76話 マリーは怒りを覚える(中編)
アラクネーの分身体との攻防を繰り返し、私達はついに近くの森まで辿り着いた。
隠れる所の無い平原に比べて、森は遮蔽物が多く地の利はこちらにあり――と思っていたが、そうは問屋が卸さない。なぜなら相手は蜘蛛の魔物だからだ。
奴等はスルスルと木へ登ると、枝と枝を伝って縦横無尽に動き回る。おかげで前後左右だけでなく頭上にも注意が必要になり、厄介さが更に増していた。私も木の上を飛び回って敵を撃破していたけれど、あまりに数が多くて防御網を突破されてしまったよ。
「ごめん、一匹抜けた!」
その蜘蛛のターゲットになったのはゴプララだ。
頭上から巨大な蜘蛛が少女に襲い掛かったその時――
「危ねえ、ゴプララ!」
「ゴプゥ、ワット君」
ワットが魔法で石つぶてを投げて魔物を撃退したのだ。使ったのは土属性の初級魔法カチン――今までの勉強の成果が出たね。更に、倒れこんだ少女をすかさずキャッチ。その姿はゴプララ専用クッションの面目躍如である。
「ギャギャ、ありがとうゴプゥ」
「何言ってんだ。俺がゴプララを守るなんて当たり前だろ?」
キリッとした表情でそう言うと、ワットはゴプララを強く抱きしめた。ゴブリンそっくりの乙女も、甘えるように少年の胸へ顔を埋めている。頬を赤く染めて、「ギャギャ」と小さな声をあげると、ゴプララは潤んだ瞳でワットと見つめあっていた。
「ワットくぅーん」
「ゴプララ……」
そして発生する大量のハートマーク。
するとローズが突然、大声で指示を出したんだ。
「みんな、それを使うのよ!」
その言葉を受けたのは守られていた女性や子供達。みんなはローズの意図を一瞬で理解すると、瞳をキュピーンと妖しく光らせ始め。そして――
「「くらえー!!」」
なんとハートマークを手に取って、魔物に投げ始めたのだ。
もう一回言うよ?
ハートを投げたのだ!
シュルル。ザク!
まさに手裏剣の如く突き刺さったハートは、敵を安々と屠る攻撃力を発揮する。
特に子供達は、この冬を通して雪合戦をしまくったので投擲はお手の物。投げたハートがズバズバと命中し、四方の敵をあっという間に片付けてしまったのだ。
この世界におけるハートマークの利便性に、私はびっくり仰天である。
こんなのユグドラシルも教えてくれなかったよ!
「あのハートって、ああやって使えるの!?」
「そうよ。あたしもよくお母さん達のハートを借りて遊んだわ」
「なにそれ、面白そう。私もやってみたい!」
「駄目よ、マリー。今は戦闘中なの。余計なことを考えないで」
またもや叱られた。ちくしょう、後で絶対に投げて遊んでやる。
こうして大量の飛び道具を得たことで、私達は苦戦すると思われた森の中もスムーズに駆け抜けることができた。ワットとゴプララのナイスアシストのおかげである。
「ギャバッ! む、娘にはまだ早い……早いゴプ!」
でも蜘蛛と一緒にゴプリダもダメージを受けてたよ。
なんでだろう?
森を抜けた私達は川沿いに入り、最短ルートでラーズ村へ避難する予定だ。
今のところ大きな負傷者は出ていない。小さな傷はもちろんあるが、ローズによってすぐに治癒されている。追っ手の数も、森を抜けた辺りから明らかに減り始めていた。このままアラクネーと距離を開けば、いずれ魔法の有効範囲から外れるだろう。そうすれば奴は私達のことを見失うはずだ。事は順調に進んでいる。
唯一つ、心残りがあるとすれば……
「森が……枯れていく」
蜘蛛達を倒すということは、同時に除草剤を散布させてしまうということ。
最初の平原は所々がはげてしまい、駆け抜けた森の木々はしわしわに枯れていた。アラクネー本体ほど広範囲ではないが、分身体達の放つ除草剤の効果は確実に森を蝕ばんでいく。見るも無残な光景に、私の胸はズキンと鈍い痛みを覚える。
これから何十年もの間、この場所に植物が生えることはないのだ。
平原も森も、皆との思い出がたくさん詰まった大事な場所なのに――
そう思うと、じわりと涙が溢れてくる。
他の者も同じ気持ちなのだろう。自分が生き残るためとはいえ、大地を死なせてしまった事実に辛い表情を浮かべているよ。
悔しい。悔しいよ。めちゃくちゃにされた交換所を目にした時と同じ。やるせない怒りが胸の中でぐるぐると渦巻き、私はギュッと拳を握り締めた。
川沿いに入ってから私達の移動速度はみるみる上がっていた。
蜘蛛の数が減ったので、私一人でも対処できるようになったのが大きいだろう。皆が前へ進むことに集中できたことで、早々にニョーデル村の近くまで撤退を完了していた。今いるのはゴプリン族が前まで暮らしていた集落の跡地だ。
私はそこで最後の蜘蛛にエルフパンチを放つ。
「これで終わりだ!」
真っ黒な魔法生物は「ギャギャシャーッ」と断末魔をあげながら粉々に砕け散る。
これで追っ手は全て片付き、アラクネーは私達を追う為の目を失った。
あとはラーズ村まで逃げ切るだけだ。
「これでこっちはもう安心だ」
「そうね。マリーが頑張ってくれたおかげだわ」
「ううん、お姉ちゃんも凄かったよ」
攻撃魔法で敵を蹴散らし、喧嘩するシールとラシータを黙らせ、ハートの機転で数多の蜘蛛をなぎ払い、そして何度も回復魔法で皆を癒している。正直、グーで殴るしか能の無い私より大活躍しているよ。
「うふふ、当然よ。だってあたしはマリーのお姉ちゃんだもの」
ローズはそう言って誇らしそうに胸を張った。
「アナンダさんの方も無事だといいけれど……」
「あいつは大丈夫だよ。そこそこ強いし、神聖剣だってあるんだ。その気になればアラクネーから逃げぐらいわけないさ」
一応、勇者(笑)だしね。
そうやって軽口を叩いていた私達の前に、突然――
ひゅー、ドスン!
空から黒い塊が飛んできたのだ。
「な、何!? またアラクネーの魔法!?」
私はローズと共にすぐさま集団の最前列へと駆けつけた。
飛来した何かは、私達から少し離れた場所でもくもくと砂煙を上げている。
やがて煙が晴れ、中から現れたその正体は――
「アナンダ!」
「クッ……逃げろマリーベル」
そこにはボロボロになったアナンダが倒れていた。
神聖剣を握った腕は、あらぬ方向へ曲がり。全身からは焼け焦げたようにプスプスと煙を上げている。おまけにゴプリダと同じように腹部を貫かれ、大量の血が流れ出していた。
アナンダの無残な姿を前にして、みんなの思考が停止する。私も一瞬、何が起こったのかわからなかったよ。その中で唯一、行動を始めたのはローズだった。
「すぐに回復するわ!」
そしてアナンダへ駆け寄り、すぐにゴスペルヒールを唱えたのだが――
同時に、シールの耳がピクピクッと反応する。
「んんんっ、駄目ローズ。逃げて!」
シールが声を荒げたその瞬間。
ローズとアナンダのいる場所が巨大な影に包まれ。そして――
ズドン!
空から落ちてきた巨大なボールが二人を押し潰した。
目の前に現れたのは20メートル級の魔物、村喰いアラクネー。キャシャシャと鋭い牙をむき出しにして、大蜘蛛は着地と同時に私達へ激しい威嚇を開始する。
でも私にはそんなの目に入らなかったんだ。
「嘘……お姉ちゃん……?」
たった数秒の間に起きた出来事が信じられずに、私は気の抜けた声を上げてしまう。
「おねーちゃん。おねーちゃん!」
何度呼んでも、ローズの返事は無い。
「おねーちゃん! おねーちゃん!!」
何度叫んでも、ローズの姿は無い。
「おねーちゃん!!」
さっきまで笑っていたのに。
私のお姉ちゃんだと胸を張っていたのに。
嘘だ。嘘だ。嘘だーッ!
ぷちん。
「そこをどけぇ!」
私の中で何かが弾けた音がした。




