70話 マリーは敵を知る(前編)
私達が辿り着いたニョーデル村は、本当に酷い有様だった。
村と外界を区別する柵は粉々に破壊され、田畑には踏み荒らされた野菜の新芽が散乱している。多くの家が壁や扉を破壊され、室内には抵抗して争った形跡が残り、表通りには農具や洗濯物が無造作に散らばっていた。
「これは……?」
私が気付いたのは、村の中に生えている草木の異変だ。一部の植物達がまるで冬へ逆戻りしたかのように枯れ果てていたのだ。その原因についてはシールが教えてくれた。
「ここは私が魔物を倒した所。聖剣で切った瞬間、蜘蛛が液体みたいに溶けてなくなった」
「魔物の死体が残らなかったの?」
「そう。おまけにその液が掛かったところは、急に植物が枯れ始めた。姉さんや母さんが魔物を倒した所も同じようになってる」
「体に何かの毒でも入ってたのかな?」
ボロボロになった木々が、余計に哀愁を誘う。
朝はあんなに綺麗だった村が。人々の笑い声で溢れていた楽園が。こんな少しの時間で無くなってしまうなんて……本当に夢にも思わなかった。
そして私が何よりも許せなかったのが――
「ひどい……交換所が」
交換所の入り口も大穴が開けられ、店内はめちゃくちゃにされていた。
ちょっぴり古くて蝶番がギシギシ鳴っていた扉は、真っ二つに割れ。村中の人たちがこぞって持ち込んだ商品は、地面で泥にまみれている。多くの『コーカン』を行う大きな木のカウンターは、ナイフで刻まれたように傷だらけになっていた。
ここは私がニョーデル村で一番大好きな場所。
村の皆と『コーカン』を通して繋がれた場所。
ここがあったから私は『コーカン』をもっともっと好きになれたのに。
「悔しい……悔しいよ……」
こみ上げる涙を必死に堪えながら、私はグッと奥歯を食いしばった。
「私が村にいれば……」
「いいえ、あたしがはぐれ集落へ行きたいと言わなければ……」
「違う、二人のせいじゃない。それにまだ何とかなる」
後悔する私とローズをシールは強く否定する。
「奴らは皆を殺さずに、わざわざ誘拐していった。そのことには必ず意味がある。そう母さんが言ってた」
話によると、家畜や食料庫には全く手が付けられていないらしい。カシーナさんの見立てでは、今回の魔物には人間を生きたまま集める何らかの理由があるとのことだ。
「だから、すぐには殺されない。きっとまだ間に合う」
短いけれど熱の篭った声に、私とローズも頷いて返事をする。
シールは決意を秘めた瞳で空を見上げ、ユグドラシルの聖剣を強く握った。
「私も必ず父さんを助ける」
「そんな。マジルさんも捕まったの?!」
あの人は結構強かったはずだよね?
私の指摘に、シールは辛そうな表情を浮かべた。
「……ズボンを履き替えてる最中に襲われた」
「……漏らした後だったのかぁ」
尻尾をしゅーんとさせるシールの隣で、私もエルフ耳をふにゃんとさせる。
マジルさん、本当になにやってんの。
マリーベルはあきれたよ!
助かった者達は、近くの森の中に身を潜めていた。
狩人達や、一部の農夫。シールの姉のラシータ、そして母親のカシーナさん。子供で助かったのはシールとサリーちゃんだけらしい。
サリーちゃんは私達の姿を見ると、嬉しそうに涙を流していたよ。
「マリー様、ローズ様!」
「サリーちゃん。無事で良かったよ!」
「はい、お姉さまが守ってくださいましたから」
そして瞳をうるうるさせながらシールを見上げる。
「サリーも頑張った。ゴルベアグローブの力で蜘蛛を何体も足止めした」
ふんぬ。とシールは妹分の奮闘を自慢げに話した。
サリーちゃんはピンチに陥ったラシータ達をマジックアイテムの『硬直』の効果で見事にサポートしたらしい。蜘蛛にまでねじ込むとか本当に凄い幼女だね。
ラシータもぐりぐりとサリーちゃんの頭を撫で回して、戦いっぷりを褒めていたよ。
「こいつがねじ込んでくれたおかげで、あたし達は本当に助かったぜ」
心の底から感謝しているみたいだ。幼女に心を開くヤンキーという絵面って素敵だね。
「さすがあたしの妹のアクセだぜ」という一言が無ければもっと良かったけど。それは贅沢な悩みだろう。
私達は偵察を終えたカシーナさんから詳しい話を聞きだしたんだ。
「蜘蛛達がいなくなった……?」
「ああ、あれだけいた魔物達が急に消えちまったのさ」
カシーナさんは皆を背負って逃げる魔物を追いかけて、近くの平原まで行ったそうだ。
けれど平原に達した途端、蜘蛛の大群は煙のように消えてしまったらしい。そして代わりに現れたのは――
「とんでもなくどでかい蜘蛛の親玉がいたのさ。ぼーんとデカくて、ずがっと強そうな奴がね」
どうしよう説明下手過ぎて、斥候が意味を成さないよ。
完全な人選ミスに気付いて皆で頭を抱えていると、アナンダが眉間に皺を寄せながら言ったんだ。
「話にならん。さっさと、その女にエルフィルムを使うのだ」
「あ、なるほど」
記憶を写真にするエルフィルムなら、見てきた情報を正確に知ることが出来るね。
カシャ。ジーッ
そこに写ったのは、まるで巨大なボールのような蜘蛛の魔物だった。
「なんだか、蹴っ飛ばしたら遠くまで飛んでいきそうな形だね」
周辺の植物の大きさから判断して、魔物の大きさは20メートルぐらいだろう。はっきりいってかなり巨大だ。ちなみにメートルっていうのはエルフ語ね。
一番目を引くのは、お尻だ。真っ赤な玉みたいに膨らんでいて巨体のほとんどをお尻で占めている。黒色の顔と胴体は、全体の割合でいくとかなり小さいだろう。
瞳はお尻と同じ紅色をしていて、下から上に突き出した二本の鋭い牙と合わさると、とても凶悪そうな面構えに見える。前足の先端は人の手のような形をしていて、その異質な容姿に正直鳥肌が立ってしまった。ちょっとグロくて、ウゲーな感じだ。
魔物の姿を確認するとアナンダは眉をひそめ、顔色を暗い色へ変えた。
「こいつは……村喰いアラクネー」
「知っているの?」
「ああ、これで合点がいったぞ。草木を枯らす体液に、消えた蜘蛛の大群の正体。そして人間を集める理由がな。マリーベル、貴様は村を離れていたことを悔いていたようだが、逆に運が良かったのかもしれぬぞ……」
「どういうこと?」
首を傾げる私にアナンダは真剣な表情で念を押す。
「絶対にこの魔物を討伐しようとするな」
「もしも迂闊に攻撃を加えれば、この村が……いや、この土地がまとめて滅びるぞ」




