74話 マリーは救出を始める(後編)
繭の中はがらんとした広い空間になっていた。外からの光が透過しているらしく、内部はうっすらと明るい夕日色に染まっている。踏み込んですぐに上を見上げると、捕まっているニョーデル村の人々が視界に写った。皆は上半身を糸でぐるぐる巻かれて、天井から吊るされている状態だ。まるで真っ白な蓑虫みたいだね。
私は踏み込むと同時に吊るされた人々に呼びかける。
「助けにきたよ。みんな!」
「その声は……マリー君か?!」
それぞれが声を上げる中、真っ先に返事をくれたのは、貧弱なツクシに戻っている村長だ。捕まったせいで自信を失い、ムキムキの筋肉も失ったようである。
「待っていて。すぐに降ろすから」
「ゴプリダを先に頼む。血を流し過ぎて、非常に危険な状態なんだ」
「ギャギャ、ゴプゥ達はこっち。早く父ちゃんを助けて欲しいゴプゥ」
ゴプララの悲痛な声に誘導されて来てみれば、吊るされたゴプリダの足元には大量の血が滴り落ちていた。声を掛けてもほとんど反応がないことからも、ゴプリダの容態は切羽詰っている。
私は彼の位置を確認すると、アナンダへ手を差し出した。
「ほら、神聖剣をさっさと貸してよ。急いでるんだからさ」
「くそ、絶対に折るでないぞ。そして必ず返すのだ」
「わかってるって。それよりちゃんとキャッチしてよね」
嫌がる勇者から剣をひったくり、私はゴプリダへ向かって大きくジャンプした。
足場の無い空中もなんのその。自由自在に向きを変え、望んだ場所への移動を可能とするマリーベル道場の必殺技その一。その名も――
「うりゃ。マリーベル流二段ジャンプの術!」
私は空中を蹴って蓑虫の真上へと到達し、神聖剣で天井の糸をスパッと切り裂く。
そして、ひゅーっと落下したゴプリダをアナンダが下でキャッチする。
「……何度見ても非常識な技だ」
アナンダは苦々しい表情をしていたけれど、二段ジャンプの術はこの場で大活躍しているよ。あっちでシールがピヨコピョコ飛んで、皆をどんどん降ろしているしね。ちなみにユグドラシルの神聖剣を使ったのは静かにスパッと切れるからだ。私なら素手で千切れるだろうけど、多分うるさくて揺れるだろうから却下された。
私はすぐにゴプリダへ駆け寄ると体の糸を切り取り、傷口を確認する。
「うっ、ひどい……」
思わずそう零してしまうほど、ゴプリダの傷は深かった。
強く縛ってあったシルキーの布を外すと、腹部から背中には大きな穴が貫通している。既に血も大量に流れており、もうゴプリダの命は風前の灯だ。
「これは……貴様の姉の炎系回復術でも、もう間に合わんぞ」
アナンダはその傷口を見ると、眉間の皺をグッと寄せる。
するとゴプリダは浅い呼吸を繰り返しながら、私の服の袖をギュッと握った。
「……マリーベル……頼みがあるゴプ」
「ゴプリダ。しゃべっちゃ駄目だよ。今、お姉ちゃんが治してくれるから……」
それでもゴプリダは話すことを止めない。
「ゴプリン族とニョーデル村のみんなを守って欲しいゴプ。ゴプに『コーカン』出来るものなら何でもやるから……だから……」
彼は涙を流しながら、最後の力を振り絞って願いを口にする。
そんなゴプリダに私は優しく微笑み返した。
「私が皆を助けるのにゴプリダが『コーカン』をする必要はないよ。だって――」
突然現れた私とローズを優しく受け入れてくれたニョーデル村。
他のエルフたちから化け物と呼ばれる私を、ただの子供として扱ってくれた大人達。
毎日のように誘いに来て、面白い遊びをいっぱい教えてくれた仲良しの子供達。
もちろん、その中にはゴプリン族の皆だっているよ。一緒に石磨きを競い合った。石の家を作った。かくれん棒で覗きをしたり、冬の川に何度も飛び込んだ――
ギャ、ギャ、ギャ。
そうやって何度も何度も共に笑った思い出は、孤独だった私にとってキラキラの宝物だ。
だから私はゴプリダの手を強く握り、そのことを伝えるんだ。
「だって、もう貰ってる」
新しく『コーカン』する必要なんてないさ。
本当にたくさんのものを私は皆から貰っているんだから。
「安心してゴプリダさん。絶対に治してみせるわ」
するとローズが私達の元へ駆け寄り、ゴプリダへユグドラシルの聖杖をかざす。
両目を閉じて精神を集中させると、彼女は起動呪文を唱えた。
「神聖系回復術!」
エルフ耳の形をした杖から黄金の光が迸り、ゴプリダの体に空いた大穴をみるみるうちに塞いでいく。失われた血も新たに創造され、青ざめていた顔色も徐々に赤みが差していく。失われた細胞が見事に再生されていく光景に、皆が息を飲んで魅入っていた。
特に一番近くにいたアナンダは驚愕の表情を浮かべている。
「この歳で神聖魔法だと?! 信じられん……貴様ならまだしも、姉まで規格外とは!?」
「ギャギャ、信じられんゴプ。傷が……綺麗になったゴプ!!」
「これはマリーのおかげよ。魔法自体は発動できるようになったけど、ゴスペルヒールはコントロールがとても難しくて、あたしの腕ではまだ使いこなせないの。ここまで完璧に治せるのは『コーカン』したユグドラシルの聖杖のおかげだわ」
優しい光を放ちながら、ローズは柔和な笑みを私に向けて「もう大丈夫」と呟いた。
私はその微笑に頷きで答え、残りの皆の救出を開始する。
ピョコピョコ、スパッスパッ!
二段ジャンプで方向を変え、次々と糸を切り落とす。解放された人たちがキャッチする役をしてくれるので、私の飛び回る速度も徐々に速くなっていく。
「あまり力を出しすぎてはいけませんのマスター。大量に魔力を放出するとアラクネーに気付かれる恐れがあるのです」
私の頭の上にいるシルキーが口酸っぱく忠告してくる。
この後、この大人数で遮蔽物の無い平原を駆け抜けねばならないのだ。今ここでアラクネーに気付かれるのは非常に厄介だ。だから慌てず、静かに、落ち着いた行動を心がけるのさ。
「大丈夫。マリーベルは冷静沈着な女だよ」
「その調子ですの。何があっても動揺は厳禁なのです」
「シルキーこそ、いつもみたいに叫んだりしないでね」
そんな軽口を叩きながら、私は一旦地面へ降りて現状を確認する。
ピチョン。
シール達の方は、ほとんど助け終わったみたい。
アラクネーの除草剤の話を聞いて、皆は悔しそうに俯いていたよ。
ピチョン。ピチョン。
でもまずは脱出が先決だ。大籠に入れてきた剣や弓、そしてシルキーの草原色フードマンを全員に配り、カシーナさんが手はずを整えている。中でも男達は武器を取ると瞳に炎が宿り、背筋もピンと伸び始めていた。大切なものを守るという決意が、背中から溢れていて、頼もしい限りだね。
ピチョン。ピチョン。ピチョン。
……なんかさっきから水滴が頭に落ちてくるなぁ。何の水だろ?
「マ、マ、マ、マスター……」
私の頭の上で水滴まみれになったシルキーがひどく怯えた声をあげる。
「どうしたの、シルキー?」
「迂闊でしたの。ここは……この場所は……例のあの方の……」
そう言いながら、シルキーはガタガタと震える指で天井を指し示した。
私が顔を上げると、また一滴の水がピチョンと鼻先に落ちてくる。
その先にいたのはモロ出しになった一匹のヘビの王。
「マジか。マジでか! 神聖魔法をこの目で拝める日が来るとは思わなかったぜ」
天を見上げた私とシルキーの真上でぷらんぷらんしている彼の名はマジル。そして炸裂しているのはいつものお家芸。改めて自分の足元に目をやると、私がいる場所は黄金の水溜りの中心だった。
周りで獣人女子たちがウッホウッホ舌なめずりを繰り返し、ゴプリン族が「汚い、汚いゴプ!」と騒ぎ立てているが、私とシルキーの耳にはもう届いていない。
マスターと妖精は、抑えていた魔力と声量を解放して叫ぶのさ。
「「プギャーッ!!」」
こうして私達の存在はアラクネーに気付かれたのだ。




