59話 マリーは記憶を守る(後編)
攻略本から情報を得たその日の夜、私から黒くて四角い箱のような物体を手渡されたローズは、蝋燭の光がゆらゆらと揺れる家の中で戸惑いの声を上げる。
「これを額に当てればいいの?」
「うん。それからお父さんとお母さんのことを頭に思い描いて欲しいんだ!」
これは私が魔法で生み出した魔道具だ。
ゴツゴツとした両手のひらサイズのボディの中央には丸いガラスがはめ込まれ、側面の所々に謎の突起が存在する。ガラスはレンズ、突起はボタンだ。
ローズは私の指示の元、うーんと唸りながらボタンを押した。
カシャ! ジーッ
黒い箱から小さな高音が鳴ると、一枚の紙が排出される。カードサイズの妙につやつやした長方形の紙は、本や手紙に使うものよりも少し厚みがあった。表面は色鮮やかに彩られ、そこには絵本なんか比べ物にならないほど精巧な絵が描かれている。
写し出されていたのは、二人の男女が幸せそうにこちらを眺めている姿。
ローズはその絵の人物を見つめると、静かに息を飲んだ。
そこに描かれていたのは――
「お父さんとお母さんだぁ……」
ボロボロ、ボロボロと留め止めなく光の雫が溢れ出す。
四角い箱の名前は『インスタントカメラ』、艶のある紙は『写真』
これは攻略本が与えてくれた私の新たな魔法の力だ。
【魔法名】
エルフィルム
【種 別】
種族魔法《エルフ族》
【概 要】
魔道具『インスタントカメラ』を召喚することで、その場の風景を撮影することができる魔法。撮影された映像は『写真』と呼ばれる用紙へと具現化される。
またレベル3より使用可な『念写モード』を使用することで、頭の中にある過去の記憶から映像を写し出すことが可能となる。写真の精密度や色彩、保存期間、また念写で遡れる過去の年数などは術者の魔力レベルに依存する。
更に近年では若いエルフ達によって新たな使い方が発見されている。
裏コマンドと呼称されるこの隠し機能を使用するには、まずカメラの右上部にあるスイッチを押し――
ぱたん。
危ない危ない。最近ローズもエルフ語が読めるようになってきたから、この先を見られるわけにはいかないのだ。ぬふふ、有意義な情報をありがとう攻略本。
グッジョブ、エルフの若者達。
マリーベルはあとでこっそり楽しむよ!
とにもかくにも、非常に便利な念写モード。
アナンダに「非常識な……この村をふっ飛ばす気か」と苦い顔されるほど大量の魔力を注ぎ込んだおかげで、私に写し出せない過去など存在しない。
この魔法でローズの望む両親のかつての姿を、最高画質でバンバン撮影するのだ。
ローズも両目をウルウルさせながら、何度もシャッターを切っているよ。
「あの時のことも……。そうだ、あの日のことも……。マ、マリーもっと写真を撮ってもいいかしら?」
「もちろんさ! 思う存分使ってよ。これはお姉ちゃんの為に覚えた魔法なんだから」
「うん……うん……」
ローズは鼻声で頷くと、あれもこれも、と次々と念写を行った。
この魔法で驚いたことは、うろ覚えだったことでもはっきり撮影できたことだ。攻略本によると、例え明確に思い出せなくても記憶というのは人の頭の奥にちゃんと残っているらしい。
もちろん、ここまで精巧に引き出せるのは私のぶっとび魔力のおかげである。
ローズは撮影した写真を私に見せながら、今まで以上にたくさんのお話をしてくれたんだ。写真のおかげで、改めて思い出せたことも多いみたい。
そして私はその話をどんどん本に書いた。
相変わらずへにょへにょ文字だったけれど、ローズはページが増えていく様子をニコニコしながら見つめていたよ。
写真は私の魔力のおかげでずっと消えないから、最後に二人で本へ貼り付けた。
完成したローズの思い出帳は明るい家の中なのに、何よりも輝いていたんだ。
この本と写真、そして私自身が、いつまでもローズの記憶を守り続けてみせるよ!
そして私達は布団の中で一緒に思い出帳を読み返しながら眠りにつく。
うとうと舟をこぎ始めた私の頭をローズは何度も優しく撫でてくれた。
「ありがとう……マリーは最高の妹よ」
「ううん、それは私の台詞さ。いつもありがとう、ローズは最高のお姉ちゃんだ」
触れ合う肌から伝わる体温はとても暖かくて――
カイロバードを食べた時よりも寝心地の良い夜を私達は過ごす。互いの存在を確かめるように、ぎゅっと体を引き寄せ合い、私はローズの胸の中で安らかに眠る。
もう心配いらないさ。お姉ちゃんの怖いものは私が追っ払う。
ローズはこれで安心して日々を暮らせるようになったのだ。
――と、ここまでは良かった。
私もローズもいつも通りの楽しい生活に戻れたからね。
でもいつも通りに戻ったということは――
その次の日の夜のこと。
家の中には仁王立ちで怒っている私と、しょんぼりと縮こまるローズの姿があった。
「ごめんなさい……つい我慢できずに食べちゃったの」
原因はローズの横領である。
今までの抑圧から解放されたローズの欲望がついに暴走したのだ。
でもまさか――
「思わなかった。まさか家にある食料が丸ごと全部消えるとは思わなかったよ!」
ローズが一人でごそごそしていたので何してるのかなぁー? と覗き込んだ瞬間、ビックリ仰天したよね。
我が家の食料はこれでゼロ。私のおやつ袋もスッカラカン。
つまり私の晩御飯は抜きである。さすがにこれは怒って良いでしょう。
「でもつまみ食いしても許してくれるって……」
「許すよ。でもその前に怒らないとは言ってない!」
「そ、そんなぁー」
最終的には許すつもりだから嘘はついてない。それにこれはつまみ食いのレベルを超えてるよね?
いくら何でもこんなことを今後も続けられたらたまんないよ。
だからきっちり叱るのさ。
マリーベルは心を鬼にするよ!
そうしてしばらくお説教をしていたら、ローズがとうとう根をあげたんだ。
「わかったわ……」
目の両端に涙を溜め、覚悟を決めた瞳を私へ向けると、顔をカァーっと真っ赤に染め上げながらこう呟く。
「ば、罰ならちゃんと受けるから……だから許して」
恥ずかしそうに親指の爪を軽く噛み、太ももをモジモジさせるローズの姿を前にして、私の脳裏にあの時の言葉が蘇る。
『……つまみ食いしても許してくれる?』
『もちろん。ただし現行犯の場合はおっぱい揉むよ』
マジか、マジでか。
とりあえずなんでも言っておくものだね。
有言実行で、ヒャッハーだ。
マリーベルはおっぱいを揉むよ!
寝巻きに着替え終わると、私達はベットの上で正座して向かい合う。
「「よ、よろしくお願いします」」
何故か揃ってしまった声に、思わずエルフ耳がピンとなってしまう。
な、何だ……何だこれ?
なんだか変に緊張するよ。
ローズはうるうると瞳を湿らせたまま、ポスンと体をベットに預けた。
あうあうあー。倒れた瞬間にプルンと揺れたおっぱいのせいで、私の中のユグドラシルがムクムクと自己主張を始めているよ!
私はすぐにローズに跨ると、その柔らな双丘へと手を伸ばしたんだ。
「あん、お願い……優しくして……」
「あ、う、うん。ごめんね」
なんだこれ、なんだこれ。
なんだか凄くイケナイことをしている気がするよ。
もーみ、もーみ。
もーみ、もーみ。
いつもよりも、優しく、丁寧に、ゆっくりと、ローズの胸を揉みしだくのだ。
「はんっ、はんっ、エルフって……エルフってぇ――!!」
そんなローズの切ない声を聞きながら、私は気付く。
私が新たに知った、このよくわからない感じの正体を。
駄目だからこそ燃え上がる。
マリーベルは背徳感を覚えたよ!
そんな馬鹿なことを考えていたら、いつの間にか朝になってた。
我を取り戻した私の眼下でローズは熱にうなされるように、はぁーはぁーと深い呼吸を何度も繰り返している。あかん、また調子こいてやり過ぎちゃったよ。
するとローズが突然、私の首に腕を回して、ギューッと体を密着させる。
「駄目ェ……マリーは妹……妹なんだからぁ……」
やばい、完全に怒ってる。怒りでローズの呂律が回ってないよ。
完璧に首をホールドされてるのがその証拠さ。
徹夜明けで腕に力が入ってないけれど、これ完全に首絞めにきてるよね?
今朝はとびきり美味しいもの獲ってきてあげよう。
マリーベルはゴマをするを覚えてみせるよ!
そうそう、ローズには内緒にしていたエルフィルムの隠しモードについて、皆にだけこっそり教えてあげようか?
【概 要】
裏コマンドは俗に『妄想モード』と呼ばれ、記憶ではなく頭に思い描いた妄想を現実にすることが可能。この術を会得した若いエルフの家からは毎晩のように、「捗る捗るぅー」という謎の奇声が聞こえるようになるのである。
ローズは朝ごはんをお腹一杯食べ終えて、すやすやとベッドで眠っている。
ぬふふ、今がチャンスだ。
召喚したカメラを額に当て、私はパシャッとシャッターと切った。
「ぐふふ、成功だね」
出てきた写真は昨夜のローズの姿……に、ほーんの少し私の願望が入って過激な感じに仕上がっている。でも秘密のコレクションだから問題無いよね!
カシャ! カシャ! カシャ!
「捗る捗るぅー!!」
あ、やべ言っちゃった。
でも気持ちはわかるぞエルフ達。
妄想を現実に。不可能な夢を一枚の写真に。
マリーベルは偉業を成し遂げたよ!
と、思って調子に乗っていたら――
「マ、リ、ィー」
はい、ローズにすぐに見つかりました。
昨夜とは完全に立場が逆転。仁王立ちのローズに、震え上がる私である。
「これは全部没収ね。この魔法もあたしが良いと言った時以外は使っては駄目よ」
「そ、そんなぁー、横暴だよ!」
エルフ耳もしゅーんとさせてみたけど、許してもらえませんでした。
「いいの。だってあたしはマリーの我ままなお姉ちゃんなのよ?」
ローズはツンとした態度で、でも少し嬉しそうに口元を緩める。
そう言われたらもう反撃のしようがないね。
私は諦めてエルフィルムを解除しようとしたんだけれど――
「ねえマリー。一枚だけ撮りたい写真があるの」
ローズはそう言うと額にカメラを押し当てた。
パシャ! ジーッ
「お姉ちゃん、これって……」
そこに写っていたのは両親と一緒に笑顔で並ぶ私とローズの姿。
驚く私と写真の両方を交互に見つめて、ローズは満足そうに微笑んだ。
「あの時こうだったら……と想像に浸るのはこれで終わりにするわ。この一枚を最後にして、私はマリーと一緒に前へ進むの」
駄目かな? と首を傾げる彼女へ、私はブンブンと首を横に振る。
それはあったかもしれない未来で、ちょっと寂しいけど決して手に入らない未来。
思い描いてしまうとやっぱり名残惜しいけれど、そこで足を止めるわけにはいかない。
だから私達は写真一枚分だけ一緒に嘘をついた。
でもそれは手に入らないものを羨む為じゃない――
一人でウジウジ悩んでしまう自分とさよならする為に、
そして……これからも二人で前へ進み続ける為に、
私達は世界で二人だけの記憶を写真に刻むんだ。
「写真の私達……幸せそうに笑ってるね」
「そうね。とっても幸せそう……」
「へへへ、じゃあ今と一緒だね!」
「もちろんよ。明日も、明後日も、来年も、再来年も、ずーっと一緒に笑いましょう」
そして私達は顔を見合わせて笑う。
写真の私達に負けないぐらい今が幸せだと確かめ合いながら、心の底から笑うんだ。
だから大丈夫。
もう心配いらないよ。
私には頼りになるお姉ちゃんがいて、ローズには頼りになる妹がいる。
これからも、私達は二人で一緒に笑って生きていくのだから。




