72話 マリーは戦いに備える
潜伏していた森を通り抜け、私達はカシーナさんの案内で村喰いアラクネーのいる平原へと辿り着いた。ここから領都まで続くという広い野原は、見渡す限り起伏の少ない地形になっている。私も何度かここで勇者ごっこをしたが、ここは隠れる場所が少ないんだ。
だから私達は少し離れた森の中で巨大蜘蛛の様子を伺っている。
地面にちょっぴり顔を覗かせているのはアラクネーの黒い頭と胴体。そしてドーンと存在感を主張しているのは巨大でまん丸な真紅のお尻だ。時々「キャシャシャーッ」と鋭い鳴き声が聞こえてくるんだけど、それはもうすぐ脱皮に入る合図らしい。
うーん、この距離で見ると本当にボールみたいだね。
するとシールが尻尾をピンと張って提案する。
「思いついた。ボスが蹴飛ばして、あいつを遠くへ追い返す作戦はどう?」
「ならぬ。中途半端なダメージでは傷口から除草剤が零れ落ち、被害が拡大するだけだ」
アナンダは出た案を即座に否定する。
ならば……と私も思いついた対策を伝えてみた。
「あいつが脱皮している最中に攻撃したら駄目かな?」
「魔物は脱皮の際、周囲への警戒をむしろ普段より高めている。襲撃を受けることに関しては特に敏感だ。おそらく、一か八かにもならぬだろう。そのような稚拙な策には賛同しかねる」
アラクネーを夏場に仕留めるという対策は、暑さで動きと思考の両方が鈍るからこそ使える方法なのだ。脱皮の最中は、むしろその逆。魔物は感覚が非常に鋭敏になっているらしい。
「特に今回の場合は、一度の失敗が取り返しのつかない事態になるのだ。慎重にことを運ぶのならば、やはり村を捨てるのが正しい選択であろう」
けれどその選択に、誰一人として納得はしていない。
数日間の一時的な避難ならかまわない。だが相手は気まぐれな魔物だ。いつ移動するかなんて保障されていない。下手をしたら、ここに住み着く可能性もある。その場合、この周辺でアラクネーの討伐が可能なのは夏だけだ。
だが、もしも領主軍が失敗したら? 来年まで待つの?
そんな運と他人任せになんて出来ないよ。だって私はニョーデル村が大好きだもん。
だから皆と一緒にアラクネーを何とかする方法をギリギリまで考えるのだ。
「そうだ。攻略本!」
私はすぐに鞄から本を取り出すと、神様に祈りを捧げる。
「アラクネーを安全に倒す方法を教えて……」
でも本が白く輝くことはなかった。
この攻略本は『エルフ族の章』。だからエルフ族に可能な解決策を私に与えてくれるんだ。そして光らないということは……エルフ族には解決不可能ということ。
その事実に、私はエルフ耳をへにょへにょんとさせる。
「そんなに気を落とさないで」
「お姉ちゃん……」
ローズは私の肩にそっと手を置いて元気付けてくれる。
「あのね、マリー。あたし……」
そして時々、何かを言いたそうに口を開くんだけど、「やっぱり、いいわ」と口を噤む。お姉ちゃんもいろいろ考えてくれているみたいだ。
「――ならぬ。――却下だ。――危険過ぎる」
アナンダはそうやって何度も皆の意見を否定していた。
そんな時、私はふと思ったんだ。
「ねえ、何でアナンダは協力してくれるの?」
「何だ。藪から棒に」
「だってアナンダは、あのエルフ族じゃん」
偏屈で引きこもり、変化を嫌い他との関わりを嫌うのがエルフ族。
私は別としても、アナンダがこんなにニョーデル村に協力的なのが正直信じられないよ。
するとアナンダはドヤ顔で、シャキーンと神聖剣を天にかざしたんだ。
「ふん。我はエルフ族の勇者だからな」
「そっかぁ。ご病気だもんね」
「貴様、喧嘩を売っておるのか」
アナンダは私をキッと睨みつけて、額に青筋を浮かべる。
「だいたい、この村の者は我を全裸だ変態だと好き勝手呼びおって、勇者の偉大さを何一つ理解しておらぬ。おまけにお供え物だと言って食料を渡してきたり、何度断っても無理やり我を聖水風呂へ連れて行くのだ。馴れ馴れしいわ。目の前で漏らすわ。散々な目にあったぞ。ここは本当にお節介な村だ」
ぷりぷり怒っているみたいだけど、なんだかんだ私の知らないところで村人たちに構ってもらってたんだね。やがてアナンダはニョーデル村での思い出を語り終えると、少し照れくさそうに口を尖らせた。
「だがしかし……思ったほど悪くはなかった。我が気まぐれで協力してやろうと考える程度にはな」
「なら、皆とアナンダでお節介の『コーカン』だね」
「ふん、またそれか。この『コーカン』狂いめ」
眉間に皺をギュギュっと寄せ、口調も相変わらず憎たらしかったけれど――
僅かに上がった口角から漏れる声色は、ほんのりと柔らかかった。
アラクネーの様子を観察しているうちに太陽も随分と傾き、もうしばらくすれば夕日が茜色に輝く時間帯へと突入する。アナンダの見立てでは、ちょうど日の入り頃に脱皮が始まるとのこと。
話し合いも一旦ここまで――
まずは捕まった皆の救出作戦を実行するのだ。
「いいか、マリーベル。万が一の場合、奴の気を引き付けるのは我の役目だ。貴様は絶対に手を出すでないぞ」
「わかってるよ。私は出来るだけ攻撃せずに皆を守ればいいんでしょう」
良いアイディアが無い以上、今回の戦いは討伐ではなく撤退戦だ。
作戦開始はアラクネーが脱皮を始めると同時。繭の牢獄から皆を救出し、そのままラーズ村まで避難する予定だ。その際、私は集団のしんがりを務め、アラクネーが魔法で追っ手を放った場合に対処する。少々、行き当たりばったりな作戦になるが、時間が無い現状ではこれが限界である。
立案者であるアナンダは、情報の少なさを嘆いて悔しそうな顔を浮かべていた。
「せめて繭の内部の様子を把握出来れば随分と違うのだが……」
するとローズがハッと何かを思い出したんだ。
「ねえ、マリー。もしかしてシルキーさんは――」
その言葉で私も気付く。シルキーは出発前にマゼットさんに預けたんだ。村でも見かけなかったし、一緒に繭の中に捕まっていてもおかしくない。
私はローズに相槌を打つと、起動呪文を唱えた。
「おいでませ、シルキー!」
ボフン。と煙が上がり、シルキーが再召喚される。
手のひらサイズの妖精は、瞳一杯に涙を溜めながら叫んだ。
「お、お、お待ちしておりましたの。マスター!」
やっぱりシルキーも一緒に繭の中に捕まっていたらしい。私の顔に抱きついて盛大に泣き始めたよ。
「あれ? なんかシルキーから変な臭いがするよ」
「いろいろとありましたの……」
シルキーのおかげで繭の中の様子も正確に把握出来た。捕まった者は蜘蛛の糸でぐるぐる巻きにされて放置されているそうだ。糸はかなり頑丈で、自力での脱出はやはり難しいらしい。
「皆に怪我はない?」
「ほとんどの方は無傷ですの。皆様はマスターと『コーカン』したわっちの服を着ているのです。魔力を抑えた劣化版の服とはいえ、鉄の鎧並みの防御力はありまから」
もしも服を『コーカン』していなかったら、きっと怪我人が続出していただろう。アラクネーは『生きてさえいればいい』という程度にしか思っていないのだ。故に相当、荒っぽい誘拐の仕方だったらしい。
「ただゴプリダ様の容態が危ういのです」
「ゴプリダが!?」
「イズディス村長を庇って攻撃を受け、大怪我をされています。わっちが布で縛って応急措置を致しましたが、あまり長くはもちませんの。早急に回復魔法が必要なのです」
回復魔法といえばローズだ。皆の視線が集まると、お姉ちゃんは「あたしに任せて!」とユグドラシルの聖杖をかざしてみせる。
そしてシルキーは続けてもう一人の危機を伝えた。
「あとマジル様が大変なことに……」
その言葉にシールが「父さんが!?」と激しく動揺する。私とローズもマジルさんの安否を心配して、思わず息を飲んだんだ。
するとシルキーは悲しそうに首を横に振った。
「着替え途中だった為に、下半身に何も履いていないのです」
「「緊急事態だ!」」
その瞬間、見事に全員の台詞が一致した。
シール曰く、マジルさんは下半身にアナコンダを超える大蛇を持つ男。その傍若無人なヘビの王が目の前でぷらんぷらんしている状況に、獣人女子達が騒ぎ出しているらしい。ちなみに、イヤーンじゃなくて、ウホッ的な意味だ。こんな時なのにね!
「更には、あの密閉された空間でいつものお漏らし芸が炸裂し、ゴプリン族達が『汚い、汚いゴプ!』と半狂乱の状態なのです」
繭の中は村喰いとタメを張るぐらい厄介な状況みたいだね。
欲望に忠実な獣人族の女の子達。
清潔さに命をかけるゴプリン族。
そして下半身の防御力が複数の意味で疎かな男マジル。
三つのキャラクター性が重なった故の悲劇的展開に、シルキーは頭を抱え、私達は言葉を失ったのだがー―最終的には、
「「一刻も早く助けなきゃ!」」
自然と皆の心は一つになり、チームの団結力は上がったので結果オーライだ。
でもこれだけは言わせて欲しい……
本当に何やってんのマジルさん。
マリーベルはまた失望したよ!
ちなみに、シルキーはまた一つトラウマが生まれたみたい。
報告を終えると死んだ魚のような目で血を吐き始めた。
「迂闊に近づいてしまったわっちは、黄金の液体を頭からぶっかけられ――プギャーッ!!」
こんな感じでブツブツ呟いてるよ――ん?
シルキーってば、さっき私の顔に飛びついてたよね。
プギャーッ!!