


 弛緩した空気が場を流れる。

「そりゃそうだよなあ。時間がないから下手でもしょうがないよなあ」

 などと軽口を叩く人もいた。演劇に詳しいという大学生が突然登場して皆緊張していたのだろう。遠藤先輩は優しい口調で気の緩みを戒める。

「だからといって手を抜いちゃりしちゃ駄目よ。それに変に内輪の笑いを取りに行くのもね。徹底的に笑いを取りに行くのも一つの立派な戦略だけれどこの脚本はそんな感じじゃないし」

 

 とりあえず演技を見るのは主役からということになった。希望者がいなかったので結局主役は先輩と那須に決まったのだ。最初に那須が台本を見ながら一人芝居を始める。

 これがなかなか様になっていた。背が高くて二枚目の那須が役者映えするからという理由もあるが、演技そのもの自体もそつなくこなしている。

 遠藤先輩が芝居が終えた那須を褒める。


「君はまあまあうまいわね。今まで演技の練習をしたことは?」

「幼稚園の学芸会ぐらいしか無いですよ」

 遠藤さんは楽しそうに言った。

「じゃあ筋がいいのね。でもサボっちゃ駄目よ。毎日ちゃんと練習しなきゃ」

 那須が頭を掻く。

「部活があるからそんなに練習できないんですよね。今日は休みだからいいけど」

 

 遠藤さんは少し怪訝な顔をした後に安部さんに尋ねる。

「主役がろくに練習できないなんて聞いてないよ」

「えーっとですね。忘れてました」

 素直に白状する安部さんに遠藤さんはかなり呆れたようだった。

「そういうことはちゃんと連絡しないと駄目じゃない」

 次は先輩の番だ。その演技ははぎこちなく声もぼそぼそとしている。頑張っているのは分かるのだが空回りしている感じだ。どこか自信なさげでもある。

 大根役者とはこういう人のことを言うのだろうなあ。自分も演技なんてしたことがないくせにそんなふうに思ってしまう。


 一通り演技終わったところで遠藤さんが感想を言った。

「ど素人ってことを考慮しても酷いわね」

 事実なのだろうけれど少しもオブラートに包もうとしない遠藤さんの言葉に先輩はムッとした顔をする。それから遠藤さんは安部さんに目を向ける。

「どうして彼女を主役に据えようと思ったの」

 安部さんが遠藤さんと目を合わせる。

「うちのクラスで一番雰囲気がヒロインに似ていると思ったからです。演技は置いといて」

「そうね。演技はヘッタクソだけどたしかにヒロインのイメージにはぴったし。私もこの子がいいって思った。だから他の人に変えようか悩ましいところ」

 

 安部さんが慌てて説明する。

「変えるもなにも他にやってくれる人はいませんよ」

「じゃあ、あなたに頑張ってもらうほかない」

 声を掛けられて先輩はちょっと緊張した面持ちになった。遠藤さんは続けて先輩を慰めるような鼓舞するようなことを言う。

「それに全く役者に向いてないってわけじゃないと思う。あなた人を引きこむような雰囲気があるから。これで演技の才能があったら一端の役者になれるかもしれないのに。残念」

 

 それから一通り残りの人達の演技を見た後、遠藤さんは腹式呼吸で発声してみせた。独特な声が教室内に響く。それから一人ひとり直接指導していく。特に先輩は徹底して練習するようにと遠藤さんは厳命した。

「上手い下手以前に声が聞こえなきゃお芝居にならないからね。大声を出せるようにしておくこと」

 先輩は本気でやる気があるのかないのかよく分からない顔で頷く。遠藤さんは那須の部活がない水曜日にやってくるということになった。

「それと安部はこれを次に私が来るまでに読んでおいて」

 遠藤さんが渡したのは数冊の演劇関係の本だった。安部さんは元気よくお礼を言ってから受け取る。


 その様子を見た遠藤さんは心配そうに尋ねる。

「私の言ったことちゃんと分かってる? 次に私が来るまでにってことは来週までに全部読まなきゃならないのよ」 

 安部さんは可哀想なことにちょっと固まってから頷いた。帰る前に遠藤さんは安部さんに念を押す。

「あと台本は次来る時までにはとりあえず一旦完成させといて。台本がないとほとんど練習が進まないから。練習が進むうちに手直しすることになると思うけど。あと分からないことがあったらいつでも連絡していいから」

 

 あとは遠藤さんが残してくれたメモに従って練習をやっていくことにした。腹式呼吸やら早口言葉やら筋トレやらのやり方が載っている。基礎練習といったところだろう。どうして体育着に着替えさせたのか最初分からなかったが納得した。

 即席の素人劇団の声が教室内に響く。僕は皆の練習の様子を見たあと安部さんと台本作りに取り掛かろうとする。


 その時教室の扉が乱暴に開けられた。

「ちょっとうるさいよ。こっちは勉強しているんだから」

 端々に苛立ちが感じられる物言いだった。知り合いではないがどこかで見掛けたことがある顔の男子生徒だった。おそらく隣のクラスの生徒だろう。

 

 すぐに安部さんが男子生徒の前に行き両手を合わせて謝る。

「ごめん文化祭で劇をやるからその練習なんだ。勘弁して」

 男子生徒は神経質そうに眼鏡を手で押し上げる。

「練習するのは結構だけどなんで僕が我慢しないといけないんだよ。学校は勉強するところだろ」

 ちょっと癪に障る言い方だが理がないわけではない。なおも安部さんは説得を試みるが男子生徒が引き下がる様子はない。

 どうやらムキになってしまったようだ。役者の人達は興ざめしたように手持ち無沙汰で立っている。


 僕はうんざりしながら安部さんに提案した。

「どこか他に練習する所探したほうがいいんじゃない」

 安部さんは僕と男子生徒を交互に見て力なく頷いた。彼女は先生に頼んでくるからといって教室をあとにした。男子生徒が苦情が聞き入れられて満足したように自分の教室へと戻っていく。

 

 帰ってきた安部さんに連れて行かれたのは埃っぽい旧校舎の空き教室だった。使いみちがあるのかないのかよく分からない物が乱雑に置かれている。おまけにクーラーもついてないので残暑の熱が篭っている。

 口々に不満の声が上がる。無理も無い。だが安部さんは窓を開放して皆に呼び掛ける。

「たしかに汚いけどさ練習できないってわけじゃないでしょ。それに掃除しておくからさ」

 皆はしぶしぶ練習に取りかかりはじめた。


 安部さんは疲れた顔で僕の方を向く。

「分かってたことだけどやっぱり人を動かすのって大変だね」

 だけれどすぐ気を取り成すように微笑んだ。

「じゃあ私たちは台本を作らなきゃ」

 そんな彼女に僕まで笑顔になってしまう。原稿の上をシャープペンが軽快に走る。僕たちは最終下校時刻になるまで練習に取り組んだ。

 

 だらだらとした声が空き教室の中で響く。士気が高いとはお世辞にも言えない。基礎練習というのはどんな分野でもそうだが得てして単調なものだ。面白くなくて当然。

 初日こそ物珍しさで皆集中力を維持して取り組めていたが日を重ねると士気が落ちてくる。見かねた安部さんが声を掛けると役者の一人が言い訳がましく答える。

「そんなこと言ってもさ、そもそも台本自体が完成してないわけじゃん。それに配役もまだ決まってないし」

 痛いところを突かれた安部さんはちょっと口ごもってから気をとりなしたように説得を試みる。

「台本がなくても基礎練習は出来るでしょ。それに来週の月曜日にはちゃんと台本を完成させて持ってくるから」

 

 そこで会話は終わった。納得したのか、しないのかは分からないが役者たちの動きが少し良くなったような気がする。安部さんが戻ってくる。

「ああ、言ってたけど大丈夫なの。相当無茶しないと終わらないと思うけど」

 僕の問いかけに彼女は意外そうな声を上げる。

「なに言ってるの。杉山も無茶するんだよ」

 僕は呆気にとられながら彼女の笑みに押され承諾した。


「ふーん、結構いいんじゃない」

「いや俺はあんまり面白くないと思うけどなあ」

 様々な意見が飛ぶ。僕と安部さんは休日を潰して台本をなんとか完成させたのだ。読まれている最中僕は落ち着かずに代わり映えしない空き教室のあちこちを眺めたりしていた。

「せっかく台本を読み終えたんだから劇の練習をしてみようよ。基礎練が大事だってことは分かるけどもう飽きちゃったよ」

 唐突な提案に安部さんは苦笑する。

「飽きたってまだ一週間もやってないじゃん」

 結局彼女はちょっとだけ演技することを認めた。皆のやる気を引き出すためというのもあるだろう。だが彼女自身が皆の演技を楽しみにしているようでもあった。皆の希望にそって配役をとりあえず決めていく。


 那須がいない時は代役として僕が那須のセリフを読むことになった。棒読みしていたら先輩がそれでは演技がしづらいと言ったので僕も本気で演技するはめになった。

 素人芝居の中でも先輩と並んで酷い演技でなんとか代役をこなす。

「これが君のやりたかったことなの」

 そこで時間が止まってしまった。いや僕と先輩の時間軸と周りの時間軸がずれてしまったというべきか。

 周りは一切関係なく先輩が僕を見つめ、先輩が僕を見つめていた。大きな声が飛んでくる。


「杉山、ボーッとしちゃ駄目でしょ。ちゃんと台詞を言わなくちゃ」

 そうして僕は元の世界に引き戻される。安部さんがむすっとした顔で僕を見つめていた。練習を止めてしまったのだから彼女の怒りは最もだ。

「何やってるんだよ、杉山」

 そんな周囲の笑い声も聞こえる。安部さんだけでなく皆に謝る。


 それから安部さんは機嫌を良くして先輩をおだてた。

「でも先輩の台詞はちょっとよかったと思います。ちょっと引き込まれるっていうか」

 練習の帰り道、僕と先輩は自転車置き場に二人でいる。家まで送っていくという僕の提案を先輩が断る。

「今日はちょっと寄るところがあるから」

「もうこんな時間ですよ。どこに行くんですか」

「私はど下手だからね。那須君みたいにぱっとうまく物事をこなせないから人より練習しないといけないの」

 最終下校時刻まで残って練習したというのに。やっぱり先輩は根が真面目なのかもしれない。

「なら僕も付き合いますよ」

「頼んでもいないし許可を与えてもいないのだけれど」

 言葉とは裏腹に先輩は荷台に座り込む。素直に従うという思考回路がないのだろうかと苦笑してしまう。

 

 先輩が練習場所に選んだのは例の公園だった。日は完全に落ちているし人気もない。いくら田舎とはいえ女子がこの時間に一人でいるにはちょっと危ないところだ。結構抜けたところがあるなと思いながら僕はベンチに腰掛ける。

 辺りを見渡すと公園は装いを変えていた。特に先輩がハンスの死に場所と重ねた川の近くが一変している。


「この前来た時とは様子がまた違いますね。黄色い花をつけている雑草が川沿いに生い茂っていて」

「そうね。だけれど雑草じゃなくてセイタカアワダチソウって言うのよ」

 だから何なんだ。と思わなかったわけではないが何故かセイタカアワダチソウという言葉はやけに印象に残った。そんな僕の内心を察したわけではないだろうが先輩は何故か長々とこの草の説明をし始める。

「ここじゃそうでもないけれどセイタカアワダチソウって最近ススキに駆逐されているそうよ。どうしてだと思う」

「見当もつきません」

 生物はあんまり得意じゃない。


「セイタカアワダチソウはとっても強力な草なの。土壌の栄養を吸い尽くし毒を出して他の植物を排除する。そうして自分たちだけの天下を築く。だけれどやり過ぎた。栄養を失った土壌では自分たち自身が生き残れられない。おまけに毒が自身に牙を剥き始める始末」

 僕は素直に感心しながら先輩の話を黙って聞いていた。


「間抜けで滑稽でそれでいてとっても悲劇的だと思わない」

 先輩はとても寂しい微笑みを僕に投げかける。僕が相槌を打つと気を取り直したように練習にとりかかった。心なしか教室で練習している時より声が通っているような気がする。

 たまに車が通る音が僅かに聞こえるだけで先輩の綺麗な声が周囲を占拠する。僕はただ先輩をじっと見つめ、徐々にまどろんでいく。


「おはよう」

 まさしく目の前に先輩の顔があった。練習を付き合ってあげるなどと言っておきながらいつのまにか僕は居眠りしてしまったようだ。先輩がニッコリと微笑む。

「先輩っていい香りがしますよね」

 寝ぼけた頭でそんな言葉を呟いてしまった。先輩は顔色を変えることなく沈黙する。かなり時間が立ってから本音を漏らしてしまった事に気づく。

 慌てて釈明しようとする僕を無視して先輩は鞄のなかから何かを取り出し始めた。

 

 それはピンク色の制汗スプレーだった。それを手に吹き付けてこする。何をする気だろうかと思っていると手のひらを僕に近づけてきた。僕は逆らうことなくなすがままにされる。先輩の匂いがした。

 混乱する僕に先輩が笑いながら告げる。

「君が私の匂いっていったのはこれのことでしょ。腹筋した時にちょっと汗をかいちゃったから。たかだか一本数百円の化学物質に興奮してたのね」

 僕は恥ずかしくて顔が熱くなる。先輩から見たらきっと真っ赤になっているに違いない。


 気を使ってくれたのかどうかは定かではないが先輩はそんな僕に構わない。

「明日はやめておきましょう。よく考えたら朝早く来ればすむことだわ。夜中だと危ないからね。君ってちょっと頼りないじゃない。柄の悪いヤンキーなんかに絡まれたらすぐ財布を出して頭を下げちゃいそう」

 僕はちょっとムッとしたが強く否定することも出来なかった。先輩の家の近くまで自転車を漕ぎながら、僕はセイタカアワダチソウの自滅に先輩がどんな意味を見出しているのかをじっと考え込んでいた。

 先輩の体温を感じながら。先輩の、いや正確には先輩が使っている制汗スプレーの匂いを感じながら。気軽に尋ねることは出来なかったから。


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