58話 マリーは記憶を守る(前編)
ニョーデル村に戻った私達を待っていたのは、シールの尖った八重歯だった。
「シ、シーちゃん。もう許してぇー」
「ごめんよー、シール」
「駄目。凄く心配した」
私とローズにシールは何度も噛み付いてきいたんだ。
もちろん甘噛みね。感極まった時のケモミミ的友好の証なんだってさ。
サリーちゃんに至っては「良かったですわぁー」と号泣しながら――
「ふえぇぇーん、お召し上がりになってぇぇぇー」
「ちょっと待っ――グボッ」
馬乗りになって木苺をねじ込むねじ込む。
なんでも私が行き先も告げずに一人で飛び出したせいで、サリーちゃんはずっとガクブル状態だったとか。
姉貴分のシールがめっちゃ怒ってたよ。本当にごめんね!
「「綺麗ゴプ! 綺麗ゴプ!」」
ゴプララとゴプリン族は私達の強く握り合った手と手を見つめて、嬉しそうにはしゃいでいたよ。他の皆も無事に解決したことを知って、安心した表情を浮かべているね。
唯一の例外はアナンダかな。
不機嫌そうにジーッと私達を見つめてた。もち裸体。
ユグドラシル的にも世間的にも通報ものだね!
こうしてニョーデル村に迷惑をかけまくったペコロン姉妹行方不明騒動は幕を閉じた。
いつの間にか冬のどんよりとした雲空は消え去り、ぽかぽかと暖かいお日様の光が降り注ぎ、世界は新しい季節へと変わっていく。森には再び緑が戻り、冬眠していた動物たちの寝ぼけた泣き声があちこちで響き始めていた。村周辺の雪は完全に溶けてなくなり、そして冬の間途切れていた都への道が再び開かれる。
ついにニョーデル村へ春の季節がやってきたのだ。
「お姉ちゃん、ついに手に入ったよ!」
気持ちの良い春の陽気に包まれた昼下がりに、私はドタバタと乱暴に扉を開けて皆がお茶を飲んでいる家の中へ飛び込んだ。
「もうなの!? この前、お願いしたばかりよね?」
「マジルさんが気を利かせて馬車を急かしてくれたんだよ。私がたくさん珍しいものを獲ってきたから、特急料金も込みで『コーカン』なんだってさ」
私はドヤ顔を浮かべながら、手に持った品をローズの前に掲げてみせる。
マジルさんと私が『コーカン』したもの。
それは大量のインクと白紙の本だった。
ローズの為に出来ることを全部しよう。
そう思った私は、あの日からローズといっぱいお父さんとお母さんの話をしたんだ。
二人でお散歩している時も、遊んでいる時も、夜寝る前の布団の中でも、たくさんお話して私は思い出を心へ刻んでいったんだ。お姉ちゃんが困った時はすぐに教えてあげられるように頑張って覚えるのさ。
そんな折に、サリーちゃんが良いことを教えてくれたのだ。
「紙に記録をつけてみるのはいかがでしょうか?」
「紙に? 日記みたいなものか……それいいね!」
「わたくし、この手のことに最適な紙を知っていますわ」
時期も良かったんだ。ちょうど都への定期便が再開する頃だったからね。
そしてマジルさんにお願いして仕入れてもらったのは、何も書かれていない白紙の本だ。
村で手に入る雑な紙の束と違って、不純物のほとんどない真っ白なもの。表紙も分厚い革張のおかげで、見た目も随分と高級感に溢れている。
こういうのって都で貴族が魔法で作っているらしい。
魔力を含んでいるから非常に長持ちで、ラーズ村の村長さんも大切な記録を保存する際に利用しているそうだ。
「これでお姉ちゃんの思い出をいっぱい書いて残そう!」
「でもいいのかしら? これってとても貴重なものにみえるけれど……」
ローズもこんなに良質な紙や本を見たのは初めてらしい。
高級そうな雰囲気に少し尻込みしてしまったのか、難しそうな顔をしてるよ。
けど大丈夫。その証拠に私はテーブルの上にドサドサッと何冊も白紙の本を置いてみせる。
この本を仕入れるために、私はシールと共にいっぱい魔物を狩ったのだ。
「心配ない。ボスと二人でたくさん交換してきた」
だから気にせずドンドン使うように、とシールは尻尾をフリフリさせながら胸を張る。
ローズは私達の顔を見渡すと、嬉しそうに微笑んでくれたんだ。
「ありがとう……皆、本当にありがとう」
もちろん書くのは私の役目さ。
最近ちょっとずつ覚えてるヒト族語でローズの思い出を書き記すのだ。
「……あうう、上手く書けないや」
でも思った通りにいかないや。ぐにゃぐにゃのミミズみたいな文字になっちゃった。
かろうじて読めるレベルで、はっきり言って見栄えは凄く悪い。
これだと、あとから読み返すの大変じゃない?
「いいえ、これがいいわ」
でもローズは私のへたっぴな字を見つめると、満足そうに本を抱きしめたんだ。
「マリーがあたしの為に書いてくれたんですもの。誰が何と言おうとも、あたしはこれが一番いいわ」
心の底から喜んでいるローズの姿に、シールもサリーちゃんも頬を綻ばせていたよ。
もちろん私もね!
ジーッ。
もっと出来ることはないかな?
もっとローズの為にがんばりたいな。
ジーッ。
そうだ。ローズの為に出来ることがまだあったよ!
覗き魔を追っ払おう。
「ねえ、邪魔だから帰ってくんない?」
私がうんざりした声をあげるのもしょうがないよね?
全裸男が、ずーっと美少女達を窓から覗き込んでいるんだもん。
「ふん、これは勇者の使命だ……」
返ってくるのは最近テンプレ化してきた言い訳だ。
けどアナンダの口調はいつもより弱弱しい。ローズがいなくなった日から、私と顔を合わせるごとに気まずそうな表情を浮かべるし、少し様子がおかしいんだ。
今だってほら、私が睨みを利かせると咄嗟に目を逸らす。
「ねえ、何か言いたいことがあるならはっきり言いなよ」
気持ち悪い奴め、という心の声を私が必死に抑えていると、アナンダは躊躇いつつも、ぼそぼそと独り言のように呟いた。
「……あるぞ」
「なにが?」
「エルフの種族魔法で貴様の姉の役に立つものがあると言ったのだ」
ムスっとした顔でアナンダが語る魔法の詳細に、私のエルフ耳は何度もピクッと反応してしまった。
聞けば聞くほど、それはローズに必要な魔法だったのだ。
「貴様ならその攻略本というものに祈れば、すぐに魔法が使えるのだろう?」
その通り……なんだけれど、なんでこいつがわざわざ教えてくれるの?
一時休戦は約束したけれど、急に協力的になるなんて何か裏がありそうで怖いよね。
「何も企んではおらぬ。これはただの侘びだ。先日、貴様を『邪悪な化け物』として討伐しようとした件に対するな……」
するとアナンダは言葉を詰まらせ、拗ねるように口を尖らせる。
「貴様は我が思っていたほど邪悪ではなかった……非常識な存在ではあるが、中身はただの子供だ」
眉間に皺を寄せてアナンダは「ああも無様に泣かれてはな」と大きくため息をつく。
こいつ謝ってるはずなのになんか態度でかくない?
「一応は謝罪だ。受け取れ」
「じゃあ『コーカン』で許してあげるよ」
「ふん、勘違いするな。あくまで邪悪という部分を修正するだけだ。非常識な化け物という点においては、まだ認識を変えてはおらぬ。この先、貴様が世界に害をなす存在であると判断した暁には、改めて決闘を申し込むからな。覚悟しておけ」
そして去っていくアナンダは犬の糞を踏んづけて、「おのれマリーベル!」って叫んでた。あいつはいつも何と戦ってるんだろうね。
でも情報にだけは感謝しとくよ。
マリーベルは清濁併せ呑める女なのさ!
さあ、祈りを捧げよう。
今度は考えることを放棄した結果じゃないよ。
ちゃんと自分で考えて行動して、そして皆が協力してくれたから、私は神様に祈りを捧げるという答えへ至ったんだ。
だから応えて攻略本。
今度はちゃんと私も考えるから。
君に任せっぱなしで諦めたりしないから。
「お願い攻略本。私にお姉ちゃんを幸せにする力を貸して」
やがて目の前に白き輝きが灯り、攻略本に文字が刻まれる。
こうしてこの先もずっとローズの思い出を守る手助けとなる、とある魔法を私は手に入れたのだ。




