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恐怖の大王の怠慢で生まれた少女との出会い

L'an mil neuf cens nonante neuf sept mois,

Du ciel viendra un grand Roy d’effrayeur,

Resusciter le grand Roy d'Angolmois,

Avant apres, Mars regner par bon heur.


一九九九年、七の月

空から恐怖の大王が降ってくるだろう

アンゴルモワの大王を復活させるために

その前後の期間、マルスは幸福の名のもとに支配するだろう。


出典『ノストラダムスの大予言 迫りくる1999年7の月人類滅亡の日』五島勉 著


「どうしてそんなに一生懸命なの、優等生クン」

 四限の世界史の時間。後ろからささやき声を掛けられた僕は思わずヒヤリとして必死に動かしていた手を止めた。

 小テストに没頭していたせいもあるけど少なからずその言葉に感じることがあったからかもしれない。

 担当教師は定年間際のおじいちゃん教諭で眠いのだろう、うつらうつらしている。こちらの異変に気づくことはなさそうだ。

 

 先輩は僕の思惑なんて気にしていないように続ける。

「モヘンジョ・ダロだのアーリア人だのリグ・ヴェーダだのを頭に叩き込んで何かいいことがあるの? ただでさえ十年後世界がどうなっているかなんて誰にも分からないのに」

 妖しい声に我慢できなくなって僅かに振り向く。文句を言おうとしたからだ。

 だけど僕は何も言うことができない。正直に言おう。先輩に見とれてしまったからだ。

 有り体に言ってしまえば先輩は鼻筋が通った端正な顔立ちをしていてスタイルもいい。足が長いし、だいたい平均身長ぐらいの僕と上背もそうたいして変わらないと思う。

 けれど僕が見入ってしまったのはそれだけが原因というわけではない。

 

 冷め切って人を小馬鹿にしたような笑み。その笑みに見え隠れする暗さ。可愛いというよりはどちらかという綺麗という言葉が似合う幼さの少ない顔立ち。

 それらはこの人が一つ年上なのだという先入観もあるのかもしれないが大人びた印象を僕に与えた。

 単に可愛い子、あるいは綺麗な子というのはそれこそ小学校のころから一定の割合でいたけれどもこんな人は……。

 

 先輩は僕のほうけた顔を見てますます微笑む。意地悪な人だ。

 僕は意を決して無表情を取り繕い、音量的にも精神的にも控えめな抗議の声を上げる。

「やめてください。集中できません」

 先輩は机に突っ伏したまま上目遣いで誘惑する。

「そんな顔しないで。さっきの君はもっといい顔してたよ。あと一つ余計なことを付け加えると恋する顔によく似ていた」

 僕は自分の顔が真っ赤になっているのではないかと思った。

 内心を見透かされたことと先輩と見つめ合ったことで。前を向いて再び小さな紙に没入し始める。

 テストを解かなければならないという理由もあったがこの人と話しているとどうも一枚上手をいかれて主導権を握られる。

 一呼吸入れたかったのだ。先輩はその後も幾度か声を掛けてきたが僕は無視を決め込んだ。

 

 やがてチャイムが鳴り

「うーん、もう時間ですか。じゃあ解答用紙を集めてください」

 と眠りから覚めたおじいちゃん教諭が告げる。教室には素直な安堵の声や満足気な声が溢れた。

 ガリ勉だと思われたくないという演技も入っているのだろうが、テストがろくに解けなかったという痛恨の声も聞こえる。


 解答用紙を貰おうとすると

「シカトは良くないぞ、少年。中学校で習わなかったか」

 と先輩はすねて横を向いていた。しかたなく自分で先輩の席から解答用紙をひったくる。

 意外なことに先輩の解答用紙は殆どの空欄が埋まっていた。しかも一見した限り出鱈目などではなく正答が書き込まれているようだった。

 先輩の文字も丁寧で字間もきっちりと一定間隔にバランスが取れている。不真面目さよりもむしろ真面目さを感じる。       

 

 壊滅的というほどではないけれどところどころで空欄が目立つ僕の解答用紙を自分でもおかしいことだと思うけれど誇らしげに見せつけながら

「なんだ、先輩のほうがよっぽど優等生じゃないですか」

 と先ほどのお返しを食らわせる。

 痛いところを突かれたのか先輩は何も答えずに表情の読み取れない顔で窓の外を見つめ続けていた。

 体育でもやっているのかなと思って僕も見るが、何の変哲もない校庭があるだけで人気は全く無い。攻めるものも守るものもないゴールポストがぽつんと置かれているだけだ。

「なんでぼーっと校庭なんか見ているんですか」

「ただの暇つぶしよ」

 先輩は所在なさ気に肩にかかっている櫛がよく通りそうな艶のあるストレートヘアをいじり始めた。変な人だなあと思っていると顔だけ外が見えるよう横にしてまた突っ伏し始めた。


 先輩がやってきたのは昨日のこと。それは始業式が始まってから二週間ほどした頃。つまりクラスの皆が徐々に他人行儀をやめて気の置けない友人同士になろうとしかけている頃だった。

 一部の女子などはもう互いに下の名前で呼び合い始めていた。気の早いことだ。

 

 それまでにも朝礼で名前を呼ばれるものの一度も登校してこない先輩の噂は色々流れていた。例えばこんなふうに。

「部活の先輩が言うには留年生らしいよ。成績優良かつ素行も良かったのに突然不登校になっちゃったんだって。それになんでも一ヶ月も失踪してたとか」

「兄貴に聞いたんだけど不良連中と絡んでるらしいよ。西高のヤンキーとゲーセンでつるんでるところ見たって。喧嘩をしてるって噂もあるし」

「援交やってるらしいよ。なんかラブホから親父と一緒に出てくるところを見たって」

 散々な言われようだ。僕はそれらの噂について半信半疑だった。

 だが、何か良からぬ問題が存在していることは確かなのだろうということを感じ取っていた。

 普段は陽気な担任の高橋先生が先輩の名前を呼ぶときだけは少しだけ表情が曇るのだ。

 

 しかし日が経っても一向に姿を現さない先輩の前に噂は徐々に収まっていった。このままずっと不登校のままなのだろう、誰もがそう思っていたはずだ。

 だから先輩が突然登校してきた時、クラスは激しく反応した。おさげの髪型をして眼鏡を掛けた女子生徒が友達に尋ねている。

「あの人ってこれまで見たこと無いけど、例の人だよね」

「でしょ、リボンの色違うし」

 うちの学校では入学年次ごとにリボンの色、ネクタイの色を変えるという決まりがある。うちの学年は青。二年生は赤。青の大群の中に一人だけ赤でいると嫌でも目立ってしまう。


 おさげの女子生徒が怪訝な顔で呟いた。

「なんかムスッとしてるし、誰にも喋りかけないし怖そう」

 男子の方はというと違う意味で盛り上がっていた。

「真相を聞いてみたらどうだよ。お前」

「不登校だったんですか。援交してますか。なんて聞けるかよ。馬鹿」

 互いに軽薄に笑いながら先輩へのからかいが交わされる。

「でも結構可愛いからな、案外本当なのかもよ」

「マジかよ。こえーな」

 

 気分が悪い。大して悪意がなさそうなところが、それはそれで質が悪い。

 先輩はというとそれらの誹謗中傷が耳に入っているのか、いないのかすら表情からは分からないほど平然としていた。まああちこちで囁かれてるのだから聞こえてこないわけはないのだけれど。

 先輩の噂話が再燃したわけだが、結局誰も先輩に話しかける勇気はなく、話題の中心でありながら、プリントを渡すなどのごく事務的な接触を除いて先輩は一人で過ごしていた。

 休み時間はというと本を読んだり、おそらく狸寝入りだろうが机に顔ごとうずくまったりしていた。

 ちなみに先輩が読んでいる本は表紙からして宇宙科学関係の小難しげなものだった。多分僕が先輩から話しかけられた初めてのクラスメイトだと思う。


 四限のあとは昼食だ。大小様々なグループに別れて、机を繋げて他愛ない雑談に花を咲かせている。

 テレビの話。ファッションの話。スポーツの話。気に入らない先生の話。話題は様々だが屈託のない表情でいきいきと話している。

 一方先輩はというと昨日と同じくどのグループにも加わらず、あるいは加われず一人で黙々とお弁当を食べている。


「杉山。話し聞いてなかっただろ」

 那須から名前を呼ばれて僕は会話など全く耳に入らず先輩をずっと見つめていたことに初めて気がついた。那須とは同じ中学校出身の縁だ。

「ごめん、疲れてた。何の話だっけ」

 と慌てて誤魔化すがどうやら僕の感情はお見通しだったようだ。

「嘘をつくなよ。先輩のほうを見つめてたろ」

 他の連中が面白がって茶化し始める。

「まじかよ。昨日来たばかりだってのに早えなあ。一目惚れか」

「とっとと告白しちまえよ」

「そういえばさっきの時間テスト中になんか話してたからな。イチャイチャしてたんですか。この色男」

 事実だ。だからといって肯定するわけにはいかない。

「違う! 違うよ。お前の言っている通りさっきの時間ちょっと話したけど、あっちが急に話かけてきただけ。さっき先輩を見ていたのはそれが気になってただけ」

 僕の釈明を訝しんでどうだかなどと疑問が口にされる。否定すればするほど墓穴に嵌っているような感じだ。那須が静かな声でこう言う。

「やめとけ。危ねえよ。ああいう女は」

 

 僕は分かりきっていたけれども、なんだかとても直視したくない事実を突きつけられたようで戸惑うしかなかった。

「那須も先輩の噂、信じているのか」

「全部は信じてねえけどな。いくらかは事実だろ。あの様子じゃあな」

 たしかにそう考えても無理は無い。というかほとんど僕の考えと一緒だった。だけれども……。

「心配しなくて大丈夫だよ」

 僕の嘘にあいつは納得したのかどうかはよくわからないがそうかと言って、それでその話題はおしまいになった。

 

 周囲に悟られないように目だけ動かして先輩を見ると、もうお弁当を食べきって本を読んでいる。誰とも喋らないので食事を済ますのも速いのだろう。

 お昼休みは五十分間だ。そんなに長い時間ではない。

 けれどもその時間が今の先輩にとってはどれほど長く感じられているのだろうか。どれほど辛く感じられているのだろうか。

 想像するだけで僕まで辛くなってきそうだ。

 

 その翌日から意外にも先輩は席が近い人を中心に自分から喋りかけるようになった。しかしその内容はこんなふうだった。

「ねえ、何のために頑張って勉強してこの高校に入ったの」

「人生楽しんでる、君」

 

 こういう初対面の相手に容易には答えづらいことを突然聞いたかと思うと次にはこんなことを聞く。

 「デーヴィッド・アイクって知ってる? 元プロサッカー選手でね、彼によると爬虫類型異星人(レプティリアン)によって人類は家畜として管理、利用されてるのよ」

「私達の通信は全部NSAに傍受されてるのよ、知ってた? NSAっていうのはアメリカ国家安全保障局のことよ。日本にも青森県三沢の米軍基地に通信傍受施設があるらしいわ」

 

 皆先輩のことを持て余しているようだった。適当に答えたり、ふざけて答えたり、酷い人は無視したり。

 今も隣席の女子にハルマゲドン、日本語で言うところの最終戦争の話を振ったものの、そっけない態度をとられて寂しそうな顔をしている。

 

 そもそも留年生なので距離感を取りづらいことも影響しているのだろう。年上として接したほうがいいのか。同級生として接したほうがいいのか迷うところだ。

 先輩は諦めてまた一人で窓の外を見つめ始めて、その女子はホッとした表情になった。

「ねえ、君。杉山君って言うんだっけ。今もそうだけど、今までちらちら私の方を見てたよね」

 不意を突かれた僕は声を上げることも出来ず、弱々しく首を縦に振るしか無い。

「しょうがないか、後ろの席で煩くしてるんだもんね、それもおかしなことばかり言って。迷惑だよね」

 自覚があったことが驚きだった。あと原因はそれだけではないのだけれどもとりあえずそういうことにしておく。


「先輩はオカルトとか陰謀論とか昔から好きなんですか」

 そう尋ねると先輩の顔に最初に驚きが、次に喜びが現れる。

「そう。北海道に父親の妹、つまり叔母さんがいるんだけど、その家にそういう本がたくさんあってね。一時期とても読んでいたの」

「そういうの、信じているんですか」

 先輩はちょっと考えこんでから答える。

「どっちつかずね。信じたい気持ちもあるけれど、とても信用出来ないような情報もあったりして」

 初めてまともに相手されて嬉しかったのだろう、段々と饒舌になっていく。

「例えば、君は終末論って知ってる?」

「知ってますよ。さっき言っていたハルマゲドンとかのことでしょ」

 

 僕の答えに先輩は満足気だ。

「そうそう。あとノストラダムスの大予言とか、マヤ文明の予言とか。具体的な滅亡原因には色々あるんだけれど例えば地球温暖化による異常気象とか。あとは核戦争とかね。そうそうモヘンジョ・ダロ遺跡も古代核戦争で滅亡したっていう説があるのよ。古代インドの叙事詩ラーマーヤナやリグ・ヴェーダにも核戦争らしき記述があるしね。こんなこと受験じゃ絶対出ないけれど」

 

 そんな問題出たら困る。でも先輩は僕など全く気にしていないように続ける。

「簡単に言ってしまえばある日になったら急に世界の何もかもが終わってしまうってことなの。まあハルマゲドンみたいにごく一部の人だけ助かって新世界を生きるって場合も多いけどね。私達も敬虔なクリスチャンになって生き残らなくちゃ」

 そして先輩はテレビ番組の内容について語っているかのような気軽さでこんなことを尋ねる。

「これってとっても面白いことだと思わない」

 心底呆れながら答える。

「ちっとも楽しくありませんよ」

「そうかしら」

 先輩は首を傾げる。

「私はねちょうどノストラダムスの大予言が滅亡の時期としていた頃に生まれたの。恐怖の大王の怠慢で私は生まれることが出来たのよ」

 

 それから先輩は堰を切ったようにノストラダムスの大予言について語りだす。

 正直言って初めて聞く単語が多すぎたのと、眉唾ものの話ばかりだったので頭にはほとんど入ってこなかった。

 恐怖の大王というのが一九九九年の七月に世界を滅ぼすと言われていたという事は分かったが。


 一段落ついたところで僕は最初から思っていた疑問を口にする。

「でもノストラダムスの予言も、マヤの予言も当たらなかったじゃないですか。それぐらいは僕も知ってますよ」

 先輩は笑って言う。

「しょうがないじゃない。終末論は決して実証されえないのよ。終末論が本当なら、本当だと分かる前に死んでしまうから」

 素直な感想を漏らす。

「なんだかとてもずるい話ですね」

「よく言われている話よ」

 そう答える先輩の顔は曇りのない笑顔で、最初に感じ取った暗い影が錯覚だったのではないかと感じるほどだ。


「そもそも知ってどうするんですか。ノストラダムスやマヤの予言を一介の高校生にすぎない僕達が変えられるとでも言うんですか。そんなの馬鹿馬鹿しいフィクションですよ。そんな大変なことを変えられるのは国連なり自衛隊なり、とにかくすごく頭が良くて力を持っている大人たちが運営している機関です。僕たちは何にもできやしない、指をくわえて見ているだけだ。違いますか」

 僕の意見など意に介さないように先輩が言う。

「何を言っているの?」

 その言葉が意味するところが分からなくても思わず僕は小さくえ、と漏らす。

「回避なんてしなくていいじゃない」

 先輩の表情はさきほどと変わらない曇り一つ見て取れない笑顔のままで、僕は最初の印象が錯覚ではなかったことを痛感した。この人と話しているとどう答えたら良いのか分からなくなる。熟慮して言葉を選ぶ。


「先輩は死ぬのが怖くないんですか」

 先輩は少し黙って、それには答えずに話題を変える。

「学校楽しい?」

「まあまあですね」

 それは偽ざる心境だった。青春を謳歌しているというわけではないけれども学校生活には今のところ概ね満足している。先輩は笑って答える。

「凡庸な答えだね」

「そうですね」

 自分でも呆れるぐらいの普通さだ。


「先輩は?」

 言い終わってすぐ不用意な発言だと気がついた。だが先輩は僕の質問には答えず,頬に細くて白い手をつきながらこう告げる。

「杉山君。君に明日、面白い物を見せてあげるよ。この予告はこのクラスで初めて私とまともに話してくれた君への特別大サービスなんだからね。感謝しなさい。だから明日はかったるいからサボろうとなんて思わないこと」

「先輩じゃないんだからそんなことしませんよ」

 この会話でまともに話したことになるのかなと思わないでもなかったが、嬉しそうな先輩の顔に素直に期待しておくことにした。


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