80話 マリーは願いを叶える(前編)
突如、膨れ上がった想像を絶する私の魔力。そしてそれに応えるかのように生まれた、黄金に輝く攻略本。まるで神話の一節のような光景を目撃した者達は、揃って言葉を失っていた。黙々とページを読み始めた私を、皆が見守っている。
「マ、マスター。今のは……?」
その静寂を破ったのは頭の上にいるシルキーだ。
妖精は声を震わせながら、私の髪をクイクイと引っ張った。
「んー、説明が難しいけど、シルキーは絶対喜ぶと思う」
「わっちが? 何故ですの?」
「こういうことさ」
同時に、私は攻略本から新たな魔法を取得する。
これは現状を打開し、皆を守り、村を助け、大地を救う術であり――
私がお姉ちゃんを幸せにする、とっておきの方法さ。
「こ、これは……むほーっ! 幸せですのー!!」
「ほらね」
シルキーは「うへへ」と奇声をあげながら作業を始めた。この魔道具は攻略本がローズの為に生み出した私だけの力だ。今まで知りえなかった新たな『衣』の知識を得て、シルキーは嬉しさで昇天しそうな勢いである。だが人のことは言えない。ローズの喜ぶ姿を想像して、私もさっきから口元が緩んでいるからね。
攻略本によって活路は得た。
あとは私が上手く実行するだけだ。
「あたしも手伝うわ。マリー」
「お姉ちゃん?」
攻略本を読んでニヤつく私へ、マリーベル専用大籠が差し出される。
ローズはびっしり文字の埋まったのページを指差して、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「こんなにたくさんの内容をすぐに暗記出来るの?」
「……た、戦いながら読む」
実のところ、今回のミッションは結構手順が多いのだ。お馬鹿なのを認めるのが悔しくて、ちょっぴり意地を張ってみたけれど……うーん、やっぱり難しいよね。
動揺のせいで私のエルフ耳がプルプルと振動を始めたよ。
ローズはそんな私の耳を両手でつまみ、震えをピタッと止めてみせる。
「もう、無理しないの。あたしが籠の中で読んであげるから」
そしてクスクスと微笑んだ。
ローズはすでにエルフ族語がある程度、読めるんだ。私達は互いに種族の文字を『コーカン』したからね。
「だから一緒に……ね?」
「そうだね、お姉ちゃんがいれば百人力だ!」
私は意気揚々と籠を背負い、ローズは攻略本を持って定位置にスタンバイ。
ローズが読み上げ、私が実行する。これでペコロン姉妹に隙はない。
シルキーも準備が出来たみたいだ。頭の上で「出来ましたの!」と、ピョンピョン跳ね回る妖精から緑色の布を受け取ると、私は意味ありげに口角を吊り上げた。
「皆、心配しないで。これから全てを終らせてくるよ」
私の言葉に、皆が驚愕の表情を浮かべる。この絶望的な状況をひっくり返すと簡単に宣言されて、「もう何が何だかわからない」と揃って頭を抱えていたよ。
その中でシール達だけは、のほほんと笑顔を返してくれたんだ。
「ボス、ローズ。頑張って」
「お二人のことを信じていますわ」
「ギャギャ、マリーベルとローズなら出来るゴプゥ」
仲良しの三人と拳をごっつんこさせ、私はいざアラクネーへと向き直る。
向こうも、ちょうど痺れを切らせたところのようだ。私達を囲む蜘蛛の軍団が、向こう岸にいる本体から「シャシャーッ」と号令受けて、前進を始めようとしていた。
「本当に……いつもすまない、マリー君」
敵と対峙する私へ、そう呟いたのは村長だ。
私は視線をアラクネーに向けたまま、背後にいる村長に「へへへ」と笑ってみせる。
「問題ないよ。それに後で皆には『コーカン』で準備してもらうからね」
「準備……? 何をだい?」
「決まってるじゃん――」
私は今からお姉ちゃんの為に、アラクネーのお肉をいっぱいゲットするんだよ。だったら、その後は何をするかわかるでしょう?
「お肉の宴さ」
ギャングリーウルフを持ち込んだ時のように。ゴルゴベアードを倒した時のように。ローズが初めて火種魔法を覚えた時のように。ゴプリン族が引越しを終えた時のように。皆で一緒に、笑いながらお肉を食べるのさ。
「ああ、任せてくれ。『コーカン』として盛大な宴を用意するよ」
ヒョロガリもやしの村長の言葉に、村中の皆が笑顔で頷いた。
それを合図に、私はシルキーから受け取った布に魔力を流し始める。
緑の布は、私の力を得るとその面積をぐんぐん広げていく。
「いくよ、お姉ちゃん」
「了解よ、マリー」
そして戦闘モードの魔力を纏い、私は巨大な布を振りかぶった。
マリーベルは反撃を始めるよ!
バチバチバチッ!
その瞬間、雷が弾けるような音が川原に響いた。
同時に私達を包囲していた黒蜘蛛たちが宙を舞い、次々と対岸にいるアラクネーの元へ弾き飛ばされていく。原因はもちろんこの私。手段はシルキー製の緑の布である。
私の手に握られた布は、まるで巨大なヘビのように蜘蛛の大群へと伸びていき――
「「いっけぇー!!」」
バチバチバチッ!
私とローズの声に合わせて、布に触れた敵を弾き飛ばす。
「次はあっちよ」
「了解。うりゃー!」
ローズの指示に従い、私は布をギュイーンと高速で伸ばすと――
バチバチバチッと、捉えた敵を向こう岸へ押し返した。
この新アイテムは、私の意志によって、大きさや動きを自由自在に変化させることが出来るんだ。もちろんシルキー製なので防御力はカンスト状態。故に触れた敵は、私の魔力のせいでバチッと弾け飛んでいくという寸法さ。
けれど、この効果はあくまでオマケだ。グーパンでは対処しきれない数の敵を、サクサクと向こう岸へ押し戻す為に、応用しているに過ぎない。
この布が真の力を発揮するのは――この後だ。
バチバチバチッ!
緑の布はどこまでも広がり、黒蜘蛛の大群を容易くぶっ飛ばしていった。
おまけにローズの指示はとても効率が良いんだ。おかげで、あっという間に全ての分身体を向こう岸へ送り返すことが出来た。
「終ったよ。お姉ちゃん」
「オーケー、第二工程へ移るわ。向こう岸に渡ったらあの呪文を唱えるのよ。皆を巻き込まないように注意してね」
「あ、そっか……ちゃんと手加減できるかなぁ」
やべ、皆の安全を忘れてたよ。
私の苦手な『手加減』が加わり、一気に作戦の難易度が跳ね上がったね。
すると背中のローズから「大丈夫よ」と頼もしい声が届けられた。
「なら、あたしが調整するわ。マリーは何も気にせずに思いっきり唱えて」
そして私の肩に手を置き、魔力を同調させる。
魔力的に繋がることで、ローズは私と同じ黄金の輝きに包まれた。
へへへ、さすがお姉ちゃん。
これなら絶対に成功するね。
私は満面の笑みを携えて、川の向こう岸までジャンプする。
着地した場所は弾き飛ばされた分身体達の中心地点――本体であるアラクネーの目の前だ。
「ギャシャシャー!!」
20メートルを超える巨大な蜘蛛が、再び両腕に鋭利な剣を作り出し、着地した私を切り裂こうと刃を突き出した。でも――遅いよ。
私は魔力を込めて、起動呪文を唱える。これはマゼットさんの授業で覚えたそよ風の魔法であり――同時に、この辺一帯をのっぺらぼうにしてしまった封印されし呪文だ。
「初級風属性魔法」
そして私を中心に巨大な竜巻が発生する。
強烈な風の渦は、百を超える分身体も、巨体を誇るアラクネーの質量も、軽々と空へ巻き上げた。竜巻の威力が過去の授業を遥かに上回ったから、ちょっと焦ったよ。こりゃ、ローズがいなかったら間違いなく皆を巻き込んでいたね!
私の初級風属性魔法で、全ての敵が遥か高みへ打ち上げられたのを確認すると、ローズは攻略本に刻まれた情報を読み上げる。
「さあ、マリー。次は第三工程よ」
ローズの指示を受け、私は二段ジャンプで空へと駆けた。
そして宙を舞う蜘蛛の軍団の真下へ辿り着くと、空中で例の布を展開する。
「ついに、この風呂敷の出番だね」
深緑の布に刻まれているのは、つる草がモチーフになった白い唐草模様。
そう、この布の正体は――
【名 称】
マリーベルの大風呂敷
【概 要】
お姉ちゃんの為に、食材を逃さず包み込むマリーベル専用風呂敷。
対象に合わせて風呂敷のサイズも伸縮自在――故に全ての食材を逃さずゲットすることが可能になる。マリーベルの魔力を含んでいるので、もちろん防御力は最高級。包み込まれた敵は、血の一滴も残さずお姉ちゃんへ捧げられるのだ。
又、捕獲対象を限定することで『ある用途』で使用することが可能となる。
私の黄金の魔力によって、空中でどんどん面積を増していく風呂敷は、やがて川原を覆うほど広大になり、天空に打ち上げられたアラクネー達を余すことなくキャッチする。
広げた大風呂敷は、もちろん――畳むしかないでしょう!
空中で浮遊する風呂敷を魔力で操り、私は獲物達を四方から包み込んだ。
「むむっ、抵抗してるな」
風呂敷の蓋を閉じた瞬間、中にいた分身体の大群が消えさり、散らばっていた魔力が本体へ集中していくのを感じる。奴は媒体にしていた体液も回収したようだ。さっきより体も一回り大きくなっている。
アラクネーは自身の最大の力を使って、大風呂敷から脱出するつもりなのだ。
「負けないよ!」
私は浮遊する大風呂敷の上に着地すると、両手を突き出してさらに魔力を込めた。
大きく広がっていた風呂敷が、ギュンと縮小し、包み込んだ大蜘蛛を締め付けていく。アラクネーは布の牢獄を破ろうと内部で暴れまわっていた。私と奴の一騎打ちの力比べだ。
もちろん、私の圧勝さ! と言いたかったけれど――
「きゃー、きゃー、さすがわっちの作品なのです! マスター、今のシーンをもう一回見たいですの! わっちはアンコールを希望するのです」
頭の上にいる衣の妖精が五月蝿くて集中できないよね。
何もかもが終ったら、アナンダとのシルキートレードに応じてやろう。
こうして思ったより手こずったけれど――
「よし、捕獲完了だ!」
アラクネーは大風呂敷によってカッチカチに締め上げられ、身動き一つ取れない状態になった。
中からチカチカと点滅した赤い光が漏れ、風呂敷全体がブブブと振動しているのは、恐らくアラクネーが自爆しようとしているのだろう。だが、このマリーベルの大風呂敷はそれを強制的に押さえつける。私の魔力によってギッチギチに捕獲された対象は、このままお姉ちゃんへプレゼントされる運命にあるのさ!
これでアラクネーの自爆は封じた。除草剤が散布され、大地が死滅する心配はもうなくなったのだ。あとは大蜘蛛に止めを刺せばそれで終了――ではないよ。
「いよいよ次は第四工程よ。大変だけど、頑張ってねマリー」
「大丈夫。ちゃんと美味しく仕上げてみせるよ!」
だって私の目的はただ一つ。大好きなお姉ちゃんを喜ばせることだからね。
ここから先は、その為だけの工程さ。
そして私は、攻略本が与えてくれたもう一つの魔法を発動した。




